「あらまあ認識不足よ」という曲がきっかけで、獅子文六の冊子を作りました
昭和の人気作家・獅子文六といえば『コーヒーと恋愛』(昭和37)が有名です。
『コーヒーと恋愛』はテレビ女優が主人公なので、“獅子文六は戦後に活躍した作家かな?”と思われるかもしれません。しかし『コーヒーと恋愛』は、なんと69歳の時の作品なのです。
デビューはもっともっと前、つまり戦前。
ところが獅子文六がユーモア小説でブレイクしたとたんに、日本は本格的な戦争モードに突入するのでした。
▽私がそのへんのいきさつをまとめた冊子です
リットン調査団と「認識不足」
私が『認識不足時代 ご時勢の急変と獅子文六』という冊子を作ったきっかけは、今をさかのぼること数年前にあります。
2014年、宇多丸さんが司会のTBSラジオ*1で、 『あらまあ認識不足よ(リットン程ではないけれど)』*2という曲が取り上げられていたんですよ。歌詞はずいぶんとふざけた感じ。
彼女のエロなウインクに 飛んで行つたらやぶにらみ
あらまああなた認識不足よ リットン程ではないけれど
この曲をゲストの辻田真佐憲氏は、“リットン調査団をディスる歌”と紹介し、宇多丸さんは「歌詞に(満州事変を調査した)リットン調査団が出てくるけど、別に政治的なことを歌ってるわけじゃないんだ…」と驚いていましたっけ。
獅子文六全集から 「認識不足」をピックアップ
さて。ラジオで『あらまあ認識不足よ』という曲をボンヤリ聴いてから数年経過した2020年。新型コロナの自粛期間中に、全巻買っておいた『獅子文六全集』を読み返してみると、あら不思議!「認識不足」という言葉が、蛍光ペンを引いたように浮かび上がってくるじゃありませんか。どうやら獅子文六が当時の流行語を小説に取り入れていたようなのです。そこで私は全集からせっせと「認識不足」を拾い出し、時系列にならべてみました。それがZINE「認識不足時代 ご時勢の急変と獅子文六」です。
▽『あらまあ認識不足よ』と、リットン調査団についてはこちらを
笑える「認識不足」の例
では、獅子文六作品から「認識不足」の使用例をご紹介しましょう。[ここ、笑うところですよ!]というポイントに「認識不足」が使われています。
- 「そンな認識不足だから、華族のバカ様ッて云われるのよ」(『青春売場日記』昭和12)
- 「 それは、春実の認識不足だ。ママはママ業、主婦業…その他、一家の重役をいくつも兼ねている。(『青春売場日記』昭和12)」
- 「まア、欲の深い!そういうことは単に、欲が深いばかりでなく、女性に対する認識不足ですわ」(『悦ちゃん』昭和11)
- 「 こういう社会情勢に於いて、就職なんて志すのは、そもそも認識不足だよ。」(『金色青春譜』昭和9)
- 若い妻を持とうと言う料簡が、そもそも認識不足と言わなければならないが(『女軍』昭和13)
といった調子。獅子文六も「リットン調査団」とは全く関係ない文脈で、愉快に「認識不足」を使っています。そして、この楽しいノリは昭和13年頃まで続くのでした。
笑えなくなった「認識不足」の例
ところが日中戦争が長びくにつれて、「認識不足」のニュアンスに変化があらわれます。獅子文六の短編『売家』の例をご覧ください。オメカケさんを囲っている旦那が、自警団からの投石を恐れるセリフがこちら。
「僕一人、時代遅れの認識不足だとはいわれたくないからな。(略)それに、認識不足だが、……少し怖いんだ。」(『売家』獅子文六全集11巻/朝日新聞社)
おわかりいただけただろうか?
「認識不足」と「怖い」が結びついているのです。あらまあ認識不足よ♡♡的なニュアンスは、もうありません。この作品に対する全集の注釈はこちら。
「非常時」「一億一心」「贅沢は敵だ」「ほしがりません勝つまでは」の新体制下にあっては、長袖の着物も、ソフト帽も、もんぺ姿や戦闘帽でなければ「認識不足」とたたかれたものだった。(『獅子文六全集11巻』注解)
この時点で使われる「認識不足」は、そのまま「非国民」と言いかえることもできそうです。
▽短編『売家』の時代背景については、こちらもご覧ください。
モダンな職業が「認識不足」になってしまう時代
余談ですが、先日意外なところで「認識不足」を発見しました。雑誌「アンアン」の創刊にたずさわったことで知られる堀内誠一の自伝です。(『父の時代 私の時代 わがエディトリアルデザイン史』)
堀内誠一の父親はモダンな「図案家」でしたが、戦争が本格化するにつれて図案家を続けることが困難に。父親のスタジオで働いていた若者も、次々と出征していきます。
時代は不景気に続いて非常時体制へと進み、あってもなくても良いようなフリーの図案家などは“認識不足”で、だんだんレインボー・スタジオをやっていく事は不可能になってきました。
「フリーの図案家などは“認識不足”で」
この言い方!
父親の職業に、ふつう“認識不足”は使いませんよね。これを私なりに解釈すると、“フリーの図案家は、戦時下にそぐわない仕事だった”となります。
堀内誠一は戦中にまだ少年でしたが、「認識不足」の(非難をこめた)使い方を覚えていたのかもしれません。※“認識不足”の引用符は、私が付けたのではなく、もとからありました。
モダンに輝いていた堀内誠一の父親は、敗戦後は「酒の他には何事にも興味がなくなり」早死にしたそうです。こういうご家庭も多かったのだろうなあ。ツライ。
以上、「認識不足」にまつわるエピソードを紹介しました。
「あらまあ あなた認識不足よ」のようなふざけた歌や、戦争初期の獅子文六みたいな笑いを誘う用法は、まだ余裕があった時代の産物だったといえるでしょう。
その後日本は焼け野原への道をつきすすみます。戦時中の獅子文六について興味のある方は、こちらをご覧ください。narasige.hatenablog.com