提灯行列で東京じゅうが大騒ぎ
映画「アネット」(2021)のエンディングは、カラフルな提灯行列が印象的でしたね。実は、日本も盛んに提灯行列をしていた時期がありました。
たとえばこれは日中戦争がはじまった昭和12年の光景です(昭和12年12月13日/影山光洋撮影)。今日は戦中の提灯行列エピソードを紹介しましょう。
提灯屋さん大忙し
東京中央区のお年寄りの座談会記録に、ズバリ、提灯屋さん(大正7年生)の証言があったので引用しますね。提灯屋さんはふだんヒマだけれど、非常時に忙しくなるのだとか。
【『中央区の昔を語る・11』 (1997年 中央区教育委員会)】
司会)戦争中はずいぶん提灯行列というのはありましたよ。一時、勝った勝ったという時期があったんですよ。それはもう東京じゅう大騒ぎで、提灯行列というのにずいぶん駆り出されて僕らも行ったものです。
川瀬)提灯屋は天皇陛下が亡くなったとか、御即位式があったとか、戦争があったとか、そういうことがないとあまり忙しくないんです。世の中あまり平和では、後は盆踊りとか、お祭りとかいうことですね。
ですから、満州事変が始まって満州の国ができたとか、それからあとは北京が落ちた、上海が落ちた、また南京が落ちたというたびに宮城に向かって提灯行列という火の波を当時は行って、それに対する提灯を補給したような訳で、非常にその時分は提灯屋は忙しかったんです。
「北京が落ちた、上海が落ちた、また南京が落ちた」…当時を知る人の言葉って、ザックリしているけれど、時代の空気が冷凍保存されているなあ。
【参考画像】「南京陥落」を掲げた有楽町の日劇(現在の有楽町マリオン)。昭和12年12月13日/土門拳撮影。
提灯行列の先頭は「一流の店」
提灯屋さんの証言の続きです。
私どもはその提灯行列の提灯を納めるので日立造船、日立製作所、三菱商事、三井、ああいう一流の店はやはり先頭に立って提灯行列をしましたもので、何万個納めるとかそういうことで本当に忙しかったということでございますけれども、別にそれがプラスになって残ったという事はありませんで、提灯屋どおり骨と皮で残っております。(「 中央区の昔を語る(11)」中央区教育委員会)
この「一流の店は先頭に立って提灯行列をしました」という部分。“あ!やっぱりそういう感じ?”となりませんか?つい東京オリンピックの聖火リレーを連想してしまう。
陥落したのは「僕の彼女」
参考までに、提灯行列をネタにした「陥落祝い」というタイトルの漫画をどうぞ。浮かれすぎ…(新潮社『日の出』昭和13年2月)
「おや、一体今日はどこが陥落した提灯行列で……」
「今日は僕の彼女が陥落したお祝いだーい」
全体はこんな感じ
▽少女雑誌にも提灯行列が。日中戦争開始から1年経過した頃の『少女倶楽部』(大日本雄弁会講談社 昭和13年8月)です。「見よ東海の空明けて♪」と「愛国行進曲」を口ずさみつつ提灯行列する少女たち。
以上、提灯行列のあれこれを紹介しました。
最後にオマケ。 提灯行列そのものではありませんが、昭和13年、銀座の大きなカフェで[提灯みたいな飾り付け]をしている様子です。奥の方に「漢口*1陥落」の文字が見えますね。手前には鉤十字の提灯も…
斎藤美奈子さんがいう「戦争初期はイケイケ気分」(『戦火のレシピ』岩波現代文庫)が満ちている写真です。今回、白黒写真を引用した写真集『銀座と戦争』(平和博物館を創る会・編)は、【戦争初期の浮かれた銀座】から【空襲で壊滅状態の銀座】まで盛りだくさん。おすすめです!
▽銀座から有楽町にかけての浮かれ具合は、コチラもご覧ください。