佐藤いぬこのブログ

戦争まわりのアレコレを見やすく紹介

獅子文六『悦ちゃん』から生まれた少女スターと、戦争

東京五輪は、どうなるの?どうなっちゃうの?」みんながヤキモキしている2021年5月。 ご存知の方も多いと思いますが、かつて日本はオリンピックと万博を急停止したことがありました。今日は、そんな時代に活躍した少女スターをご紹介します。彼女は、獅子文六の小説『悦ちゃん』の映画化をきっかけにデビューしたのです。

 獅子文六の小説「悦ちゃん」の時代背景

キュートな昭和の小説として人気の「悦ちゃん」(獅子文六 ちくま文庫)。都会っ子の悦ちゃんが、臆することなくモダン都市を飛びまわる様子は、ほんとうに愛らしい。(私のお気に入りは、キザな作曲家の細野夢月です)

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小説『悦ちゃん』は、昭和11年7月から昭和12年1月まで新聞連載されました。しかし連載終了の半年後には、もう日中戦争が始まります。『悦ちゃん』は、ほかの獅子文六作品と比べると"ご時勢"成分が控えめで、おとぎ話のよう。なので前後のできごとを図にしてみました。意外なようですが、『悦ちゃん』は、決してノンビリした時代に生まれたわけじゃなかったのです。(関連話題:非常時と、獅子文六「金色青春譜」 - 佐藤いぬこのブログ

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幻の万博と、少女スター「悦ちゃん

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歴史資料  中央区京橋図書館・郷土天文館

さて。かつて幻の「万博」があったのをご存知でしょうか?昭和15年(1940)年開催予定で、会場は晴海と豊洲になるはずでした。

これ、日中戦争の影響で延期が決まるまでは、けっこうハデなキャンペーンをしたんですよ。 万博事務局が出していた会報を見ていくと、花電車や銀座のネオン、レコード、ショー、森永とのコラボ菓子などの記事がズラリ!

 画像はその一例で、昭和13年4月“芸能人がこぞって万博のチケットを買っているよ”という(ヤラセ)記事。女優の入江たか子や、「少女歌劇の王子」水の江瀧子(ターキー)の優美な姿が。そして右下の少女に注目してください。そう、悦ちゃんです!獅子文六の小説『悦ちゃん』の映画化キッカケでデビューした子なんです。(芸名も「悦ちゃん」)

「早く此の切符で万国博覧会見たいわ」と入場券に見入る「悦ちゃん」。日活多摩川撮影所にて

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「萬博」会報 昭和13年4月(日本万国博覧会事務局)

子役の「悦ちゃん」は、昭和12年にデビュー。で、翌13年春にはもう大スターと肩をならべたテイで万博を応援しているわけ。すごいぞ「悦ちゃん」!

悦ちゃんと、銃後の少女雑誌

さて、万博の延期が決まった頃、子役の「悦ちゃん」はこんな感じで少女雑誌の巻頭を飾っています。(他のページは、けっこう戦時色強め。)

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少女倶楽部(講談社昭和13年8月

ちなみに同じ号(少女倶楽部・昭和13年8月号)の「銃後の夏」特集では、日本とドイツの令嬢が楽しくおしゃべりしていますよ。

「 これはヒットラー総統の閲兵式です。」「まあ、勇ましいこと! 」

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少女倶楽部(講談社昭和13年8月

これも同じ号より。戦地の兄に、妹から慰問袋が届きました。風船に兄妹の似顔絵が描かれている。「兄」、老け過ぎ。

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少女倶楽部(講談社昭和13年8月

戦争と「スター悦ちゃん

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悦ちゃん」の挿絵 獅子文六全集第1巻より(朝日新聞社

やがて、空襲の時代がやってきます。子役の「悦ちゃん」は、どうなったかというと‥‥わからないのです。令和の今だから足跡が追えないのではなくて、 昭和40年代でも不明でした。

以下は、画家の田中比佐良が書いた「スター悦ちゃん追想録」からの引用です。田中比佐良は、小説「悦ちゃん」の新聞連載時に挿絵を担当し、映画化の際は子役選考の審査員もしていました。

多数応募少女の中から、獅子氏をはじめ、その道の権威連と協議選択の結果、これはまたまことにもって偶然にも、僕の知友で年若な江島くんという青年画家のムスメが衆議一致で入選したのである。

 見るからに愛くるしく鮮魚のようにハツラツとして人なつっこい挙措動作、ポチポチした色白の風貌と好もしい特異好感触のマドモアゼルタイプの、正にこれ、少女スターとして掘り出し物的、ヤンガータレントの出現であった(略)

 

それは太平洋戦争たけなわのみぎり、悦ちゃんは、すっかり成人していっぱしの花はずかしい映画女優として、人気は残っていたが、太平洋戦争という、時の大勢異変には抗しがたく、いわゆるドサ周りの 座頭女優にうらぶれかねない形成になってきた。

 そこでボクは、かねて女優悦ちゃんビイキ(その資質を高評価して応援している)菊池寛氏を、空襲ゴウゴウのあの雑司が谷の邸に訪ねて、悦ちゃんのモダンタイプの天賦的女優としての適性を賛嘆しあった(略)

 

だが、光陰矢のごく、かつての愛くるしく芸質慧敏で人なつっこく、菊池寛氏もボクも、将来への期待と幸福を語り合った彼女も、今やいずくに?感無量なものがある。(「スター悦ちゃん追想録」『獅子文六全集付録月報No.16』昭和44年8月)


万博は幻になり、「スター悦ちゃん」は行方不明…。切ないですね。悦ちゃんや、悦ちゃんと同世代の少女たち(敗戦時に20歳くらい)の無事を願うばかりです。narasige.hatenablog.com

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