佐藤いぬこのブログ

戦争まわりのアレコレを見やすく紹介

獅子文六と戦争をテーマにしたジンを販売中です

 戦争に突入する時代をテーマにしたジン『認識不足時代 ご時勢の急変と獅子文六』を作りました。BOOTHで販売中です。「あんしんBOOTH パック」(ポストに投函・匿名配送)でお送りします。

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ビリケン商会(青山)・オヨヨ書林新竪町店(金沢)・DA NOISE BOOKSTOREでもおもとめいただけます。

流行語だった「認識不足」と、獅子文六

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 昭和の人気作家・獅子文六といえば『コーヒーと恋愛』(昭和37)。テレビ業界が描かれているので“戦後の作家かな?”と思われるかもしれません。しかし『コーヒーと恋愛』は69歳(!)の時の作品なんです。

 

 デビューはもっともっと前、つまり戦前。ところが獅子文六がユーモア小説家としてブレイクしたとたん、日本は本格的な戦争モードになりました。( 朝ドラ「エール」の古関裕而も同様のタイミングでしたよね。ブレイク→戦争→軍歌の覇王)。

 

 ジン「認識不足時代 ご時勢の急変と、獅子文六 」(2020年11月発行)は、かつて流行語だった「認識不足」を軸として、昭和11年〜25年の16作品を並べています。戦争に突入する時代を扱っていますが、お茶の時間にサッと読めるように作りました。フェーズが変化するたびにキラキラしたモダン生活が消えるのを感じてください。

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ちくま文庫の「断髪女中 獅子文六短編集 モダンガール編」をセレクトされた山崎まどか様のTwitterより。

ビッグイシュー411号「究極の自由メディア『ZINE』」特集に掲載されました。

「認識不足時代 ご時勢の急変と獅子文六」で引用した 参考画像

ジン「認識不足時代」では、参考画像も紹介しています。

▽これは国際連盟脱退で揺れている頃の漫画。かわいい絵ですが、時代の空気が伝わってきます。(昭和8年2月講談社「キング」小野寺秋風) 

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昭和14年「欧州大戦勃発」の漫画タイトル(昭和14年11月新潮社「日の出」)

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▽49歳頃の獅子文六。ちょうど本名の岩田豊雄で『海軍』を書いている時期です。『海軍』は日米開戦の翌年(昭和17)朝日新聞に連載され、戦後「私のことを戦犯だといって、人が後指をさす*1」原因となりました。そんな『海軍』から20年後の昭和37年、『コーヒーと恋愛』の新聞連載がスタートします。

昭和17年12月『主婦之友・大東亜戦争一周年記念号』

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ジン「認識不足時代  ご時勢の急変と、獅子文六 」は、画像が多め・字も大きめ。「獅子文六に興味ないなあ」という方もぜひ!時代が急変している今、何かのヒントになりますように。 

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▽このジンを作ったきっかけは、2014年のラジオ(宇多丸さん)でした。

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*1:獅子文六全集14巻「落人の旅」朝日新聞社

おリボンと大政翼賛会

優美にラッピングされた大政翼賛会のメッセージ

当ブログでは以前から、戦時中の『婦人画報』に注目してきました。(やけに『暮しの手帖』と似ている点も含めて)。

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先日、戦中の『婦人画報』のヒントを『田村茂の写真人生』で見つけたのでご紹介しましょう。写真家・田村茂は、当時、桑沢洋子桑沢デザイン研究所東京造形大学創立者)の夫でした。

桑沢洋子*1)『婦人画報』を辞めたのは、何でも統制、統制で、陸軍報道部が編集に口を出したり、編集会議にまで来るようになって、嫌になったんだろうね、勤めが。

1942年頃だったと思うけど、 『婦人画報』の扉に「大政翼賛会宣伝部」の署名入りで文章が入るようになったんだもの。編集長に軍関係の人がおさまったしね。 

雑誌の扉に「大政翼賛会宣伝部」の署名入りで文章が入る…

こう聞くと、つい灰色の固くるしい誌面を想像しますよね。

しかし『婦人画報』は違うんですよ。パッと見は、オシャレで乙女チックなのです。というわけで、今日は日米開戦の翌年(1942年=昭和17)の『婦人画報』をご覧ください。

おリボンの魅力炸裂

▽この時期の『婦人画報』は、巻頭の数ページに美しい色を惜しげなく使って、メッセージを発信しています。表紙をめくったとたんに、もう「大政翼賛会宣伝部」の文章が。(大政翼賛会宣伝部は、花森安治がいたことでも有名ですね)。

