佐藤いぬこのブログ

戦争まわりのアレコレを見やすく紹介

昭和の割烹着(かっぽう着)姿を探してみました

f:id:NARASIGE:20211025085113p:plain

ファミリーマートの「おかあさん食堂」のような割烹着(かっぽう着)姿を探してみた結果…

真っ白い割烹着、かっちりしたパーマ、マジメそうな着物……。ファミリーマートの「おかあさん食堂」は、古きよき昭和(と思われてる)イメージが盛り込まれています。(画像は、2019年09月24日ファミリーマートニュースリリースサイトより)。今日は、昭和に撮影された写真の中から、「おかあさん食堂」的な割烹着姿を探した結果をお知らせしたいと思います。

f:id:NARASIGE:20210601080745j:plain

 毎日を頑張って生きる人たちに、食を通して癒しを与える慎吾母。赤い暖簾をくぐれば、誰しもが笑顔になれる素敵な食堂がそこにはある。仕事帰りにファミリーマートに入店の際には、是非お母さん食堂にお立ち寄り頂きたい。豊富で美味しい料理と共に「おっつー」と迎え入れてくれる、優しい母がいるのだから。

www.family.co.jp

意外と見つからない「おかあさん食堂」系の割烹着

結論から言うと「おかあさん食堂」系のキレイな割烹着は、ほとんど見つけることができませんでした。私のここ15年ほどの趣味は、外国人が撮影した「昭和」を見つけることなのに…

しかし代わりにあったのは、屋外で働く割烹着です。(撮影者が外国人ゆえ、家の中を撮りにくかったのかもしれません)。以下に紹介するのは、1948〜1972年頃(昭和23〜47頃)の写真。※すべてもとからカラーです。

 割烹着で、物を運ぶ

まずは、重そうな物を運んでいる姿から。私がやったらすぐに筋肉痛になりそう。

▽1955-59(昭和30-34)天びん棒。この時代、てんびん棒の写真をけっこう見かけます。

f:id:NARASIGE:20201229220523j:plain

上の天びん棒の女性を引きで見たところ。繁華街で天びん棒。

2019-05-17-0032

1955-59(昭和30-34)参考に、ほかのてんびん棒の例を。この写真の中では、少なくとも3人が天秤棒を使っています。奥に白い割烹着が見えます。

https://www.flickr.com/photos/58451159@N00/33998356928

f:id:NARASIGE:20201230112658j:plain

 1950(昭和25)重そう…。右の人は割烹着で裸足。

https://www.flickr.com/photos/norb_faye_lang/3863771842

f:id:NARASIGE:20090827102216j:plain

  1949-1950(昭和24-25)下半身は、もんぺと地下足袋でしょうか。Japan 1949-1950

 1972 (昭和47)風呂敷包みの二段重ね。

07-507

1972 (昭和47)背中に大量の枝を背負っている写真をよくみかけます。本人の姿が隠れるレベルの量を背負う人も。

07-082

1972 (昭和47)ホタテ貝のようです。

06-519

リヤカーと割烹着

1966(昭和42)三沢。実は美人さん。Vネックだけど、割烹着です。

Misawa-Street-Scene-01

1963 (昭和38)千歳。グレーっぽいけれど、割烹着。

Chitose Hokkaido Japan 1963

1963(昭和38)千歳。焼き芋屋さん?割烹着・腕カバー・マスク・ネッカチーフ。割烹着の上に、前掛けもしています。

Chitose Marketplace 19

1972  (昭和47)こちらも、割烹着に前掛けを重ねているようです。

07-505

お母さん食堂に(比較的)近いイメージの割烹着

重労働系の割烹着が続いたので、「お母さん食堂」に比較的近い写真も少し。あくまでも、「比較的近い」なので、割烹着が真っ白だったり、着物をキチっと着ているわけではありません。

1952(昭和27)

Japanese family in Tokyo, circa 1952

Japan, 1958-'59 20年後は1980年前後。街には「シティポップ」が流れるのです。

2020-01-23-0023

1962(昭和37)千歳 。頭に巻いているのは、三角巾ではなく、髪のセットを固定するものかもしれません。

Market Chitose 1962

1950-55(昭和25-30)。数ある割烹着姿の写真では、この右の人が一番若くて華やかでした!

2017-07-20-0021

1956(昭和31)道で何かを焼いている。「おかあさん『路上』食堂」。

https://www.flickr.com/photos/58451159@N00/49426764458

f:id:NARASIGE:20201230111509j:plain

靴磨きと割烹着

1950(昭和25)靴磨き・その1

2015-10-12-0007

 1952-56(昭和27-31)靴磨き・その2。スマホっぽいサイズの物を手にしていますが、もちろんマホじゃない。

2016-01-24-0005

1951 Tokoyo, Japan 靴磨き・その3。 占領下の銀座です。うしろの建物は接収されたデパート。白いワンピースだけど、清純や無垢を感じにくい。

1951 Tokoyo, Japan

1972年。上の1951年の写真から20年経過しているけれど、靴磨きのスタイルが変わりません。

08-221

 

割烹着で道路工事(1972)

 1972  (昭和47)道路工事

07-031  1972  (昭和47)縞やチェックの割烹着

07-469

割烹着+エプロン+腕カバー。

07-273

 ほっこり系雑誌で好まれそうな割烹着

1953-54(昭和28-29)。

2015-12-16-0002

1956(昭和31)

Kyoto2

 1960(昭和35)「祝ベン・ハー」の提灯。

Lantern Factory, Japan – 1960

色付きの割烹着

1963(昭和38)千歳 。「真っ白」ではない割烹着。明治生まれの祖母は、この写真とほぼ同じグレーっぽい割烹着を縫って、1年中着ていました。汚れが目立ちにくかったのかもしれません。

CHITOSE STREET SCENES 29

 1972 (昭和47)細かいチェック。割烹着+エプロン+手甲?

07-140

真っ白い割烹着と、美しいお母さん

以上、いろいろな割烹着を紹介してみました。いかがだったでしょうか。ちなみにこれは1956(昭31)の洗濯機の広告に登場する割烹着。かっちりした髪型といい、紺色の着物といい、いちばん「おかあさん食堂」に近いかもしれません。

f:id:NARASIGE:20201230120252j:plain

『こども家の光』昭和31年8月号

narasige.hatenablog.com

narasige.hatenablog.com

 

h3 { color: #FFFFFF; background: #000000; padding: 0.5em; } h4 { border-bottom: dashed 2px #000000; } h5 { border-bottom: double 5px #000000; }