佐藤いぬこのブログ

戦争まわりのアレコレを見やすく紹介

獅子文六と時代の急変をテーマにしたジン『認識不足時代』を作りました

獅子文六と「ご時勢の急変」をテーマにしたジンをBOOTH で販売中です!

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ビリケン商会(青山)・オヨヨ書林新竪町店(金沢)・DA NOISE BOOKSTOREでもおもとめいただけます。

流行語だった「認識不足」と、獅子文六

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獅子文六といえば『コーヒーと恋愛』(昭和37)。テレビ業界が描かれているので“戦後の作家かな?”と思われるかもしれません。しかし『コーヒーと恋愛』は69歳(!)の時の作品なんです。

 

デビューはもっともっと前、つまり戦前。

ところが獅子文六がユーモア小説家としてブレイクしたとたんに、日本は戦争モードになったのでした。( 朝ドラ「エール」の古関裕而*1も同様のタイミングでしたよね。ブレイク、即、戦争。)

 

ジン「認識不足時代 ご時勢の急変と、獅子文六 」(2020年11月発行)は、かつて流行語だった「認識不足」を軸として、昭和11年〜25年の16作品を並べています。戦争に突入する時代をテーマにしたジンですが、お茶の時間にサッと読めるように作りました。フェーズが変化するたびにキラキラしたモダン生活が消えるのを感じてください。

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ちくま文庫の「断髪女中 獅子文六短編集 モダンガール編」をセレクトされた山崎まどか様のTwitterより。

ビッグイシュー411号「究極の自由メディア『ZINE』」特集に掲載されました。

「認識不足時代 ご時勢の急変と獅子文六」で引用した 参考画像

ジン「認識不足時代」では、各種参考画像も紹介しています。

▽これは国際連盟脱退で揺れている頃の漫画。かわいい絵ですが、時代の空気が伝わってきます。(昭和8年2月講談社「キング」小野寺秋風) 

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昭和14年「欧州大戦勃発」の漫画タイトル(昭和14年11月新潮社「日の出」)

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▽49歳頃の獅子文六。本名の岩田豊雄で「海軍潜水学校」を訪れている記事です。昭和17年12月『主婦之友・大東亜戦争一周年記念号』より。(ちょうど20年後の昭和37年、『コーヒーと恋愛』の新聞連載がスタートします)

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ジン「認識不足時代  ご時勢の急変と、獅子文六 」は、画像が多め・字も大きめ。「獅子文六に興味ないなあ」という方もぜひ!コロナ禍で時代が急変している今、何かのヒントになりますように。 

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▽このジンを作ったきっかけは、2014年のラジオ(宇多丸さん)でした。

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獅子文六と「ビートDEトーヒ」

逃避したくなる時代背景と、獅子文六

かまいたち・濱家が歌っている「ビートDEトーヒ」。ダンスは可愛いけど、歌詞はけっこう暗いんですね。

“ポップなビートで、トーヒ(逃避)したい。つらい現実から目をそらしたい、逃げ出したい”みたいな内容で。

「ビートDEトーヒ」にこめられた“ポップなビートを利用して、現実から逃げたい”という願い。同様の願いを、戦中〜戦後と満たし続けたのが、昭和の人気作家・獅子文六だったのかもしれません。

獅子文六がユーモア作家としてブレイクしたのは40歳代前半。しかしブレイクしたとたんに、日本は戦争モードに突入しています。

つまり獅子文六の働き盛りは【戦争→敗戦→どん底からの復興】という最もエグい時代と重なっているのです。

ポップな作品として有名な『悦ちゃん』(昭和11~12年連載)も、ユーモア満点とされている『おばあさん』(昭和17~19年連載)も、実のところノンビリした時代に生まれたお話じゃなかったりする。(みんな大好き『コーヒーと恋愛』は、獅子文六が69歳の頃の作品なので、今はいったん脇においておきます)

悦ちゃん (ちくま文庫)

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ところが21世紀になり敗戦の記憶が薄れてくると、当時の「トーヒ(逃避)したい」ニーズは忘れられ、獅子文六の「ポップ」だけが漉されて残る。結果、現在のワタシらには、

悦ちゃん』は(226事件から間もない頃の連載なのに*1)ポップ!

『おばあさん』は(日米開戦後の連載なのに)ユーモアいっぱい!

『自由学校』は(占領下なのに)ドタバタ愉快!

