【固定投稿】獅子文六と「ご時勢の急変」をテーマにしたジンを作りました

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BOOTH で販売中です!(その他、金沢のオヨヨ書林新竪町店でも取扱有り

 

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流行語の「認識不足」と、獅子文六

 昭和の人気作家、獅子文六

獅子文六がユーモア小説家としてブレイクしたとたんに、日本は戦争モードになりました。( 朝ドラ「エール」の古関裕而もそうですよね)

 

ジン「認識不足時代 ご時勢の急変と、獅子文六 」(2020年11月発行)は、当時の流行語だった「認識不足」を軸にして、昭和11年〜25年の16作品を並べています。戦争に突入する時代をテーマにしたジンですが、お茶の時間にサッと読めるように作りました。フェーズが変化するたびにキラキラしたモダン生活が消えるのを感じてください。

 

ちくま文庫の「断髪女中 獅子文六短編集 モダンガール編」をセレクトされた山崎まどか様のTwitterより。

ビッグイシュー411号「究極の自由メディア『ZINE』」特集に掲載されました。

「認識不足時代」で引用した 参考画像

ジン「認識不足時代」では、同時期の参考画像も紹介しています。

▽これは国際連盟脱退の頃の漫画。かわいい絵ですが、時代の空気が伝わってきます。(昭和8年2月講談社「キング」小野寺秋風) 

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昭和14年「欧州大戦勃発」の漫画タイトル(昭和14年11月新潮社「日の出」)

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▽本名の岩田豊雄で、「海軍潜水学校」を訪れている記事。『主婦之友・大東亜戦争一周年記念号』より。(昭和17年12月)

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ジン「認識不足時代  ご時勢の急変と、獅子文六 」は、画像が多め・字も大きめ。「獅子文六に興味ないなあ」という方もぜひ!コロナ禍で時代が急変している今、何かのヒントになりますように。 


▽このジンを作ったきっかけは、2014年のラジオ(宇多丸さん)でした。

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獅子文六『やっさもっさ』の時代

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『やっさもっさ』は1952年(昭和27)、朝鮮戦争の時期に新聞連載された小説。「国は破れ、山河とパンパンだけが残った」横浜が舞台です。混血児の孤児院を中心にストーリーが展開していくわけですが、その孤児院をイメージさせるカラー写真を見つけました。今日はそれをご紹介しましょう。

『やっさもっさ』と混血児の孤児院

まずは『やっさもっさ』における孤児院の描写からご覧ください。

ララ物資*1アメリカの古着を着た子供たちは、見ようによっては、ハイカラな姿で、且つ、よく似合い、どこかの植民地の幼稚園へきたようであった。

▽そして、その文章を連想させる写真がこちら。“Orphans 1955-1957”

Orphans拡大したところ

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どうでしょうか?鮮やかな服がよく似合っている、孤児達…。獅子文六が『やっさもっさ』で描いたように、「見ようによっては、ハイカラな姿」に見えてしまいますよね。

実はこの写真、日本でも、横浜でもありません。『やっさもっさ』より少し後(1955-57)のソウルで撮影されたものなんです。しかし朝鮮戦争の前後は、日本と韓国で相似の光景も多いので、あえて貼ってみました。『やっさもっさ』を読む際の参考になれば幸いです。

子供達がこの日だけ(支援者にアピールするなどの理由で)キレイな服を着ていたというわけではありませんように…。

▽関連話題: この時期、なぜカラー写真が存在するかについてはこちらをご覧ください。

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『やっさもっさ』のモデル、エリザベス・サンダースホーム

『やっさもっさ』のベースとなったのは大磯の「エリザベス・サンダースホーム」。そのカラー写真を見つけることはできなかったので、かわりに1977年の「暮しの手帖」の記事を貼っておきますね。 中央の女性は「エリザベス・サンダースホーム」院長の沢田美喜。戦争の落とし子達に対する風当たりのキツさがうかがえる記事です。

冷たい白い眼で見られる混血児を、あえて引き取って、人並みに育てるという沢田さんの行動は、日米双方から歓迎されなかった。占領軍は自国の兵隊たちの無責任な行為をかくしておきたかったし、日本の役人は敗戦の恥辱の生きたシンボルを救って何になるとののしった。

