『胡椒息子』の連載と、時代の急変
私は、昨年(2020)『ご時勢の急変と、獅子文六』という冊子を作りました。その中で、“時代の潮目がグッと変わった頃”の作品として紹介しているのが『胡椒息子』です。『胡椒息子』は、雑誌に1年間連載しているうちに世の中が動いてしまった。そう、日中戦争がはじまったのです。
「主婦之友」の変わりっぷり
『胡椒息子』は雑誌「主婦之友」に、昭和12年8月から昭和13年9月まで連載されていました。『胡椒息子』の連載がはじまった頃の「主婦之友」は、キラッキラの婦人雑誌。「お洒落大好き!宝塚大好き!」といった感じの内容です。ところが、『胡椒息子』の初回から3ヶ月後には、もうカラーが変わっている。ためしに連載されていた1年間の「主婦之友」イメージ図を作ってみましたよ。(わかりやすいように、ちょっと強調しています笑)
帝国日本の終わりの始まり
なぜ、キラキラ雑誌がグッと変わったのでしょう。その理由はコチラ。
辻田 真佐憲『日本の軍歌』より
1937 (昭和12)年7月7日の盧溝橋事件は、帝国日本の終わりの始まりだった。現地部隊の小競り合いを収拾できなかった日本は、やがて日中間の全面戦争、そして太平洋戦争へと引きずり込まれていく。
つまり『胡椒息子』は昭和12年初夏、「帝国日本の終わりの始まり」とともに連載がスタートしたということになりますわね。
時局の急変と、誌面の変化
「いやいや、短期間で雑誌がそんなに変わるわけないでしょ?」と思われるかもしれませんので、例として当時の誌面を貼ってみます。これは『胡椒息子』第1回目の昭和12年8月号目次。妖艶な美女がにっこり。
同じく、昭和12年8月号の本文。ピタッとした水着に、あらわな脇の下。こんな感じの浮かれた女性とお色気ポエムがてんこもり!これが昭和12年初夏までの「主婦之友」のイメージです。
「支那事変」後の誌面はガラッと変わる
▽ところがたった3ヶ月後の昭和12年11月号のイラストはこんな感じ。戦地のイケメンがドーン。「皇軍の戦死者は最後の一瞬に必ず『天皇陛下万歳』を叫んで息を引き取っている」。ええええー。
▽同じく昭和12年11月号目次もこんな感じ。ただ、化粧品の広告は大量に掲載されています。(各ブランドとも、“お肌を守って銃後も万全”みたいなコピーをつけている)
その後、「主婦之友」(に限らないけれど)は、敗戦に向かってガンガン変化していくのでした。戦争末期の「主婦之友」の凄まじさは、早川タダノリさんのブログ「虚構の皇国」内の狂気の「ぶち殺せ!」標語で見ることができます。
金持ちキャラの気配が消えてしまう
時代や掲載誌の雰囲気が変われば、連載中の小説にも影響が。連載スタート時の『胡椒息子』では、金持ちのライフスタイルがさんざん茶化されていて、モダン生活の贅沢カタログとしても楽しめます。
ところが1年間の連載が終わりに近づくと、金持ちの存在感がものすごく薄くなる!代わりに登場するのは、貧しく善良な人ばかりに。*1想像ですが、当初は「金持ち・庶民・金持ち・庶民」とリズミカルに繰り出す予定だったのではないでしょうか。
▽ちなみに『胡椒息子』第1回目の挿絵はこんな感じ。主人公の少年の姉が、お洒落椅子にダラっと座っています。この一家は美容に命をかけていて、邸宅の中には美容院並みの設備を持っている。こんなライフスタイル、もっと知りたいじゃありませんか!読者も興味津々だったと思いますよ。
▽この金持ち令嬢、デートのために羽田から「エア・タクシー」にのろうとするんです。贅沢すぎる!でも、終盤に向かって彼女の出番は減るばかり。
以上、『胡椒息子』と、時代の急変でした。
コロナ禍を経験した私たちにとって“短期間に世界が変わる”ことが、人ごとではなくなってきました!とはいうものの、『胡椒息子』にはまだ戦争の雰囲気がほとんど感じられません。ことに、現代の私たちがサッと読む分には…。ただ、神社の夏祭りが小さくなったり(「支那事変の折柄、派手な本祭りは遠慮して」)、主人公の少年が「愛国行進曲」を口ずさんだり、子供部屋の散らかし方の比喩が「それは、わが荒鷲の襲撃を受けた、支那軍飛行基地だ」になったり、しています。しかしそれらもほんの1、2行出てくる程度なんですよね。
▽というわけで、『胡椒息子』の副読本としておすすめしたいのが、『戦下のレシピ』です。戦中の婦人雑誌の右往左往ぶりがまとめられていて、地味な外観からは想像できないほど皮肉がきいている。読みやすいので、ぜひ!
別の機会に、『胡椒息子』が口ずさんでいる「愛国行進曲」についてふれたいと思います。続く。
▽獅子文六『悦ちゃん』がきっかでデビューした少女スターと、時代の急変についてはこちらを
*1:もっとも、その後の獅子文六作品では、軍需産業の成金令嬢など、あらたな金持ちキャラが登場して、これがまた面白いんです。