といった感じに見えてしまいがち。なので、獅子文六を読むときは、当時の読者の「トーヒ(逃避)したい」を、すこし脳内補完するといいんじゃないでしょうか。

「強者のほがらかさ」と、獅子文六『自由学校』

松竹データベースより

中野翠氏が、敗戦間もない時期に新聞連載された『自由学校』(昭和25)について、こう書いていました。

こういう、いわば強者(経済的にも知的にも恵まれている階層)のほがらかさが、一九五〇年の日本の大衆に支持されたという事実――。ちょっと不思議な気がする。(筑摩書房) - 著者:獅子 文六 - 中野 翠による書評

私もこの点が不思議だった。『自由学校』の主人公は、満鉄副総裁*2の息子でボンヤリ者という設定なんですよ。彼の妻もお嬢様育ちだし、親族は知識階級…。しかし新聞連載は、敗戦から5年しかたっていない。当時の読者は「強者のほがらかさ」にムッとしなかったのかしら?

しかし「ビートDEトーヒ」を聴いてからは考えが変わりました。その時代は、きっと「強者のほがらかさ」が、もとめられていたのだと。敗戦国のムゴい現実から「逃避」するなら、やっぱり自分とは真逆の人物=【上流階級の昼行灯】にログインしたいじゃないですか!

▽参考画像。焼けた新宿です…

マッカーサーが見た焼け跡』(文藝春秋)に加筆

▽…というわけで、獅子文六の16作品(昭和11年〜25年)を並べた冊子を作っています。ぜひごらんください。

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*1:悦ちゃん』:昭和11年7月19日〜昭和12年1月15日『報知新聞』

*2:作中では「満州交通の副総裁」

コバウおじさん(고바우영감 )

『マンガ韓国現代史―コバウおじさんの50年 (角川ソフィア文庫)』。韓国の4コマ漫画です。表紙は、2001年に発行された「ゴバウおじさん50周年記念の切手」だとか。

おじさんの服が1950年→2000年と、どんどん変化していますよね。最初の頃の装い(1950年前後)は、意外なほど多くの写真がネット(flickr)にあがっています。いくつかご紹介しましょう。

▽1950年代、韓国や日本を撮影したカラー写真が豊富な理由

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“Old Man and Bus, Daegu, 1952”

Old Man and Bus, Daegu, 1952  (corrected)

“Firewood”

Firewood

一連の写真は、朝鮮戦争の戦場写真とともにアップされていることが多い。“Evakuering med helikopter for 7 pasienter (1952)”

Evakuering med helikopter for 7 pasienter (1952)

“Old Scholar, 1952”

Old Scholar, 1952

“1952”

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“Nov48 - Seoul, Korea”

85 - Nov48 - Seoul, Korea

“Nov48 - Seoul, Korea”

83 - Nov48 - Seoul, Korea

洗濯するのは、女性

以上の写真を、父親の仕事の関係で少女時代を京城(現・ソウル)で過ごした方に見せたことがあります。すると「この服を白くしておくのは、女の人たちなんだから!川で洗濯して、布を棒でたたいて。たいへんよ〜ッ」。80年前の記憶をもとに、洗濯棒(?)の絵を描いてくれましたっけ…。棒の断面は三角形でした。

▽“Washing day,1952”

Washing day,1952

関東大震災とコバウおじさん

『マンガ韓国現代史―コバウおじさんの50年』の中は、こういう感じ。各ページの見開きには解説があり、このページではフランス文学者田辺貞之助の『女木川界隈』 が紹介されています。

『マンガ韓国現代史―コバウおじさんの50年』角川ソフィア文庫

【参考】ちょうど家に関東大震災を描いた漫画がありましたので、貼っておきますね。タイトルは「鮮人騒ぎ」。この漫画集『明治大正史(昭和3)』は、戦争や暗殺も茶化して描いているので、このページについても漂白・脱臭を差し引いて見なくてはいけませんが、参考まで。

『現代漫画大観 明治大正史』(昭和3)中央美術社/田口省吾画

………以上、コバウおじさんの簡単なご紹介でした。一見、絵がサラッとしているコバウおじさん。私には気付けない暗喩なども詰まっていることでしょう。歴史に詳しい方は、グっと高い解像度で読めるはず。ぜひ!