軽やかな模様が描かれているけれど、内容はぜんぜん軽やかじゃありません。

今わたしたちが血みどろに戦っているこの大きな戦争は、どんなことがあっても勝たなければならない(略)戦っている日本に女の手の任務は重い。

婦人画報昭和17年6月号

▽同じ号の目次。おリボンの魅力がすごい。ほかの雑誌がどんどんみすぼらしくなる時期なのに、 『婦人画報』は鮮やかなカラー頁をキープ。この号は「目次・武石恒二」とあります。他の号も、東京オリンピックのポスターで知られる亀倉雄策が手がけていてすごくお洒落。

婦人画報昭和17年6月号

▽同じ号の巻頭コラム「女性のための時局話題」。なにやら希望に満ちたイラストだけれど、よく見れば「空襲への自信」など、かなり無茶な内容です。

敵機がとうとうわが本土を襲撃しました。近代戦の性格からいって当然のことです。これほどの大戦争を平時の状態のままで片付けてしまおうと思ったらそれこそ虫のいい話ではありませんか。(略)「空襲何ぞ恐るべき」という標語そのままの自信を得たのです。

空襲に「自信」を持ったらダメでしょう…

婦人画報昭和17年6月号

鮮やかすぎる地図

▽こちらも同じく『婦人画報』より「米英の強奪」を描いた地図。なんという気のきいたグラフィック!

ゴム・錫・タングステンキニーネ…その他の南方特産ともいうべき戦時必需物資は、米英の「強奪」から救われてアジアを潤すためにのみ活用されねばならない。その時が、今、来たのだ!

婦人画報昭和17年12月号

敵は常に反撃を狙っているのだ!

婦人画報昭和17年12月号

▽ここで比較のため、同時期の『主婦之友』(昭和17年12月)の目次どうぞ。ゴチャっとして、いかにも戦時中といった雰囲気です。『婦人画報』の洗練っぷりがおわかりいただけたでしょうか。※余談ですが、特集記事「海軍潜水学校」は、ユーモア小説家・獅子文六が本名の岩田豊雄で書いたレポートです。詳しくはこちら→獅子文六『海軍』と、出刃包丁 - 佐藤いぬこのブログ

『主婦之友』(昭和17年12月)

 以上、戦時中の『婦人画報』をご紹介しました。

そういえばクレイジーケンバンド横山剣さんは、横浜の税関で働いていた時、FAXのフォントを見ただけで「これは、やばい会社」と見分けられたとか。しかし横山剣レベルの達人でも、『婦人画報』の可愛らしい「おリボン」は、つい見逃してしまうかもしれません。

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*1:「彼女は『婦人画報』を1942年(昭和17年)に辞めて、銀座の家のすぐ近くに、働く人たちの洋服をつくる「桑沢服装工房」という店を出したんだ」『田村茂の写真人生』

1950年代の成増・朝霞

グラントハイツ(現・都立光が丘公園)の光景

 湿気を感じさせない広い空!

実はこの風景、アメリカじゃなくて、日本なんです。しかも時期は1955〜1957年(昭和30~32年)。つまり、昭和33年を舞台にした映画『ALWAYS 三丁目の夕日』よりも前。

 

 先日、1950年代の「グラントハイツ」(米軍の住宅地 。現・都立光が丘公園)や「キャンプドレイク」(朝霞)をご存じの方から、お話をうかがう貴重な機会をいただきました。当時を知る方の言葉はとっても濃厚で、ついていくのがやっと…!というわけで、今日はグラントハイツ周辺の写真を、いまいちど整理してみようと思います。

 1955〜1957年、日本*1に勤務していたアメリカ人が、成増や朝霞などの風景をネットにあげているのでご紹介しましょう。すべて元からキャプション付き・元からカラー写真です。【Jim's Army Daze ~ 1955 - 1957

▽米軍の住宅地・グラントハイツ。この風景に、「梅雨」があるとは思えません。

Laura Ann and bicycle at Grant Heights, Summer 1956

▽グラントハイツのPX(売店)1957 Post Exchange at Grant Heights, 1957

▽グラントハイツシアター(1957)Grant Heights Theater, 1957

▽グラントハイツの教会(1957)Grant Heights Chapel, 1957

▽キャンプ・ドレイク(朝霞)と人力車。→輪タク・人力車の時代 - 佐藤いぬこのブログ

Laura Ann in Ricksha at Camp Drake, Summer, '56

▽本場のファンシー?(1957)Pat Killen & Laura Ann Carpenter, Saturday, June 15, 1957

▽成増のクリスマス。座布団に猫。Jim, Laura Ann and Cat at Christmas time, 1956

▽成増の正月(1957年1月1日)。鴨居のある部屋で、靴。

https://freepages.rootsweb.com/~bulger/genealogy/army70.htm

▽アプリ【東京時層地図】より「グラントハイツ」周辺

東京時層地図(高度経済成長期前夜)に加筆

この地図を見ると、アメリカのドラマ『LOST』で、“謎の組織”が、絶海の孤島にアメリカと同じ環境を完全再現していたのを思い出します。(たしか、ちょうどこの地図みたいな雰囲気でパラパラっと住宅が配置されていました)

