佐藤いぬこのブログ

戦争まわりのアレコレを見やすく紹介

焼きそばパーマの時代

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戦争が終わると、すぐパーマ

敗戦間もない頃って、意外にパーマが爆発してるんですよ。獅子文六の昭和22年の短編『無頼の英霊』にも、田舎の娘たちが戦争が終わったとたんパーマをかけて「焼ソバのような総縮髪」になる話が出てきます。

1年もたたないうちに、村の気風の変化は驚くべきものだった。(略)娘たちは親がヤミ売りに匿してある米を盗み出し、四里離れた市へパーマをかけに行くが、「焼ソバのような総縮髪」になって帰ってきた。

親が隠したコメを盗んでまでパーマをかける熱意がすごい!

では、これから本当にあった焼きそば系パーマ(中には天然パーマの人がいるかも…)と、焼け残った着物の組みわせをご紹介しますね。時期はだいたい敗戦〜数年前後。※すべて、元からカラー写真です。

▽1946-53頃。彼女は派手だけど、背景の人たちはすごく地味な例。

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Dinner Party | Japan 1949-51 Photographer: unknown | m20wc51 | Flickr  1949-51 料理の提供も焼きそばパーマで。占領下の「ディナーパーティー

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モージャー氏撮影写真資料 - 国立国会図書館デジタルコレクション 1946-1947。 

f:id:NARASIGE:20210118115729p:plain1948頃。右端の人、映画「獄門島」の浅野ゆう子みたいになっている。

Japan, 1948 1953頃、立川基地のアメリカ人が撮影した写真。背景の看板が横文字です。James L Blilie Photos of Japan in 1952 and 1953

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▽立川のナイトライフはこちら

narasige.hatenablog.com

モージャー氏撮影写真資料 - 国立国会図書館デジタルコレクション 1946-1947 手をつないでポーズ。

f:id:NARASIGE:20210207131912j:plainどどどどどー!

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FH000073 メイドさん(おそらく沖縄)

11949-1950頃。 左手に見える外国の子供と、芝生の庭。彼女もおそらくメイドさんか。雇い主から「キモノ着てみてよ。もう、なんでもいいから」とリクエストされたのかもしれません。

Japan 1949-19501949頃、仙台のメイドさん。金髪の子供・芝生・焼そばパーマ。

Japan - Maids and John Turman - Sendai1948頃「パーティーin別府」。洋装・和装とも、チリチリした髪型。

2015-04-09-00081953-1954頃。顔がそっくり。

2019-08-21-00151953-54 頃。関連話題:休憩所としての日本 - 佐藤いぬこのブログ

2019-08-22-0008 モージャー氏撮影写真資料 - 国立国会図書館デジタルコレクション 1946-1947 「横断はここから」の標識がやたらと多い。進駐軍ジープ対策か。f:id:NARASIGE:20210128111356p:plain

モージャー氏撮影写真資料 - 国立国会図書館デジタルコレクション。焼け野原の写真満載の「モージャー氏撮影写真資料」に、突然そびえたつ「ビューティーセンター」。

f:id:NARASIGE:20220122093637p:plain▽"Oki Girls"(沖縄の少女達)。後にカマボコ兵舎。https://www.flickr.com/photos/20903551@N06/4094200030

f:id:NARASIGE:20210109104956j:plain"Oki Girls"拡大。

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1952-55  朝鮮戦争の頃2017-12-12-0004

1953頃「伊勢崎町入口 吉田橋」横浜開港150周年 みんなでつくる 横濱写真アルバム

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暮しの手帖や、サザエさんまで

暮しの手帖」の髪型もチリチリです。敗戦間もない頃の暮しの手帖終戦後にわかに起こった でれでれなよなよの和服ブーム」に抵抗するため「紺がすり」の特集を繰り返したのだとか。「紺がすり」をキリっと着ているようだけど、髪型はチリっチリなんですね。(『暮しの手帖を通してみた戦後の3年間 なんにもなかったあの頃』第100号1969年より。)

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1950(昭和25)、子供もパーマ。左端がサザエさん。(朝日新聞社版4巻)

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1946-1947 焼そばパーマではないけれど、サザエさん的なウェーブを作っている人たち。モージャー氏撮影写真資料 - 国立国会図書館デジタルコレクション 

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なかには、まっすぐな髪の人も

1946-1947 もちろん、焼そばパーマじゃないまっすぐな髪の人も多かったとは思います。私らが思い浮かべる敗戦間もない頃の髪型ってこんな感じですよね。モージャー氏撮影写真資料 - 国立国会図書館デジタルコレクション

f:id:NARASIGE:20210128101932p:plain1946-1947 直毛でも若い娘のウキウキ気分が噴出している例。花森安治に「でれでれ なよなよの和服ブーム」と文句つけられそう。モージャー氏撮影写真資料 - 国立国会図書館デジタルコレクション  

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戦争を生きのびた娘たち

若い娘の笑顔を見ていると忘れがちですが、彼女たちは(個人差はあれ)戦争を生き延びてきたのです。先述の通り、モージャー氏撮影写真資料には、焼け野原のカラー写真が多数あるので、ぜひあわせてご覧ください。

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 結婚相手の戦死・風俗の逆転

この時代の若い娘の装いは「あら〜、意外と派手なのねえ」では済まされないものがあります。彼女たちは、結婚相手となるはずの青年達が戦死している世代。このあたりの事情はひとり暮しの戦後史―戦中世代の婦人たちに詳しいです。

  また、焼け残った着物はシャッフルされて、由来がわかりにくくなっているケースも。(例:都会人が田舎に着物を持っていって米と交換。あるいは、ある種の組織*1が、焼け残った着物をストックして女の子達に着せるなど…。)

当時の事情を頭のスミにおくと、彼女たちの笑顔がすこし違って見えるかもしれません。

 【シャッフルの例】武井武雄が描いた風俗の逆転。戦中・戦後気侭画帳 (ちくま学芸文庫)より「都会の娘は晴れ着をみんな食糧に代えてしまった。」

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narasige.hatenablog.com

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*1:色の道商売往来』では小沢昭一がRAA(特殊慰安施設協会)の創立メンバーに、“防波堤”の準備についてインタビューしています。「着物なんかは三越白木屋の残ったものを全部抑えちゃった。化粧品は資生堂の倉庫をみんな抑えた。」

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