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暮しの手帖」1977年早春号より

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暮しの手帖」1977年早春号より

獅子文六は何かのエッセイで、“沢田美喜に会う前は、孤児院を経営する優しい女性を想像していたけれど、予想は大ハズレ。むしろ沢田美喜の祖父さん=岩崎弥太郎レベルの強いキャラでびっくり”みたいなことを書いていましたっけ。でも でもそれぐらいの強さじゃないと逆風に勝てませんわね。

進駐軍向けの「享楽施設」と、パステルカラーの男

さて、『やっさもっさ』では、「孤児院」と同時に、進駐軍向けの「享楽施設」(キャバレー・ダンスホール・ホテルなど)で大儲けしている会社が登場します。 ここの社長が横浜の高額納税者という設定(笑)

その会社で働いている男が、「パステルカラーの服」を着ているんですよねえ。 バブル期でもないのにパステルカラー?と思ってしまいますが、ちょうどソレっぽい写真を見つけたので参考までにどうぞ。

▽『やっさもっさ』と同時期に、銀座で淡い色の服を着ている男性。単に「あら、ダンディですね」では済まない感じアリ。1951 Tokoyo, Japan | jcator | Flickr

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ちなみに『やっさもっさ』では進駐軍向けの「享楽施設」を、「双葉園(←孤児院の名前)で育てている子供の製造元」と位置付けています。そして生まれてくる「占領児」についても

タネが怪しい上に、畑が滅茶なのだから、ロクな作物が成るわけがない。

と、さんざん。ともあれ、“混血児の孤児院”と、“進駐軍向けの享楽施設”の両輪で『やっさもっさ』は賑やかにすすんでいきます。

ところで、私の住んでいる街(元、米軍基地)も『やっさもっさ』と同じく、進駐軍向けの「享楽施設」が大繁盛した過去がありました。その様子は『オンリー達』*2(広池秋子・第30回芥川賞候補)という小説にリアル描かれています。が、『オンリー達』は『やっさもっさ』と違って、わびしさとミジメさがてんこもり…。わびしさに耐えられそうな方は『オンリー達』もぜひ読んでみてください!

▽関連話題:『やっさもっさ』で享楽施設を束ねている会社は、スーベニアショップも手広く経営している。

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▽そう見えないけど、獅子文六「やっさもっさ」と「M*A*S*H 」は、同じ時期を描いています。

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*1:ララ(LARA)から送られた救援物資。アジア救済連盟。1946年に米国で組織された団体で、アジア各地の生活困窮者を救うために、医療・食料・衣料品等の寄贈を主な仕事とする。 獅子文六全集第6巻注釈より

*2:『オンリー達』については土地のお年寄りに教えてもらいました。作者が舞台となったエリアに住んでいたことなど。

獅子文六『胡椒息子』の時代 その1

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『胡椒息子』の連載と、時局の急変と

私は、昨年(2020)『ご時勢の急変と、獅子文六』という冊子を作りました。その中で、“時代の潮目がグッと変わった頃”の作品として紹介しているのが『胡椒息子』です。『胡椒息子』は、雑誌に1年間連載しているうちに世の中が動いてしまった。そう、日中戦争がはじまったのです。

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「主婦之友」の変わりっぷり

『胡椒息子』は雑誌「主婦之友」に、昭和12年8月から昭和13年9月まで連載されていました。連載がはじまった頃の「主婦之友」は、キラッキラの婦人雑誌。「お洒落大好き!宝塚大好き!」といった感じの内容です。しかし連載から3ヶ月後の秋には、すでにカラーが変わっている。ためしに『胡椒息子』が 連載されていた1年間の「主婦之友」イメージ図を作ってみましたよ。(わかりやすいように、ちょっと強調しています笑)

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帝国日本の終わりの始まり

なぜ、キラキラ雑誌がグッと変わったのでしょう。その理由はこうです。(辻田 真佐憲『日本の軍歌』より)

1937 (昭和12)年7月7日の盧溝橋事件は、帝国日本の終わりの始まりだった。現地部隊の小競り合いを収拾できなかった日本は、やがて日中間の全面戦争、そして太平洋戦争へと引きずり込まれていく。

つまり『胡椒息子』は昭和12年初夏に、「帝国日本の終わりの始まり」と同時に連載がはじまったわけですね。

時局の急変と、誌面の変化

「いやいや、短期間で雑誌がそんなに変わるわけないでしょう?」と思われるかもしれませんので、例として当時の誌面を貼ってみます。

これは『胡椒息子』が連載スタートした昭和12年8月号に描かれていたイラスト。ピタッとした水着に、あらわな脇の下。浮かれ気味の女性たちと艶っぽいポエムがてんこもり!これが昭和12年初夏までの「主婦之友」のイメージです。