同時期の日本の光景

上記の写真と同じ人が撮影した日本の光景です。

▽成増の商店街(1956〜57)。すずらん通りですね。Street Scene in Narimasu, Japan

▽肥料屋さんのオート三輪。左下に「成増ストリート1956」と説明があるのが見えますか?

Laura Ann Carpenter and Three Wheeler, Summer of '56

▽成増の肥桶運搬(1957)。この写真に限らず、アメリカ人は日本の「肥桶(Honey Wagon、Honey buckets )」を撮りがち。他の写真はこちらにも→街に牛がいる1950年代【肥桶・Honey Wagon】 - 佐藤いぬこのブログ

Honey Wagon in Narimasu

Honey buckets near Owada 1956 / 57(小和田通信所付近)

https://freepages.rohttps://freepages.rootsweb.com/~bulger/genealogy/owada02.htm 

▽成増周辺の“ジャパニーズソルジャー”(1957)

Japanese Soldiers near Narimasu, Summer, 1957

▽東京ストリートシーン(1956)。Tokyo Street Scene, March 1956

▽帝国ホテル(1957)

http://Hollis, Patricia, Laura Ann in Tokyo, Aug 1957

以上1955〜1957年頃のグラントハイツ関連の写真でした。朝鮮戦争は1950〜53年なので、今日ご紹介した写真は「その後」になります。朝鮮戦争の「まっ最中」の日本には、また違う風景があったことでしょう。

▽例えば、こちらは今回とは別の人が撮影した、朝鮮戦争の時期(1952)の朝霞=キャンプ・ドレイクです。参考まで。

shakedown

▽同じく1952年の朝霞(キャンプ・ドレイク Camp Drake)。

Camp Drake

このような感じで、私のブログは1950年代の写真をアップしております。ぜひ他の記事もあわせてごらんください。

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*1:大和田通信所(清瀬~新座)

【韓国】子供が子供をおんぶする1950年代

子供が子供をおんぶする時代(韓国の場合)

 1950年代前半、主にアメリカ人によって撮影された日本には「子供が子供をおんぶする姿」がたびたび登場します。そしてこの時期、日本よりもたくさん撮影されているのは韓国なんです。前に日本の子供の「おんぶ写真」をアップしましたが、今回は韓国の写真をご紹介しましょう。

narasige.hatenablog.com

▽1950年代の日本と韓国をうつしたカラー写真が大量に存在する理由は、コチラ。

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“Korean Children”

Korean Children

“Dr. Kims poliklinikk (1952)”

Dr. Kims poliklinikk (1952)

“Korean Children, Seoul”

Korean Children, Seoul

“Making cakes, 1952”

Making cakes, 1952

“Two kids, 1952”

Two kids, 1952

“KOREAN GIRL: SEOUL, KOREA; KOREAN WAR”KOREAN GIRL: SEOUL, KOREA; KOREAN WAR

わかりにくいけれど、中央のおかっぱの子はおんぶしています。

Busan,Korea Dec 1950

“Children Harvest time Korea”

Children Harvest time Korea

“Brother and Sister, 1952”

Brother and Sister, 1952

Korean kids,1952

▽おんぶはしていないけれど、よく見ると小さい子を抱えています。女の子の右手に包帯。

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“Children at Camp NORMASH (1952)” 。「NORMASH」 についてはコチラをごらんください。

Barn ved NORMASH-leiren / Children at Camp NORMASH (1952)

▽おんぶ写真ではありませんが、野戦病院の子供たちです。“Chow, Kombo, Kim (1952)” 

Chow, Kombo, Kim (1952)

▽参考:同時期の日本。“1952 Japanese Children- Japan” 詳しくはコチラ→

【日本】子供が子供をおんぶする1950年代 - 佐藤いぬこのブログ

4-1-52- Japanese Children- Japan


以上、1950年代前半のおんぶ写真をご紹介しました。

余談ですが、先日、スピルバーグの自伝的映画『フェイブルマンズ』を観たんですよ。スピルバーグ少年(1946生まれ)が映画に出会うのは、1950年代=まばゆいフィフティーズ。でも私は、日本や韓国の1950年代がチラついてストーリーに集中できませんでした。