朝鮮戦争野戦病院画像

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ツルツルしたデパートの戦中戦後

銀座のApple Storeは、とてもツルツルしていますよね*1Apple Storeの向かいにあるデパートが松屋銀座Apple Storeに負けないほどツルツルで、みつ豆の寒天を思わせます。(上の写真は、2022/10/19撮影)。

しかし、そんな松屋にも「ツルツルしていない時代」がありました。今日はそれをご紹介しましょう。

戦時中の松屋銀座

意外なようですが、日中戦争の頃の松屋銀座はツルツル感ゼロだったんです。シャネルの広告の代わりにあるのは、「聖戦大勝」「祝 漢口陥落」などの垂れ幕でした。(『痛恨の昭和』石川光陽より)

「漢口陥落祝賀の飾り」昭和13年(1938)

漢口陥落、武漢三鎮といって、まだ国外で戦争していたので、景気の良い話ばかりが耳に入ってくる頃でした。旗行列や、提灯行列が市内を練り歩き、花電車や、電飾の市電が走って賑やかでした。この調子で行けば、裏長屋にいたものが、表通りに出られるのではないかもしれないといったほどの勢いでした。銀座通りは写真のように飾り立ててお祭り気分で、私は日本も強くものなったものだと感心しておりました。

『痛恨の昭和』石川光陽 岩波書店

占領下の松屋銀座三島由紀夫豊饒の海

そして敗戦…。三越は黒コゲになってしまったけれど、松屋銀座は接収されてPX(売店)になりました。三島由紀夫の『豊饒の海(三)暁の寺』に、ちらっと「松屋PX」が出てくるんですよ。主人公は超大金持ちの弁護士ですが、松屋PXに入ることができません。しかし米兵を「情人」に持つ女性は「木戸御免」で、PXに出入りしています。

松屋PXの中には、もちろん本多は入れない(略)。慶子は、紫いろのスーツの胸を張って進み出、顔も隠れるほどの大きな紙袋を両手に抱えたアメリカ兵を従えていた。 情人のジャックかと思われたが、そうではなかった。(略) それは1つの見ものであった。PXの前の群衆は、似顔絵描きをそっちのけにして、口をぽかんと開けてこれを眺めた。

▽PXになった松屋。この写真はとてもキレイに撮ってあるので、一瞬「あれ?敗戦って、たいしたことなかったのかな?」と勘違いしてしまいそう。御用心、御用心!“Matsuya Ginza branch of the Tokyo PX, 1952”

Matsuya Ginza branch of the Tokyo PX,  1952

▽引きで見るとこんな感じ。1952年(昭和27)頃。右側のすすけた建物は「三越」。画面手前には進駐軍用の標識が。ただよう敗戦国感。Tokyo Ginza, 1952 | Photographer: Captain John Randolph Coup… | Flickr

松屋の側面。「白いワンピース=清楚」のイメージをくつがえす女性が、靴をみがかせています。“1951 Tokoyo, Japan”

1951 Tokoyo, Japan

上の写真を拡大してみると、「P.X.レストラン」の文字がいっぱい。

松屋銀座の角で交通整理。“1951 Tokoyo, Japan”

1951 Tokoyo, Japan

接収解除後の松屋銀座

さて。「PX」から戻った松屋は、公式サイトによると1953年(昭和28)に新装開店しています。

▽ちょうどその時期をアメリカ人がカラーで撮影したのがコチラ。敗戦から8年ほどで、すでにツルっツル!もはや戦中~敗戦の面影はありません。屋上の旗に、松屋のマーク(鶴と松)が見えますね。“Department Store, Tokyo Japan, 1952-55”

Department Store, Tokyo

【参考】この時期、鮮明なカラー写真が存在する理由。

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▽そして1970年(昭和45)の松屋(右奥)。パッと見では、今の銀座とほとんど変わらない。焼け野原から25年でこれって…。“Ginza, Tokyo – 1970”

Ginza, Tokyo – 1970

▽さいごにもう1度、1938年(昭和13)の松屋銀座を貼ってみましょう。「聖戦大勝」「祝 漢口陥落」

『痛恨の昭和』石川光陽 岩波書店


以上、松屋銀座の変遷でした。ご存じの方も多いと思いますが、松屋には浅草店があります。浅草店もけっこうツルツルでしたが、現在はあえて昔の外観に戻し、レトロを売りにしている。

銀座の松屋だって、皮の下には「過去」が残っているのかもしれません。しかし銀座店は、今後もツルツルでいくような気がします。

松屋銀座に限らず、目立つ場所にある建物は時代を反映しがちでした。有楽町の日劇(現在のマリオン)の変遷もぜひごらんください。

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*1:現在は改装中で、場所も移動しているそうですが

オシャレな椅子に“横向き”で座る人たち(『デスノート』・獅子文六『胡椒息子』)