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▽ところがたった3ヶ月後の昭和12年11月号のイラストはこんな感じ。戦地のイケメンがドーン。「皇軍の戦死者は最後の一瞬に必ず『天皇陛下万歳』を叫んで息を引き取っている」。ええええー。

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▽その後、「主婦之友」(に限らないけれど)は、敗戦に向かってガンガン変化していくのでした…

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金持ちキャラの気配が消える

時代や、掲載誌の雰囲気が変われば、連載中の小説にも影響が。連載スタート時の『胡椒息子』では、金持ちのライフスタイルがさんざん茶化されていて、モダン生活のカタログとしても楽しめます。

ところが1年間の連載も終わりに近づくと、金持ちの存在感がものすごく薄くなってくる!代わりに登場するのは、貧しく善良な人ばかりに。*1想像ですが、本当は「金持ち・庶民・金持ち・庶民」とリズミカルにお話が繰り出される予定だったのではないでしょうか。

▽『胡椒息子』第1回目の挿絵はこんな感じ。主人公の少年の姉が、お洒落椅子にダラっと座っています。ここの一家は美容に命をかけていて、邸宅の中には美容院並みの設備を持っている!こんなライフスタイル、読者も興味津々だったはずなのですが。

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▽この金持ち令嬢、デートのために羽田から「エア・タクシー」にのろうとするんですよ。でも、残念ながら終盤に向かって彼女の気配は薄くなります。

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以上、『胡椒息子』と、時代の急変の関係でした。コロナ禍を経験した私たちにとって“短期間に世界が変わる”ことが、人ごとではなくなってきましたよね!

とはいうものの、『胡椒息子』にはまだ戦争の雰囲気がほとんど感じられません。特に、現代の私たちがサッと読む分には…。ただ、神社の夏祭りが小さくなったり(支那事変の折柄、派手な本祭りは遠慮して」)、主人公の少年が愛国行進曲を口ずさんだり、子供部屋の散らかし方の比喩が「それは、わが荒鷲の襲撃を受けた、支那軍飛行基だ」になったりはしています。しかし、それらもほんの一行、出てくる程度にすぎません。

▽そして、この時期を知るためにおすすめしたいのが、『戦下のレシピ』という本。戦中の婦人雑誌の右往左往ぶりがまとめられています。地味な外観からは想像できないほど皮肉がきいていて読みやすい!ぜひ!

別の機会に、『胡椒息子』が口ずさんでいる「愛国行進曲」についてふれたいと思います。続く。

▽少女スターと時代の急変についてはこちらを

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*1:もっとも、その後の獅子文六作品では、軍需産業の成金令嬢など、あらたな金持ちキャラが登場して、これがまた面白いんです。

「夜の街」と、わかりやすい地図

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オシャレでわかりにくい地図に困ったことはありませんか?結局、グーグルマップで調べ直すから手間がかかるんですよね。

今日は、香港のわかりやすい地図をご紹介しましょう。顧客が乗っている「船」からのルートがハッキリ描いてあるのです。

船からの道順が描かれた地図(香港)

▽「STATION SHIP」からの道順

Great Shanghai

▽「STATION SHIP」を拡大しました

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▽オモテ側はこんな感じ。flickrにはこんな感じのお色気ショップカード(アジア)が大量にあがっています。

Plaza Great Shanghai Bar

Keyhole reverse

Lucky Star reverse

New Top Hat reverse

▽ショップカードをたどっていけば、きっとこういう時間が過ごせるのでしょう。髪型がウォン・カーウァイ。Hong Kong, Sept 1967

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▽顔色、大丈夫?Hong Kong, Sept 1967

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日本にもわかりやすい地図がありました(立川基地の場合)

▽香港の地図は「船」が起点でしたが、飛行場の街は飛行機が起点(?)。これは立川基地「フィンカムゲート」すぐそばの“ホテル”の地図です。(フィンカム=FEAMCOM=Far East Air Materiel Command)

https://www.flickr.com/photos/20576399@N00/32115235974

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TABGate2,FujiHotel,unkdate

聖人の街と、夜の街

以上、わかりやすい地図のご紹介でした。余談ですが、立川を舞台とする『聖☆おにいさん』でブッダとイエスの行動範囲は、上の地図とけっこう重なります。11巻表紙のバスルート(←私もよく利用)も、そんなエリアを通過しているし。『聖☆おにいさん』に「基地の街」のゼロの焦点的な過去は描かれていないけれど、作者はいろいろなことをご存知なのだろうなあ。読んでいて時々そう思います!