▽破壊されたソウルのダウンタウン。建物の向こう側が見えています。“Destroyed Buildings, Downtown Seoul”

Destroyed Buildings, Downtown Seoul

▽瓦礫だらけのソウルと、復興途上の日本が、同時期に撮影されている例。

Korean War Memories 1951-1953 | Flickr

▽読んでみたい本

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朝鮮戦争時の横浜(混血児の孤児院)を描いたのが獅子文六の『やっさもっさ』です。

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服のお手本はナチスの「流行局」

 戦時中の『婦人画報』を読んでいると、ナチスヒットラーが肯定的に扱われていてビックリすることがあります。

▽例えば、記事のタイトルがズバリ「わたしたちのヒットラー」だったり。

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ナチスの流行局

で、今日ご紹介するのは「ナチスの流行局」関係の記事です。西洋のファッションを真似したくても「米・英」が敵なので、手本を同盟国ドイツにもとめたのでしょう。

▽「ナチスの流行局」の解説。ドイツ語が混ざっているし、正直何をいっているのかよくわからない!(『婦人画報昭和17年4月号)

ナチスのモオデアムト(流行局)は、流行を単に“流行もの”とせず精神の上でも物質的な意味でも、“国粋もの”の方向に進めつつある。

婦人画報昭和17年4月号

ドイツは我が国よりも三年早く衣類は切符制になっている。そこでナチスの生活文化部は、女性の物質に対する正しい「眼」の練達に主力を注いでいる。

婦人画報昭和17年4月号

▽まるで伝説の雑誌『Olive』(マガジンハウス)みたいなページ。お手本がリセエンヌじゃない『Olive』。

婦人画報昭和17年4月号

▽リボンとの組み合わせ。

東京オリンピック1964のポスターでおなじみ、亀倉雄策が手がけています。

ナチスの「流行局」がデザインした労働服。ベルトに小物入れがついてる。(『婦人画報昭和16年2月号)

ドイツ婦人労働者のための純然たる労働服。長いズボンのついたものでジッパーの機能的な利用や運動に対する注意の行きとどいたデザインである。製作・デザインとも「流行局」です。

婦人画報昭和16年2月号

▽オフィスの事務服、暗いエレガンス。サンダルは「代用品」を利用した新素材でできているそう。(『婦人画報昭和16年2月号)

いやみのないすっきりしたデザインが好感がもてます。左図は変形にしたところです。ちょっとした思いつきでまったくスタイルが変わります。

婦人画報昭和16年2月号

▽ちなみに、『婦人画報』の通常ページはこんな感じ。いやあ、一気に現実に引き戻されますね。お祖母さんやお父さんの着古した着物から「可愛らしいツーピース」を作るこころみです。『婦人画報昭和17年4月号。(モデルは、著名人のお嬢さんや奥さんなのだとか*1。)

婦人画報昭和17年4月号

▽今回は『婦人画報』を紹介しましたが、『婦人公論』の新社会人向けマナーのページもごらんください💦

外国旗などと交叉する場合は我が国旗を内側にし、門外から見て旗が右になるように掲げます。

婦人公論昭和13年4月号

以上、“ドイツ”を手本にしていた時代でした。

しかし、ただでさえ洋服に慣れていない日本人が【戦時の工夫をプラスする】って、すごく難易度高そうですよね!

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*1:『田村茂の写真人生』より

勝者目線の地図(1945年「LIFE」の広告から)

勝者から見た太平洋の地図

  終戦直後のアメリカの雑誌『LIFE』(1945年8月27日号)を見ていたら、思いっきり勝者目線の地図がありました。「どうです、戦時中の我が社の活躍ぶりは?」といわんばかりの広告なんですよ。ウェスタン・エレクトリック社という電気機器の会社で、今は「ノキア」が引きついでいるらしい。

▽とてもわかりやすい地図。ミッドウェイ、ガダルカナル、サイパン、硫黄島、そして東京…。東京が、すごろくの「上がり」みたいになってる💦

▽一部拡大。“TOKYOを爆撃するときも、我が社のデバイスがお役に立ちました”的な。

戦勝ムードあふれる誌面(LIFE 1945年8月27日号)

ちなみに同じ号の誌面はお祝いムード。

アメリカ各地の写真

「8月14日午後7時」、大統領が日本の降伏を発表。文中、何回も出てくる「Jap」…。

▽さらに同じ号(LIFE 1945年8月27日)の広告がコレ。繰り返しますが、終戦の年の8月ですよ。そりゃ負けますね。

日本目線の見た太平洋

 一方、上記の地図の2年半ほど前には、日本の雑誌にだって勇ましい地図が載っていました(「婦人画報」1942年12月号)。敗戦に向かって日本の雑誌はどんどんみずぼらしくなっていきますが、この号はカラー頁。日米開戦1周年の気合いを感じます。

敵の第一次・包囲陣営はここにバラバラに粉砕されたのだ。(略)敵は常に反撃を狙っているのだ!