今になって『デスノート(テレビ版)』を見ています。(脇役で、ひいきの俳優が出ていると聞いたもんですから)。「L」は、ソファに“横向き”で座る人なんですね。だるそうなのに、ツルン!と上手に座るからつい感心してしまう。

スポニチアネックス 2015年7月6日より

獅子文六『胡椒息子』と、オシャレ椅子

「L」の“横向き”座りを見て思い出したのは、昭和の人気作家・獅子文六の『胡椒息子』です。

昭和12年8月の連載第1回目では、主人公の姉である金持ち令嬢が、やっぱり横向きに座っているんですよ*1

オシャレな椅子に、横向きでダラっと座る令嬢。舶来のタバコを吸いながら…。しかもこの邸宅には美容院レベルの施設が備わっている。贅沢ですね。

実際、彼女はモダン都市を謳歌し、不良青年と遊びます。読者も、金持ち令嬢を擬似体験できるというわけ✨

▽横向きに座る令嬢。金属をつかったオシャレ家具ばかりの部屋。

『胡椒息子』挿絵(宮本三郎画)/「主婦之友」昭和12年8月号

オシャレな椅子と、昭和初期

『胡椒息子』の連載時(昭和12-13)、すでに金属を使った椅子があるのは意外な感じがするかもしれません。ただ、このテの椅子が誕生した時期は、日本では昭和初期頃に当たるんですって。

▽例:昭和13年、「豪華な近代設備を誇っている」九段坂のアパートです。

『ホームライフ』(大阪毎日新聞社昭和13年8月

▽先日見かけた武蔵野美術大学「みんなの椅子」展(2022・撮影可)。→武蔵美の解説ページ

1930年代から40年代にかけ建築の領域では、装飾や歴史性を廃し万国共通の様式や工法を是とする「国際様式」が勃興します。

『胡椒息子』から消えた令嬢と、日中戦争

さて。“オシャレ椅子に横向きで座る令嬢”に話を戻します。

『胡椒息子』の連載は1年間。序盤での令嬢は、浪費のかぎりを尽くしそうな勢いでした。もはや副主人公といっていいくらい目立っていた。しかし後半、彼女の姿がパッタリ見えなくなります。これは『胡椒息子』の連載開始と、日中戦争 のスタートがほぼ同時だったからではないでしょうか。

▽連載1回目の目次。華やか!

昭和12年「主婦之友」8月号

▽連載4回目の表紙。上の目次と、同じ年・同じ雑誌には思えません!!

昭和12年「主婦之友」11月号

『胡椒息子』の連載がはじまったのは昭和12年夏。この時点で日中戦争のドロ沼化を予想するのはムリ…。しかし時代はグイッと急変します。『胡椒息子』にも、“神社の夏祭りが支那事変の折柄」規模を小さくして行われる”という文が出てくるように。この状況じゃ、令嬢だけがいつまでも贅沢三昧しているわけにはいきませんわね。


「オシャレな椅子に、横向きに座っちゃう浪費キャラ」は、ちょっとだけ、照れくさい(笑)。でも、こういうキャラクターを描きにくくなる時代の再来は、カンベンしてほしいと思うのです。

 

▽日米開戦後に書かれた獅子文六『海軍』については、こちらを。

narasige.hatenablog.com

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*1:小説中には横向き座りの描写はないけれど「令嬢にあるまじき姿」となっています。「 ホーム・ドレスの裾から、高々と素足の膝を立てて、片手に歯型のついた板チョコを握り、もう一方の手で『ターキー』という雑誌を拡げ、令嬢にあるまじき姿勢を見せている。」

1972年(昭和47)頃の若者たち

あまりドラマを見ない私が、アマプラでドラマを見ました。『スミカスミレ』(2016年)。天涯孤独の65歳(松坂慶子)が、魔法の力で20歳(桐谷美玲)になってしまうお話です。

時代のギャップを楽しむラブコメなので、昭和の古くささを強調するのは全然OKなのですが、ひとつ気になったのが、時々出てくる“45年前の思い出映像”。若者たちがとっても地味でセピア色で、なんとも「ALWAYS 三丁目の夕日」なのです。

 