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▽日本で休憩

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▽日本で治療

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獅子文六『断髪女中』と軍需景気

f:id:NARASIGE:20211011075055p:plain獅子文六の短編『断髪女中』(昭和13)は、日中戦争の頃の女中不足がテーマ。「 今度の事変が始まって、直接間接の軍需景気が、一度にドッと女中適齢期の女子を工場に吸引」したから、さあ大変!がんばらないと女中さんを見つけられなくなってしまったのです。(山崎まどかさんセレクトのちくま文庫『断髪女中』は、『団体旅行』『胡瓜夫人伝』などアフター事変の傑作がズラリ!)

ちょうどこの時代をイメージするのにぴったりな漫画がありましたので、今日はそれをご紹介しましょう。

『断髪女中』と、 職業戦線の好景気

『断髪女中』と同じく昭和13年の雑誌記事「 職業戦線に好景気が来た 職を求める人への注意」に出ていた漫画を貼りますね。書いているのは「東京府職業紹介所長」です。

昭和12年7月の支那事変勃発以降、工業界の方が収入が良いということで人々が工場に殺到してるけど、女中や商店が人手不足になっているじゃないか。みんな冷静になろうよ!”という内容。

軍需産業に殺到する人々の図。 漫画が可愛くてユーモラスなのは、まだ戦争が序盤だから…。(戦争末期は、とても味気ない誌面になりがち!)

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講談社「キング」昭和13年3月

▽軍需工業方面の求人が多いため、「失業救済事業が、逆に失業してしまっている」状態。

昭和9年の後半頃あたりから軍需工業方面の求人がそろそろ多くなり、10年、11年、12年とうなぎ登りに盛んになって、今や就職戦線は好景気に達したと言っても過言ではない。ことに昨年7月、支那事変が勃発して以来は、全国的に人間の需要が殖え、十数年以来に無い好景気を現出している。 

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講談社「キング」昭和13年3月

女中志望者の減少→女中の利点を強調する職業紹介所

上記の「 職業戦線に好景気が来た」を書いた東京府職業紹介所長は、“女性は工場勤務よりも、女中になるのがベスト”と考えていたようです。

多少賃金の割が良いと言うので、誰も彼も工場方面へ行く傾きがある。(略)最近では、女中志望者は極めて少ない。少しでも収入の多い、実利的な方面へ人の心が走るのはやむを得ないとしても、一見一番収入にならないように見える女中さんになろうとする人がなくなった事は、非常に悲しいことだと思う。

私どもの考えでは、下手な職業につくくらいならば、女中になる方が一番その人のためになると信じている。元来、婦人の職業は、大半一時的なもので、長くても4、5年も勤めれば止めて結婚生活に入らなければならぬのである。つまり結局結婚生活に入るのが目的であってみれば、一家の主婦となった場合最も参考になり、有益な職業をやっておくことがその人の幸福なのではあるまいか。 この意味から言って、女中と言う職業は、決して卑下すべき性質のものとは思われない。

「下手な職業につくくらいならば、女中になる方が1番その人のためになる」…このあたり、『断髪女中』とちょっと似ていますね(笑)

【参考】断髪のイメージ

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現代の私たちはショートカットと着物の組み合わせに驚かないけれど、『断髪女中』では「まア、断髪?女中のくせに?」って、おおごとになっています。ここで昭和初期、断髪に向けられていた視線をちょっとのぞいてみましょう。

反り返って歩く断髪のモガ

▽作者は池部 鈞(俳優・池部良のお父さん)。この漫画のテーマは「反り返って歩く」断髪のモガです。行間に、“もう、今時のムスメはまったく…”みたいな気配が滲み出ている。この頃は池部鈞に限らず、断髪を茶化す漫画がすごく多い。 著名人の断髪ならともかく、一般人の断髪は珍しさも手伝ってつい茶化したくなるんでしょうね。

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昭和3年「現代世相漫画」池部 鈞

夜の街の断髪

▽こちらは、前川千帆が描く“夜の街”の断髪。体格が良いのに退廃的で、ライザ・ミネリの「キャバレー」感あり。『断髪女中』の雇い主のセリフにも「これはいい。キャフェ気分横溢だ」というのがありましたっけ。

