元・基地の街で「ラストナイト・イン・ソーホー」をみました
地元・立川のシネコンで『ラストナイト・イン・ソーホー』みてきました!1960年代の文化を愛する少女が、憧れていた時代の“闇”を見てしまうお話です。
観た後、「もし『ラストナイト・イン・ソーホー』みたいな、タイムスリップ体質(?)の少女が日本にいたらどうなるかなあ。たとえば1950年代前半の立川に来たとしたら…」などと想像してしまいました。
昭和レトロ好きのお嬢さんが、朝鮮戦争の頃の立川にワープしてきたら、はじめのうちこそ、わあ外国みたい!と喜んでくれるかもしれません。はじめのうちは。しかし、立川もなにかと残留思念の街…。すぐにツラくなりそうです。
今日は基地の街「立川」のナイトライフと、立川の影響をモロに受けた隣町=国立(くにたち)を紹介しましょう。
▽なぜこの時代に、立川のカラー写真があるのか?理由はこちらをご覧ください。
1950年代前半の立川
まずはflickrより、ナイトクラブ「グランド立川」のフロアショー。Grand Tachikawa Floor Show in Tokyo circa 1952
Grand Tachikawa Floor Show in Tokyo circa 1952
「グランド立川」の客席。GIs at the Grand Tachikawa Floor Show circa 1952
画面中央に「グランド立川」の広告。下には靴磨きが並んでいる。Best Night Club, Grand Tachikawa billboard near Hachioji Station, 1952
広告をちょっと拡大。“ゴージャスなフロアショー、200人のチャーミングなホステス”などと書かれています。
立川ナイトライフ
以下の写真7枚は、朝鮮戦争の頃に立川基地勤務だった人のサイト(James L Blilie Photos of Japan in 1952 and 1953)から。「タチカワ ナイトライフ」というキャプションがついていました。
▽映画のセットのような。
▽楽しく踊っているようにみえるけれど、戦場への恐怖でヤケになっている状態かもしれません。→詳しくは、朝鮮戦争・聖路加病院・立川基地 - 佐藤いぬこのブログをご覧ください。
▽華やかなライトを浴びているのに、もの悲しさの漂う女子楽団。“Officer's Club, Tachikawa Air Base, Smiley's Orchestra”
▽立川基地の入り口。
▽「Ready to fly to Korea」というキャプションがついていた写真*1。
“街の女”を抱える立川と、隣接する学園都市
1950年代前半の立川にワープしたお嬢さんは「あれ?想像していた“昭和レトロ”と、ちょっとイメージが違う…」と思うかもしれません。さらに、立川に隣接する「国立(くにたち)」という町の大騒動に気づくことでしょう。
今でこそ「国立(くにたち)」は、ドラマやアニメの舞台になるキレイな学園都市ですが、自然にそうなったわけじゃない。「国立」は立川基地の影響を考えて、町中がすったもんだの末に「文教地区」となったのです。参考までに1951年6月26日朝日新聞を見てください。
「学園都市か“町の繁栄か”」「文教地区指定 國立町で鋭い対立」
同町はおびただしい“街の女”を抱えている立川市に隣接しており、これらの女性が最近では國立町にまで進出、日本有数の学園都市が台無しになる恐れがある として…
学園都市で「乱痴気騒ぎ」
新聞に「おびただしい“街の女”を抱えている」と書かれてしまう街、立川。
そのお隣=国立(くにたち)が文教地区になったプロセスは、国立市が冊子『まちづくり奮戦記 くにたち文京地区 指定とその後(くにたち郷土文化館)』にまとめてます。
国立に多くの米兵が来るようになったのは、1950 (昭和25)年の朝鮮戦争の折で、大量の兵士が駐留するようになったからでした。
立川基地に駐留している米兵が女性を連れて国立地区の飲食店や旅館にやってくるようになったのです。(略)。 やがて、普通の旅館が米兵と女性相手のホテルになったり、下宿屋が学生追い出して娼婦を住まわせ、そこに米兵が通ってくるという事態になります。一橋大学構内では、米兵と女性が人目もはばからず戯れ、それを子供たちが見物するという光景も見られるようになりました。 ホテルなどで深夜まで続く乱痴気騒ぎのため、静かな環境は一変しました。
ちなみにこの『まちづくり奮戦記』は、とても読みやすい場所に置かれているんですよ。JR国立駅前の復元駅舎(←現在の駅に隣接)の資料コーナーで、簡単に閲覧できます。
「ラストナイト・イン・ソーホー」的タイムスリップお嬢さんも、国立駅の復元駅舎でこれを読んでおけば、1950年代の世相をつかむことが可能!夜ごとの悪夢は、グッと解像度が上がってしまうかもしれないけれど…。
以上、1950年代前半の立川のアレコレでした。現在の立川は驚くほど再開発がすすんでいるので、過去を連想させるものはまったく残っていません。
*1:ちなみに、立川基地の飛行機を整備する日本人を描いた小説が『フィンカム―米極東空軍補給司令部』です。整備とは名ばかりで、実際は過酷なトイレ掃除を押し付けられる話