佐藤いぬこのブログ

戦争まわりのアレコレを見やすく紹介

「勝った勝った」の提灯行列と、大企業

勝った勝った、で提灯行列

映画「アネット」のエンディングは、カラフルな提灯行列が印象的でしたけど、日本も盛んに提灯行列をしていた時期がありました。たとえばこれは、日中戦争がはじまった昭和12年の提灯行列。

『銀座と戦争』(平和博物館を創る会・編)

戦争で提灯屋さん大忙し

東京中央区のお年寄りの座談会記録に、ズバリ提灯屋さん(大正7年生)の証言があったので引用しますね。提灯屋さんって、平時はヒマだけど非常時に忙しくなるようで。

司会)戦争中はずいぶん提灯行列というのはありましたよ。一時、勝った勝ったという時期があったんですよ。それはもう東京じゅう大騒ぎで、提灯行列というのにずいぶん駆り出されて僕らも行ったものです。

 

川瀬)提灯屋は天皇陛下が亡くなったとか、御即位式があったとか、戦争があったとか、そういうことがないとあまり忙しくないんです。世の中あまり平和では、後は盆踊りとか、お祭りとかいうことですね。

ですから満州事変が始まって満州の国ができたとか、それからあとは北京が落ちた、上海が落ちた、また南京が落ちたというたびに宮城に向かって提灯行列という火の波を当時は行って、それに対する提灯を補給したような訳で、非常にその時分は提灯屋は忙しかったんです。(「 中央区の昔を語る(11)」中央区教育委員会

「北京が落ちた、上海が落ちた、また南京が落ちた」…当時を知る人の言葉って、ザックリしているけれど、時代の空気が冷凍保存されているなあ。

▽同様に、出征関係の「旗」の需要もすごかったみたいですよ。

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提灯行列の先頭は「一流の店」

提灯屋さんの証言の続きです。

私どもはその提灯行列の提灯を納めるので日立造船日立製作所三菱商事、三井、ああいう一流の店はやはり先頭に立って提灯行列をしましたもので、何万個納めるとかそういうことで本当に忙しかったということでございますけれども、別にそれがプラスになって残ったという事はありませんで、提灯屋どおり骨と皮で残っております。(「 中央区の昔を語る(11)」中央区教育委員会

この「一流の店は先頭に立って提灯行列をしました」という部分。“あッ、やっぱりそういう感じ……?”となりませんか?つい東京オリンピック聖火リレーを連想してしまいます。

www.tokyo-np.co.jp

陥落したのは「彼女」💕

「提灯行列」をテーマにした漫画もあったので、参考までにどうぞ。浮かれすぎ!(新潮社「日の出」昭和13年2月)

「おや、一体今日はどこが陥落した提灯行列で……」

「今日は僕の彼女が陥落したお祝いだーい」

以上、簡単ですが戦時中の提灯行列エピソードでした。最後にオマケ。これは 提灯行列じゃないけれども、昭和13年、大きなカフェで、“提灯を模した飾り付け”をしている写真です。奥の方に「漢口陥落」の文字が見えますね。←漢口は、現在の武漢

斎藤美奈子さんがいう「戦争初期はイケイケ気分」(『戦火のレシピ』岩波現代文庫)が満ちている写真です。今回、白黒写真を引用した『銀座と戦争』(平和博物館を創る会・編)は、戦争初期の浮かれた銀座→空襲で壊滅状態の銀座まで盛りだくさん。おすすめです!

「カフェでも万歳」昭和13年11月玄光社/『銀座と戦争』(平和博物館を創る会・編)

▽銀座〜有楽町のうかれ具合は、コチラもご覧ください。

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