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「浮世行進曲」昭和5年前川千帆

『断髪女中』と、軍需工場の令嬢

さて、『断髪女中』(昭和13)の時代背景に話を戻します。『断髪女中』では「軍需景気が、一度にドッと女中適齢期の女子を工場に吸引」していましたが、じゃあ「吸引」した側の工場はどうなっていたのか?といえば急成長しているわけで。そのへんを描いた作品が『団体旅行』(昭和14)です。支那事変勃発とともに突然リッチになった女子(実家の貧しい工場が巨大化)が登場します!国家の非常時と、賑やかさの同居っぷりがすごく笑える。オススメです。

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しかしその後戦争はドロ沼化し、笑えない時代がやってくる…。そのあたりのアレコレを冊子にまとめました。よければご覧ください。

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*1:2021年8月、オリンピックの閉会式で五輪の旗を振る小池都知事https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/293173

「五代くんのおばあちゃん」的な、印象に残りにくい着物姿

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風景に溶け込みすぎる「五代くんのおばあちゃん」の着物姿

あまりにも日常すぎて、わざわざ記録に残さないことってありませんか。例えば2021年なら、“ホームセンターにいるTシャツ短パン姿の人”の記録とかね。(もしかしらら令和の今和次郎が、せっせと記録しているかもしれませんが。)

昭和のおばあちゃんの着物姿も、かつては当たり前すぎて見過ごされてきたものので1つではないでしょうか。漫画『めぞん一刻』の「五代くんのおばあちゃん」のような、地味な着物姿です。今も昔もよほどの理由がない限り、おばあちゃん単体をわざわざ写真には撮らなかったはず。

しかし、外国人にとって日本の老婦人の装いは異国情緒に満ちていたようです。今日は外国人が1970年前後に撮影した写真から「五代くんのおばあちゃん」的な着物姿を紹介しましょう。

▽本人と着物が完全に一体化している「五代くんのおばあちゃん」。

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引用元:『めぞん一刻小学館文庫4巻208ページ

だいたいワントーンコーデ

Tokyo 1979 そっくりな二人。双子?Ladies w/Socks - Tokyo 1979

▽私の祖母(明治生まれ)も、ほぼこんなかっこうで、同じように謎のギャザーが入ったバッグを持っていた。整髪は「丹頂チック」(マンダムの前身)を使ってましたね。

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1972

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ube, japan, 1972

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足元は、色付き足袋+軽そうな草履

知人の明治生まれのお母様はもともと高価な草履を好んでいたそうですが、年をとってからは重く感じるように。「温泉街で売っている安くて軽い草履ばかりを履くようになりました」とのこと。以下に紹介する草履もすごく軽そうです。

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kyushu, japan, 1972 上の写真と同一人物かと思ってしまいますが、違う方のようです。

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1960年代末

Grandma Okubo with Puri

上の写真の方のワンピース姿。(左から二番目)。襟元が着物っぽい。

東京都南青山

団体旅行も着物で

kyushu, japan, 1972 tour group, nagasaki peace park 団体旅行も、当たり前のように着物で参加。

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1949-1950。上の写真のさらに20年前の団体旅行。着物の中年軍団。

Japan 1949-1950

そのほかの着物姿

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tokyo, japan 1972

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1967 着物姿じゃないけど。海人さんです。「007は2度死ぬ」に出てほしい。

Ama diver

おばあさんが若かった頃は戦時中

以上、昭和の「印象に残らない着物姿」を、主に1970年前後からご紹介しました。いかがでしたか。

もちろん彼女たちは、もとから「おばあさん」だったわけではありません。30〜40年前はみずみずしかったわけでして。そして、その時期はちょうど戦中戦後。エグい苦労した方も多いでしょう。昭和の写真を見ると、「古きよき時代のおバアちゃま」とふんわり美化しそうになりますが、いちいち彼女らの過去に想いをはせていきたいもんですね。

【参考画像】1939(昭和14)の漫画。日中戦争が長引き、さらに欧州大戦がはじまった時期です。(ちなみに同時期の漫画に登場するお母さん像は、ほぼ全員着物とかっぽう着。夏のみアッパッパという簡易ワンピースを着用してます)

