佐藤いぬこのブログ

戦争まわりのアレコレを見やすく紹介

夜電波と、母

菊地 成孔さんがポッドキャストで語る大久保〜新宿と、私の母の幼い頃(昭和15~19年)の行動エリアがかなり重なることがわかって驚いています。


「粋な夜電波」でのその地域は、愛の玄人が闊歩する不夜城…ですが、母の一家は愛のド素人ぞろい。イメージが違う‥

↓この絵は母の記憶スケッチ。
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母による絵の解説
昭和15年頃の大久保はまったく小市民の住宅地で、ところどころに偉いさんのお屋敷があった。家の前の大道路(伊勢丹の西面に出る)を軍隊が時々、月に一度位、ザックザックと通る。軍楽隊も交えて沢山の兵隊さんがパレードを行う。壮観なものだったが、さて絵におこしてみたら、バラバラの阿波踊りみたいだし、馬はアルパカになってるし、病み上がりのふるえる手でこのテーマはまずかった。


「地図で見る新宿区の移り変わり淀橋大久保編」によれば「昔からの住人で焼けだされた人々のうち、大久保に戻ってきたものはいくらもいなかった」→というわけで、敗戦後、街の景色は一変したらしい‥。(母も、戦後は大久保に戻りませんでした。茨城に疎開した後、ずーっと茨城にいて茨城弁の父と結婚。)


参考画像。戸山公園の中にある陸軍戸山学校軍楽隊野外演奏場跡です。



(「地図で見る新宿区の移り変わり 淀橋・大久保編」を読んで、母と同時代、同じ町内に住んでいた人に森村桂さんがいたことがわかりました。森村桂さんの家は敗戦後の大久保に、疎開先から戻ったのです。しかし下宿人として部屋を貸した人が、“そのスジの方達”と判明。彼らに出て行ってもらうために勇気をふりしぼった経験が、森村桂さんを何事もおそれない性質にしたそうです。)

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