戦時ラブコメは、設定がむずかしい
昭和の人気作家・獅子文六の『虹の工場』(新潮社『日の出』昭和15年1〜12月連載)は、いわば戦時ラブコメです。
【巨大軍需工場のお坊ちゃん】と、【町工場の職工】が、ひょんなことから同じ女の子(キャフェの女給)を好きになってしまうお話で、舞台はなんと蒲田。
「え?戦争中にラブコメが成立するの?蒲田で?」と思われるかもしれませんが、これがギリギリのバランスで成立しているのです。連載時の昭和15年は斎藤美奈子さんがいう「戦争初期はイケイケ気分」(『戦火のレシピ』岩波現代文庫)が、まだあったらしい。
もっとも、このバランスはとても微妙で。
“主要人物が(この時点では)出征していない”という大前提があって、ラブコメの形を保っている状態だったりします。
なにしろ、巨大軍需工場の御曹司は「徴兵検査丙種」。彼は「銃をとって、軍国のお役に立ちたくても」それができない超虚弱体質です。
一方、御曹司の恋のライバル=「職工」は、若くて健康なのに「どうしたわけか兵役も補充兵に回され」ている状態。
そう。彼らが出征したらそこでストーリーが終わってしまう(または別のストーリーがはじまってしまう)そんな時代なのです*1。
2人の男性に愛されるヒロインが、軍需工場のそばに乱立する歓楽街で働いているのも、戦時中ならではの設定といえるでしょう。
▽参考画像:徴兵検査
一目見て 甲種ときめた 好い体
もっとも、戦時ラブコメといっても主要人物に恋のかけひきは全然ありません。軍需工場の御曹司は男前だけれど引きこもりだし、「職工」と「女給」は、(奇跡的に)真面目な性質だから。
私は『虹の工場』読むとき、「チェリまほ」の俳優さんにあてはめています。軍需工場の御曹司=町田啓太。内気な職工=赤楚衛二。純朴な女給=佐藤玲。どうです、いいでしょう?
今こそ読んでほしい、戦時ラブコメ
『虹の工場』の舞台・蒲田は、昭和12年の「支那事変」以降、軍需景気で大賑わい。
工場そばの歓楽街は、金を持った【職工=産業戦士】で満員だし、出てくる小悪党はマヌケぞろい。御曹司の家は超豪華、成金の蒲田マダムは銀座でお買い物。つまり『虹の工場』は、戦争の暗部が最小限に抑えられているエンタメ小説なのです。
一方、時々ネタはどんどん放り込まれているので、私たちはラブコメを読みながら、「興亜奉公日」「代用皮革」といった戦時中の言葉をスルスル覚えることができるわけ。
残念なことに、未来人の私たちは『虹の工場』を手放しで楽しむことはできません。たった数年後の日本が焼け野原になるのを知っているから。特に軍需工場は狙われるから。しかし、だからこそ今読んでみてほしい小説なのです。
▽参考:【工場の職工=産業戦士】のヤンチャぶりがうかがえる本。