しかし、ドラマ『スミカスミレ』(2016年)の“45年前”は1970年前後。もうその頃の若者はセピア色じゃなくて、意外なほど派手だったりします。なんなら2022年より派手。
とはいうものの、1970年は敗戦から25年しかたっていません。猛スピードで豊かになった敗戦国の悲しさで、おしゃれのサジ加減がわからない…そんなケースもあったでしょう。以下は、アメリカ人Nick DeWolfさんが撮影した1972年(昭和47)の若者たちです。

▽顔をカールでふちどる時代。

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▽政治家になってそう。

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▽お大事に。

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▽2022年には、見かけない鮮やかさ。

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田中真紀子さん感。

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▽靴ズレに注意(その1)

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▽靴ズレに注意(その2)

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▽お金がかかっていそうな装い。

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▽「とっくりセーター」の王子さま。(ドラマ『スミカスミレ』では、桐谷美玲が「とっくりセーター」「くわばらくわばら」などと言って周囲を驚かせる)

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▽右の物憂げな男性、こちらのツイートを連想させます。↓

長谷川町蔵 on Twitter: "@cbwdisney 加山雄三は岩倉具視の曾孫、川添象郎は後藤象二郎の曾孫。つまりシティポップの源流は明治の元勲にあるんじゃないでしょうか。" / Twitter

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▽アンアンの創刊は1970。愛読者かな?

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▽年齢不詳。スカートから…見えてる…?

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▽若者を演じていませんか?

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▽長髪

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瀬川瑛子さんのような

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▽一連の写真を撮影したNick DeWolf氏が、1972年に撮った地方の風景。左端のかっぽう着の女性は、たぶん若い。(osaka bay, japanwinter, 1972)

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以上、1972年の写真でした。繰り返しますが、1970年は敗戦からたった25年です。焼け野原から一世代しか経過していない。苦労知らずに見える若者たちも、家に帰れば「アンタを育てるのに、どんだけ苦労したと思ってるのっ!」的なお説経が待っていたかもしれませんね。

 

※これらの写真を撮影したアメリカ人Nick DeWolf氏(1928 –2006)は、wikiによると技術者・実業家で、「テラダイン社」の創業者。“熱心で多作な写真家”でもあり、親族が写真をネットにあげているそうです。アーカイブインスタまである!

 

▽1970年代の若者が子供だった頃の服は、意外なほど赤かった。

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▽1970年代の若者が子供だった頃の「おんぶ」事情はコチラ

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体操写真と、縮んだお菓子

SNSで「子供の頃好きだったお菓子が、すごく小さくなっている」という嘆きを見かけるようになりました。なにごとも、小さくショボくなるのは悲しい。

今日は、戦時中にグラフ誌の写真が、小さく(安く)なった一例をご紹介しましょう。画像は、すべてお金持ち向け雑誌『ホームライフ』からです。

戦争前の、優美な体操写真

まずは、日中戦争がはじまる前の優雅な写真から。

体操の写真って、「運動・健康」を隠れミノにして、若い肉体を堂々と見ることができますよね。これは今も昔も変わりません。上品さが売りだった雑誌『ホームライフ』も、体操ページをしのばせていました。

▽こちらは昭和10年。知識階級のお嬢様が、デンマーク体操をしています。 お天道様の下で令嬢の脚を拝めるのは、体操のおかげといえましょう。彼女達は「母校 自由学園」で体操を教える予定とのこと。

『ホームライフ』大阪毎日新聞 昭和10年12月

▽こちらは“実業家の令嬢が、自宅で体操している”設定の写真。いや、設定じゃなくて、本当に自宅で体操しているのかもしれないけれど。

人生が明るく、いつも春のように…たまらなく嬉しい微笑がたえず口もとにほころんでいる、なんのクッタクもなくのびのびと成長して行く娘ざかり

『ホームライフ』大阪毎日新聞 昭和11年4月

▽宝塚のみなさん。特集のタイトルは「明朗・自由な健康美の検討」と真面目ふう。薄着の写真には、いちいち医者や大学教授の文章(女性の体格について、みたいな。)が添えられています。これなら読者は安心して「健康美の検討」(笑)ができますね。

『ホームライフ』大阪毎日新聞 昭和11年8月

▽そして、日中戦争直前の昭和12年7月号。松竹少女歌劇「男装ティーム」の訓練風景です。軍国的訓練のテイで、めったにみられない角度から少女たちを拝めます。「男もかなはぬ大柄な少女たち」とは対照的に、指導する「在郷軍人さん」は(あえてなのか)小さい。

