獅子文六と【戦争→敗戦→どん底からの復興】
かまいたち濱家が歌っている「ビートDEトーヒ」。ダンスは可愛いけど、歌詞はけっこう暗いんですね。“ポップなビートで、トーヒ(逃避)したい。つらい現実から目をそらしたい”みたいな内容で。
🕺#ビートDEトーヒ踊ってみた💃
— Venue101 (@nhk_venue101) 2022年10月25日
/#ハマいく💐
\#Venue101 MC#生田絵梨花 #濱家隆一 による
ユニット #ハマいく🕺💃
デビュー曲「#ビートDEトーヒ」
踊ってみました💕
📱デビューの舞台裏はこちら📱https://t.co/ZOx2Lk1Ao9#お互いに照れちゃう#最高のMC🤭#みんな踊ってね pic.twitter.com/QaoqPnecK1
「ビートDEトーヒ」。
“ポップなビートを利用して、現実から逃げたい”という願い。
同様の願いを、戦中〜戦後と満たし続けたのが、昭和の人気作家・獅子文六だったのかもしれません。
獅子文六がユーモア作家としてブレイクしたのは、40歳代前半。意外と遅いですよね。そしてブレイクしたとたんに、日中戦争がはじまります。
つまり獅子文六の40〜50代は【戦争→敗戦→どん底からの復興】という、かなり厳しい時代と重なっているのです。
ブレイクのきっかけとなったポップな『悦ちゃん』も、(現在は)痛快小説として売られている『おばあさん』*1も、実はノンビリした時代に生まれたお話じゃなかったりする。(人気作『コーヒーと恋愛』は、獅子文六が69歳頃の作品なので、今はいったん脇においておきます)。
うすれる戦争の記憶
ところが21世紀になって戦争の記憶がうすれると、当時の“トーヒ(逃避)したい”ニーズは忘れられ、獅子文六の“ポップ”が漉されて残る。
その結果、現代の私たちには、
『悦ちゃん』は(226事件から間もない頃の連載なのに*2)ポップ。
『おばあさん』は(日米開戦後の連載なのに)ユーモアいっぱい。
『自由学校』は(占領下なのに)ドタバタ愉快。
といった感じに見えてしまいがち。なので、獅子文六を読むときは、当時の読者の“トーヒ(逃避)したい”願望を、ちょっぴり脳内補完するといいんじゃないでしょうか?
獅子文六自身も、“私の小説は「時代」が主人公で、登場人物はワキ役”*3としていることだし、ここは「主人公」=「時代」に思いをはせてみたい。
「強者のほがらかさ」と、獅子文六『自由学校』
中野翠氏が、獅子文六『自由学校』(昭和25)についてこう書いていました。
こういう、いわば強者(経済的にも知的にも恵まれている階層)のほがらかさが、一九五〇年の日本の大衆に支持されたという事実――。ちょっと不思議な気がする。(筑摩書房) - 著者:獅子 文六 - 中野 翠による書評
私も『自由学校』の強者率の高さが不思議でした。なにしろ主人公は、満鉄副総裁*4の息子でボンヤリ者だし、彼の妻もお嬢様育ち、親族は知識階級という設定なんですよ。敗戦5年目の新聞連載なのに、読者は「強者のほがらかさ」にムッとしなかったのかしら…。
しかし「ビートDEトーヒ」を聴いてからは考えが変わりました。その時代は、きっと「強者のほがらかさ」が、もとめられていたのだと。敗戦国のむごい現実から「逃避」するなら、やっぱり自分とは真逆の人物=【上流階級の昼行灯】にログインしたいじゃないですか!
▽参考画像。焼けた新宿です。逃避したいー
▽…というわけで、獅子文六の16作品(昭和11年〜25年)を並べた冊子を作っています。ぜひごらんください。