プロパガンダ美術の展示@竹橋
宣伝も図録もないことで評判になっている東京国立近代美術館の企画展「記録をひらく 記憶をつむぐ」。もういらっしゃいましたか?タイトルからはわかりにくいけれど、戦争画、プロパガンダ美術の展示です。
私は今、足を痛めているのですが、おそるおそる行ってみました。中央線のグリーン車(750円)を奮発して足を休ませつつ…。でも見どころの多い展示内容だったのでつい歩きまわってしまい、帰路は足がズキズキ。どうぞみなさまも用心してお出かけください。
獅子文六『海軍』と、国策グラフ誌を組み合わせた展示
東京国立近代美術館「記録をひらく 記憶をつむぐ」は藤田嗣治をはじめとした戦争画がメイン。そして今回私が個人的に注目したのは、昭和の人気作家・獅子文六の小説『海軍』でした。(私は獅子文六と戦争をテーマにした冊子を作っているのです→⬜︎)
小説『海軍』は《若者をソノ気にさせた罪深い出版物》…みたいなコーナーに、ひっそりと展示されていたんですよ。
現在、獅子文六は、洒脱なユーモア小説が知られています。しかし(昭和の人気者にありがちなことですが)、戦争中は別の顔を持っていた*1。
『仁義なき戦い』で知られる脚本家・笠原和夫が、獅子文六のことを「筆力をもって若者たちを海軍に志向させた」*2作家と書いたように、獅子文六は国策に沿った作品もけっこう手がけていたのです*3。
▽戦後の代表例。オシャレな表紙の『コーヒーと恋愛 』(昭和37)
▽私の手持ちの本で、国立近代美術館の展示を再現してみた。獅子文六の『海軍』と、情報局の国策グラフ誌『写真週報』(「お父さん、お母さん、ボクも空へやって下さい」号)が、ガラスケースに並べられていたのです。たしかにこの2冊は目指す方向が同じ!
獅子文六『海軍』
小説『海軍』は、獅子文六が本名の「岩田豊雄」で朝日新聞に連載し、すぐ映画化されました。
『海軍』の新聞連載がはじまったのは、真珠湾攻撃の翌年(昭和17)。ピュアな少年が海軍士官を目指し、真珠湾で美しく(童貞のまま)戦死するお話で、当時の男子は『海軍』に夢中。熱狂的なファンの少年の中には、先述の脚本家・笠原和夫もいたというわけです。
獅子文六『海軍』より
「真人は、もう軍神なのだ。永遠に23歳の海軍少佐であり、また、童貞の英雄なのだ。あらゆるものが、美しいのだ。真人を形づくるすべてが、美しくなければならない。」
平和な時代であれば、少年がいくら「童貞の英雄」に陶酔しようが、憧れは憧れのままで終わるもの。しかし当時は「憧れ」と「死」が直結していたのです。
国策グラフ誌「写真週報」
ここで獅子文六『海軍』と一緒に並べられていた国策グラフ誌「写真週報」(昭和18年9月「お父さん、お母さん、ボクも空へやってください」号)も見てみましょう。お国が出していた雑誌で、私も何冊か持っています。
▽同じ号の巻頭には勇ましくハデな言葉がならびます。「突込もう」って…。
天翔ける御霊に続いて敵都に突込もう
▽そして「写真週報」の同じ号から、両親へのお願い。「空にいく」という、ふんわりした表現をしつつも、すかさず「海軍少年飛行兵になるには」の項目へ誘導している。
日本中のお父さん、お母さん方に申し上げます(略)。子供はすでに空にあこがれ、空にいくことを決意しているのです。ただ、両親が空にいけという一言をまっているだけなのです。子供達のこの真剣な、熱烈な希望をゆるし、進んで激励してあげてください。
プロパガンダ→朝ドラの原作者へ
さて、上記の国策グラフ誌『写真週報』の創刊にたずさわったのは、内閣情報部の林謙一という人物でした。
今回、調べてみて気がついたのですが、その「林謙一」も、「獅子文六」も、戦後はNHK朝ドラの原作者になっているのですね。
つまり、朝ドラで国民の心をギュッと掴むパワーを持っている人たちが、戦時中はプロパガンダに関わっていた、ということ?
「なるほど、そりゃそうか…」と、妙に納得してしまいました。
以上、東京国立近代美術館の企画展「記録をひらく 記憶をつむぐ」を紹介しました。《わしづかみ力》の強い画家・小説家などがプロパガンダに本気を出したら、国民の心が揺さぶられるのも当然だよなあ、と実感できる展示です。集中して見て回ると、私のように足が痛くなってしまうかもしれません。ベンチで休憩を入れつつ、じっくりゆっくりと見てください。
▽獅子文六が、敗戦の瞬間まで雑誌に連載していた小説はこちら。主人公の中年女性に「わが子が軍人になったら、わが子と思っちゃいけねえ」と語らせています。
▽16歳の特攻要員がいた時代
*1:「私のことを戦犯だといって、人が後指をさす」( 獅子文六全集14巻「落人の旅」)
*2:(笠原和夫『破滅の美学』 ちくま文庫)「戦時中、私たちの世代なら大方が感奮させられた小説『海軍』の著者岩田豊雄氏が、獅子文六のペンネームで『てんやわんや』『自由学校』を発表し、戦後社会のオピニオンリーダーとして脚光浴びているのが許せなかった。海軍の実態は、岩田氏が書いたものとは全く違う。それはリアリストの岩田氏も認識していたはずである。それを隠して美化し、筆力をもって若者達を海軍に志向させ、それで死んだものも確実にいたはずだ。」
*3:『獅子文六全集』(朝日新聞社)の第16巻は戦時中の作品 が1冊にまとまっているので、人気作家の「筆力」が当時どのように機能したかうかがえます
*4:自伝的作品『娘と私』には、戦時中、時局に便乗した理由が(一応は)書かれています。しかし獅子文六自身が「娘と私」について、「すみからすみまで、真実で満たされているかと聞かれると、私は即答をしかねる。自分では多くの恥をしのんで、できるだけ真実を書いたつもりでも、やはり自分で自分の体を解剖するメスは、手が緩むであろう。」(「モデルと小説」『獅子文六全集14巻』)と述べている点にも注意したい。