『ホームライフ』大阪毎日新聞 昭和12年7月

戦中の体操写真

以上、令嬢や、宝塚、松竹少女歌劇の画像をご覧いただきました。しかし日中戦争が始まると、急に『ホームライフ』の誌面は安っぽくなる。そしてその影響は体操のページにも及びます。

▽こちらは昭和13年「ある舞踏研究所に集った娘たち」の体操で、お茶を濁している写真。ある舞踏研究所って、何…?“お菓子が、いつのまにか小さくなっていた”感が、すごい!(もっとも、“令嬢の体操より、無名ダンサーのエロス歓迎”の読者もいたことでしょう)

『ホームライフ』(大阪毎日新聞昭和13年4月号

この時期の編集後記には、誌面が寂しくなった理由として、“カメラマンが戦場に出払ってしまった。最近は上流階級に取材を断られる。”と言い訳が書かれていました。

▽ちなみに、雑誌『ホームライフ』自体もサイズが縮んだあげく、廃刊になっています。ああ。(表紙は、【左】昭和14・東郷青児 【右】昭和16・小磯良平

それにつけても、2022年の日本は不安がいっぱい…。「お菓子」その他がこれ以上、縮みませんように!

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生き延びるための灸

お灸でメンテナンス(ほっこり編)

私がセルフ灸をするときは、関節に油をさすつもりでやっています。ブリキのロボットが自分自身を整備している感じです。

「人生50年」の時代ならともかく、関節の耐用年数を過ぎても生きていくからには、メンテしておいて損はない。関節の周りには(うまい具合に)重要なツボが集まっているし、一石二鳥!

 

ひと昔前(私が鍼灸の国家資格をとった頃・笑)は、お灸はお年寄りのもの…というイメージがまだ残っていたけれども、今は「ととのえ」「リラックス」「スローライフ」のカテゴリーに入っているようですね。インスタの#moxa(もぐさ=moxa)を見れば、“アジアの知恵で、ほっこり未病治✨”みたいな画像がいっぱい出てくるし。

 

▽🎵わたしは、夢みる、経穴人形🎵。灸はお茶の缶に入れておけば、湿気知らず。

お灸でメンテナンス(命がけ編)

近年「リラックス」「スローライフ」の雰囲気をまとうことに成功したお灸ですが、かつては極限状態を想定していたケースもありました。

たとえば、茨城にあった「満蒙開拓少年義勇軍」の訓練所では、少年たちが“満州に渡る前”にお灸の知識を教えていたのです。病院もない過酷なエリアに行くのだから、せめてお灸で健康管理してみてね、という感じだったらしい。(PDF 満蒙開拓少年義勇軍 内原訓練所の灸療所「一気寮」に関する調査報告

 

また、敗戦目前の婦人雑誌には、“生き延びるための灸”みたいな記事をちょいちょい見かけます。“医者もクスリも不足しているから、とにかくお灸で生き延びましょう”といった調子なんです。

胃腸さえ丈夫ならばたいていの病気を押し切ってゆけるものですが、近頃は医者や薬の不足に加えて衣食住の不如意から来る心身の疲れ、不衛生、不消化などを原因して、胃腸病患者が続出しております。胃腸病は特に灸の効き目が顕著ですから、重くならないうちに根気よく灸を据えてください。(昭和20年8月『主婦の友』)

「衣食住の不如意から来る心身の疲れ」なんてサラッと書いてあるけれど、よく考えてみれば昭和20年8月の記事。もはや「衣食住の不如意」どころか、絶体絶命の読者も多かったのでは…。

2022年8月の私たち

NHK 新型コロナウィルス データで見る感染状況 2022/08/10

今、戦時中の灸のあれこれを読んでいると「まア!昔って大変ねえ。医者やクスリが不足して、灸に頼るしかないなんて…」と、ヒトゴトにしたくなります。しかし、考えてみりゃ2022年8月も、なかなか悲惨な状況ですよ。(参考 新型コロナウイルス 日本国内の感染者数・死者数・重症者数データ|NHK特設サイト

いつしか「ほっこりのお灸」から「命がけのお灸」にフェーズが変わってきているのでしょうか。

 

▽ 私はブログで、できるだけ鮮明な画像をのせるように心がけています。が、敗戦間近の雑誌は紙質が悪すぎてムリ!

昭和20年7月『主婦の友

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