戦時ラブコメは、設定がむずかしい
昭和の人気作家・獅子文六の『虹の工場』(昭和15)は、いわば戦時ラブコメです。
“巨大軍需工場のお坊ちゃん”と、“町工場の職工”が、ひょんなことから同じ女の子(キャフェの女給)を好きになってしまうお話で、舞台は蒲田。
「え?戦争中にラブコメが成立するの?しかも蒲田で?」と思われるかもしれませんが、これがギリギリのバランスで成立しています。
もっとも、このバランスはとても微妙。“主要人物が(この時点では)兵役を免れている”という大前提があって、なんとかラブコメの形を保っている状態です。
なにしろ、巨大軍需工場の御曹司は「徴兵検査丙種」。彼は「銃をとって、軍国のお役に立ちたくても」それができない超虚弱体質。
そして、御曹司の恋のライバル=「職工」は、若くて健康なのに「どうしたわけか兵役も補充兵に回され」ている。
そう。彼らが出征したらストーリーが終わってしまう、または別のストーリーがはじまってしまう、そんな時代なんです。ちなみに獅子文六の『娑羅乙女』(昭和13)・『女給双面鏡』(昭和13)は、出征と同時に話が終わります。
2人の男性に愛されるヒロインが、軍需工場のそばに乱立する歓楽街で働いているのも、戦時中ならではの設定です。
▽参考画像:徴兵検査
一目見て 甲種ときめた 好い体
もっとも、この3人には恋のかけひきは全然ありません。御曹司は人間ギライの引きこもりだし、「職工」と「女給」は、(奇跡的に)真面目な性質だから。
私は『虹の工場』読むとき、「 チェリまほ」の俳優さんにあてはめているんですよ。神経質でイケメンの御曹司=黒沢。内気な職工=安達。純朴な女給=藤崎さん。どうです、いいでしょう?
今こそ読んでほしい、戦時ラブコメ
『虹の工場』の舞台・蒲田は軍需景気で大賑わい。工場脇の歓楽街は、金を持った【職工=産業戦士】で満員だし、出てくる悪党はマヌケぞろい。御曹司の邸宅はメチャクチャ豪華、軍需成金のマダムたちは三越でお買い物。『虹の工場』は、戦争の暗部が最小限に抑えられているエンタメ小説です。
一方、時々ネタはどんどん放り込まれている。つまり、私たちは、ラブコメを読みながら、「興亜奉公日」「代用皮革」みたいな、戦時中の言葉をスルスル覚えることができてしまうわけ。
残念なことに、未来人の私たちは『虹の工場』を手放しで楽しむことはできません。たった数年後、日本が焼け野原になることも、軍需工場が空襲の標的になることも知っているから。しかし、だからこそ2023年に読んでみてほしい小説です!
▽参考:【職工=産業戦士】のヤンチャぶりがうかがえる本。