佐藤いぬこのブログ

戦争まわりのアレコレを見やすく紹介

「銃後のハナ子さん」その2  産めよ殖えよ

先日、戦中の漫画『銃後のハナ子さん』の誕生エピソードについて書きました。本日はその続き、『銃後のハナ子さん』の時代背景です。

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「日本一の子を作れ」特集と、『銃後のハナ子さん』

『銃後のハナ子さん』は戦時中、「主婦之友」に連載されました。「主婦之友」昭和14年6月の特集はズバリ「日本一の子を作れ」(!)。その号の『銃後のハナ子さん』をご紹介しますね。

▽こちらはハナ子さんの婚約者「五郎さん」と、ハナ子さんのお父さん。 五郎さんはお義父さんに結婚式を早めるように頼んでいます。いつ出征してもいいように、ということなんでしょう。(※お灸をこういう用途に使ってはダメですよ・笑)

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▽これはオチのコマ。婚約者の五郎さんに内緒で「オムツ洗いの予行演習」をしていたハナ子さん。結婚式を早め、さらに「オムツ洗いの予行演習」もしておく。段取り良し!

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銃後のハナ子さんの時代背景「東亜に満てよ」

上記の「お灸」&「おむつ」が出ていた号(「主婦之友」昭和14年6月)の別ページはこんな感じ。「産めよ 殖えよ 東亜に満てよ!」。 人気漫画家がモダンな産院をレポートしてます。

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「主婦之友」昭和14年6月 漫画:近藤日出造

立派な働きができなければ、生まれなかったと同じ?!

上記の産院めぐりは“愉快な漫画ルポ”の体裁をとっているけれど、巻頭には厚生大臣廣瀬久忠)の、愉快じゃないお言葉が。

これからの日本では、いわゆる長期建設、東亜新秩序の建設を実現するために、いろいろな事業を盛んにしなければならないし、大陸へもどしどし人を送らなければならない。そのため沢山の人数が要る。どんなに沢山の人があっても多すぎるということは無い。だから1人でも日本人を殖さなければならない。1人でも多く子供を産まなければならぬ。(略)

たとえ育ったとしても、その人が世の中に出て立派な働きができなければ、生まれなかったと同じ、と言っては悪いかもしれぬが、生まれて育った意義が少ないと思う。(「主婦之友」昭和14年6月)

 「立派な働きができなければ、生まれなかったと同じ」って!!ひどいー

強い子を育てる義務

▽こちらは「主婦之友」昭和14年9月号の広告。パッと見かわいいけれど、「あなたのお子さんが虚弱体質で人生の落伍者にならぬよう」と、圧をかけてくる。(他の記事にも「人的資源拡充強化」「強い子を産んでご奉公」みたいなあからさまな文字がおどっていてドキドキ…)

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「主婦之友」昭和14年9月 

アジアに満ちていくイメージ

こちらは「主婦之友」昭和14年4月号。“東亜に満てよ”感が横溢ですな。以下、抜粋します。

亜細亜の目覚め ああ聖戦のゆくところ 王道ありて楽土あり 「東洋人の東洋」を光あらせよ、来たらせよ

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「主婦之友」昭和14年4月

▽美しき半魚人。建設日本、海洋日本!

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「主婦之友」昭和14年9月

▽晴れやかに突き進むこの感じ。アマプラの「高い城の男」を連想してしまう。

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『銃後のハナ子さん』から、『アトミックのおぼん』へ

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「主婦之友」昭和14年9月

以上、『銃後のハナ子さん』とその時代背景でした。おっとり「銃後」を守っているかのように見えるハナ子さんですが、同じ誌面には“殖えろ”だの、“産んだからには強く育てろ”だの、ご時勢の圧がヒシヒシと。

ちなみに『銃後のハナ子さん』の作者・杉浦幸雄は、戦後『アトミックのおぼん』という女スリの漫画を描いています。“銃後の健気な婦人”から“豪快な姐御”へ。これまた戦中・戦後の振れ幅が大きいですね!

戦争が終わって、言論が自由になったので、待ってました!とばかり飛びついてかいたの私流のカルメン、それがこの『アトミックのおぼん』なのです。私のカルメンは、戦後の焼け跡の闇市の徒花として生まれました。(『アトミックのおぼん』あと書きより)

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『アトミックのおぼん』杉浦幸雄 小学館文庫

▽参考:「銃後のハナ子さん」が掲載されていた主婦之友は、昔から「産めよ殖えよ」といっていたわけではなく、日中戦争の開始前までは「セレブ大好き、オシャレ大好き」みたいな雑誌でした。

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