漫画『大家さんと僕』(矢部太郎)を愛読しています。『大家さんと僕』で重要な位置を占めているのが新宿伊勢丹。読むたびに“「大家さんと伊勢丹は、ともに戦前〜戦後をかけぬけてきたのだなあ”と思うのです。
とくに印象的なのは“伊勢丹の3階から上はアメリカだった”というところ。
大家さんが見た伊勢丹はどんな感じだったのでしょうか?ヒントとなるカラー写真があったので、ご紹介しますね。
1952年の伊勢丹(漫画『大家さんと僕』を読んで)
“3階から上はアメリカ”。そんな時代(1952年・昭和27)に撮影された伊勢丹です。(伊勢丹の接収解除は翌1953年)
▽左が伊勢丹(エルメスの売り場あたりか)。ISETANと書かれたプレートが2箇所に。奥は花園神社の方向でしょう。バッと見た感じ、ほほえましい光景です。でも拡大してみると…。“passing Isetan Department Store, Tokyo, Japan, circa 1952”
▽拡大すると見えてくる標識。「軍」の文字が見切れています。「(伊)2階売場 御入口」の看板も。仮設の入り口??
▽上と同じ人が撮影したと思われる写真。こちらも1952年(昭和27)。キャプションに「伊勢丹裏のモータープール」とあります。「えっ?」となりますが、背景に見える3連の窓は、たしかに伊勢丹。“motor pool behind Isetan Department Store, Tokyo, Japan, circa 1952”
▽右が伊勢丹。こちらも、よく見るとジープが走っている。“In front of Isetan Department Store Tokyo, Japan, circa 1952”
https://www.flickr.com/photos/53149321@N06/4905662529/
上の写真の現在。(撮影:佐藤いぬこ。向きが違ったらごめんなさい)
▽伊勢丹の屋上から撮った写真。“May Day Parade passes Isetan Department Store 1952”
一連の写真が撮られた1952年(昭和27)は、ちょうど朝鮮戦争の時期にあたります。
▽関連話題:銀座にたたずむ女子は、野戦病院のドクターだった…
伊勢丹を遠くから見ると…
以上、1952年(昭和27)の伊勢丹写真でした。いかがでしたか?意外に今と変わらない部分もありますよね。
しかし伊勢丹に限らず、空襲を受けなかったクラシックな建物には御用心!優美な外観にだまされて「あれ?戦争って、大した事なかったのかなあ?」と錯覚しそうになるから。敗戦直後の新宿を引きで見るとこんな感じなんです。新宿が平らですよ…(『マッカーサーが見た焼け跡』文藝春秋)
拡大図。大家さんがいう「この辺りも空襲で何もなくなって」は、本当だった…
▽敗戦間もない頃、まだ14才の堀内誠一が伊勢丹宣伝課に入社しました。大家さんとすれ違っていたかもしれません。
伊勢丹を軸に時代がめぐる
『大家さんと僕』では、伊勢丹が時の流れの“イカリ”になっています。ヤミ市の回想シーンにも、遠くに伊勢丹が描かれているし…。
世代の違う「大家さん」と作者の「矢部さん」をつないだ伊勢丹。どんどん建物が消えていく日本で、貴重な存在です。ありがとう、サンクスエックス!