「ものすごく強い西洋への憧れ 」とシティポップ
「シティポップ」が海外で注目される現象について、マトを得ていると評判の記事を読みました。私は音楽に詳しくないけれど、とても腑に落ちた部分があったので引用します。
松永:あの当時の作り手が持っていた「ものすごく強い西洋への憧れ」が玉手箱のなかで保存されたままになっていて、その輝きだけが現代にビカビカっと届いてる。時間も場所も離れたところにいるリスナーにはその強さが不思議だし魅力的に見えるんでしょうね。
なるほど。シティポップは「ものすごく強い西洋への憧れ」が詰まったタイムカプセルなんですね。開けられる予定のなかったカプセルが異国で開封され、中から光があふれている感じ?かぐや姫の竹みたいに…?
シティポップと敗戦
そういやシティポップが誕生した1970後半~80年代は、意外と“焼け野原”に近いんです。たとえば今年(2021)は大滝詠一のアルバム『A LONG VACATION』発売40周年記念ですけれど「2021年→1981年」の40年間よりも、「1981年→敗戦」の方が短い。
▽大まかな図作ってみました。
参考画像:焼け野原の新宿
▽1945年の新宿伊勢丹。36年後の1981年、大滝詠一「君は天然色」。
▽1945年の新宿。34年後の1979年、松原みき「真夜中のドア」。
▽1945年の通勤通学。みんな下駄。28年後の1973年、ユーミンの「ベルベット・イースター」には「むかしママが好きだったブーツはいていこう」という歌詞が。無理…
▽1945年、屋根のない東京駅。鉄骨見えてます。35年後の1980年に山下達郎「RIDE ON TIME」。
▽1945年、謎の笑顔。背景の樹木も焼けていて、「マッドマックス 怒りのデス・ロード」に出てくる木みたい…
一方、終戦の年のアメリカは…
さて、日本が焼け野原になっている頃、アメリカはどうだったのでしょうか。雑誌「LIFE」のバックナンバーを検索をしてみれば、1945年(昭和20)の広告がキラッキラ。想像はしていたけど、ここまでとは!日本にとっては敗戦の年でも、アメリカの広告は通常運転なんですね。以下、「LIFE」1945年9月17日の画像をあげていきます。
▽「もんぺ」の無い国
▽食べ物の詰まった冷蔵庫
▽原爆記事の次のページには、タバコの美女…
▽上の広告と同じ号の日本の降伏。「JAPAN SIGNS THE SURRENDER」
以上、LIFE 1945年9月17日号からの引用でした。 もちろん広告=アメリカの現実ではないでしょうけれど、 それにしても日米の差がすごい。別の星。パラレルワールド。そりゃ「ものすごく強い西洋への憧れ」が生まれますわね。
「ランド」を作るミュージシャン、作らないミュージシャン
シティポップが生まれた時代は、“敗戦の残り香”がプンプンしている時代。
私は、芸人・マキタスポーツが、10年ほど前のポッドキャスト言ってた「最近のミュージシャンは『ランド』を作らない」説が忘れられません。
最近のミュージシャンは「ランド」を作らない。等身大の自分を歌う。自分は「元春ランド」に憧れて上京したけど、実際の東京との違いにガッカリした。
と、だいたいこんな感じの説でした。
思えば 昭和の人気者は「ランド」作りの名人がそろっていました。マキタスポーツが少年時代に憧れた「(佐野)元春ランド」をはじめとして、「ユーミン・ランド」「わたせせいぞうランド」「やれやれランド」など、色々ありそう。
シティポップも「ランド」の一種。今後、シティポップを聴いた未来人が、「おお、こんなに豊かでアーバンな時代があったなんて✨」と、真に受けすぎませんように!
▽「おんぶ」とシティポップ