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昭和14年(1939)11月新潮社「日の出」

▽おばあちゃんの割烹着姿はこちらを!想像以上の重労働がめじろ押し。

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原節子のベルリン通信

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昭和12年原節子はベルリンで舞台挨拶をしていました

昭和12年の初夏(1937)、「原節子・ベルリン写真通信」が「主婦之友」に連載されました。なんでベルリンに行ったかというと、日独合作の国策映画「新しき土」(『Die Tochter des Samurai』に出ていたから。10代の原節子が鏡で自撮りしてます!※この投稿のアイキャッチ画像はflickrよりドイツ煙草のおまけ。

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「主婦之友」昭和12年7月号

昭和11年、ドイツの旗が有楽町に…

原節子がベルリンに行く前年の昭和11年、日独合作映画「新しき土」の撮影がすすめられています。撮影風景はこちら。

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そして昭和11年といえば、東京のど真ん中にこんな旗が…。写真のタイトルは「日独防共協定の成立」。場所は現在の有楽町マリオンです。

日本劇場の前に大きなナチスの旗が掲げられていて驚いた。急に世界の渦中にあることを感じた。朝日新聞社が背景で、特に印象的であった。(昭和11年)『想い出の東京 師岡宏次写真集』

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原節子のベルリン写真通信より抜粋

以下は昭和12年の「原節子・ベルリン写真通信」より抜粋します。

▽ベルリン「カピタル座」の看板です。原節子は 「シベリアの列車の中で教わった」ドイツ語で舞台挨拶。

その晩から『武士の娘』(新しき地の独逸名)が上演されているカピトル座に、ご挨拶に出ることになりました。カピトル座の正面には、浮世絵の赤富士に、小杉さん*1とエヴェラさんと私とを配した大きな看板が掲げられ、「新しき土」の岐阜提灯がずらりと下がり、「伊丹万作さん江」「早川雪洲さん江」「原節子さん江」などと書いた旗のぼりが立てられて、道行く人は皆しばらく足を停めて眺める有様でした。

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「主婦之友」昭和12年6月号

満州を経てベルリンに行く途中。【右】日満連絡船で川島芳子の妹、川島廉子と。【左】大連で「半島の舞姫」の崔承喜と。原節子は小さな日本家屋よりも、大連みたいな空間の方がしっくり見えます。

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「主婦之友」昭和12年6月号

▽ベルリンでヒトラーユーゲントと。「彼らの総統を尊敬していることは非常なもので、見るからに溌溂として、明るい若人達でした」

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「主婦之友」昭和12年7月号

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「主婦之友」昭和12年7月号

ライプツィヒ大戦記念塔、ハンブルグ港。「原節子ベルリン通信」は、ホテルの部屋以外すべて着物姿です。

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「主婦之友」昭和12年7月号

▽ベルリンに向けて東京駅を出発したところ。

3月10日の夜、東京駅で皆様の物凄いばかりのお見送りをいただき、川喜多様ご夫妻(東和商事社長)、義兄(熊谷監督)私の4人は無事に希望の多い旅を続けました。18日、満洲里(マンチュリー)を離れてソヴィエットに入るまでは、どこの駅でもファンの方が多勢見えて、励ましてくださいましたので、少しも淋しくはありませんでしたが、シベリア鉄道の1週間の明け暮れは、本当に淋しく、 退屈でございました。

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「主婦之友」昭和12年6月号

▽余談ですが「原節子のベルリン通信」と同じ誌面では、獅子文六『青春売場日記』が連載されていました。 主人公は華族出身のデパートガール(←興味本位で就職)。採用面接ではふつうに「ヒットラーという名をを知っていますか」と聞かれています。応募者は女学校出も多いので、「はい、皮膚病のお薬でございます」という珍答をする子はいない…という話の流れでした。

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獅子文六『青春売場日記』「主婦之友」昭和12年6月号

以上、原節子のベルリン通信でした。昭和12年初夏に連載されていたベルリン通信ですが、昭和12年7月7日には盧溝橋事件が起こります。以降「主婦之友」は、それまでの“ターキー大好き💕”といった調子から、どんどん雰囲気を変えていくことに。日米開戦後の「主婦之友」の様子は、こちらに書いたのでよければごらんください。(獅子文六『おばあさん』と、コロナ禍のツイート - 佐藤いぬこのブログ

昭和12年秋、素敵な女医に扮した原節子。(昭和12年11月号「主婦之友」)

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原節子がベルリンに行った翌年(昭和13)、今度は宝塚がドイツ・イタリアに向けて旅立ちます。こちらもあわせてどうぞ。

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*1:共演の小杉勇

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