婦人画報」1942年12月号

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千鳥ヶ淵でお花見する方へ

 以上、何ともいえん気持ちになる“勝者目線の地図”のご紹介でした。

話はかわりますが、これからお花見のシーズンです!

桜といえば、千鳥ヶ淵千鳥ヶ淵といえば「千鳥ヶ淵戦没者記念墓苑」

ご存じのとおり海外で亡くなった戦没者の遺骨を納めた墓苑です。今年のお花見には、ぜひ今回紹介した地図も思い浮かべてみてくださいね。

【戦時ラブコメ@蒲田】獅子文六『虹の工場』

戦時ラブコメは、設定がむずかしい

 昭和の人気作家・獅子文六の『虹の工場』(昭和15)は、いわば戦時ラブコメです。

【巨大軍需工場のお坊ちゃん】と、【町工場の職工】が、ひょんなことから同じ女の子(キャフェの女給)を好きになってしまうお話で、舞台はなんと蒲田。

「え?戦争中にラブコメが成立するの?しかも蒲田で?」と思われるかもしれませんが、これがギリギリのバランスで成立しているんですね。

もっとも、このバランスはとても微妙。

“主要人物が(この時点では)兵役を免れている”という大前提があって、なんとかラブコメの形を保っている状態だったりします。

 なにしろ、巨大軍需工場の御曹司は「徴兵検査丙種」。彼は「銃をとって、軍国のお役に立ちたくても」それができない超虚弱体質です。

そして、御曹司の恋のライバル=「職工」は、若くて健康なのに「どうしたわけか兵役も補充兵に回され」ている状態。

そう。彼らが出征したらストーリーが終わってしまう(または別のストーリーがはじまってしまう)そんな時代なんです*1

 2人の男性に愛されるヒロインが、軍需工場のそばに乱立する歓楽街で働いているのも、戦時中ならではの設定といえるでしょう。

▽参考画像:徴兵検査

一目見て 甲種ときめた 好い体

昭和14年11月 新潮社「日の出」細木原青起

 もっとも、この3人には恋のかけひきは全然ありません。御曹司は人間ギライの引きこもりだし、「職工」と「女給」は、(奇跡的に)真面目な性質だから。

私は『虹の工場』読むとき、「 チェリまほ」の俳優さんにあてはめているんですよ。神経質でイケメンの御曹司=黒沢。内気な職工=安達。純朴な女給=藤崎さん。どうです、いいでしょう?

今こそ読んでほしい、戦時ラブコメ

 『虹の工場』の舞台・蒲田は軍需景気で大賑わい。工場脇の歓楽街は、金を持った【職工=産業戦士】で満員だし、出てくる悪党はマヌケぞろい。御曹司の邸宅は超豪華、軍需成金のマダムたちは三越でお買い物。つまり『虹の工場』は、戦争の暗部が最小限に抑えられているエンタメ小説なんです。

 一方、時々ネタはどんどん放り込まれている。つまり、私たちは、ラブコメを読みながら、「興亜奉公日」「代用皮革」みたいな、戦時中の言葉をスルスル覚えることができるわけ。

 残念なことに、未来人の私たちは『虹の工場』を手放しで楽しむことはできません。たった数年後の日本は焼け野原になるのを知っているから。しかし、だからこそ今、読んでみてほしい小説です!

▽参考:【職工=産業戦士】のヤンチャぶりがうかがえる本。

日本のカーニバル戦争――総力戦下の大衆文化1937-1945

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*1:獅子文六の『娑羅乙女』(昭和13)と『女給双面鏡』(昭和13)は、出征と同時に話が終っています。

パステルカラーと、敵対心の醸成【戦時中の婦人雑誌から】

 私は、映画『ミッドサマー』見た時、あまりの恐ろしさに胃が固まってしまいました。映画が胃に“きた”のは、はじめての体験です(笑)

 さて、戦時中の「婦人画報」を見ていると、ときどき『ミッドサマー』を感じることがあります。明るい色彩の奥底に、ナゾの理屈がうごめいているあの感じ!以下、昭和17年の「婦人画報から画像を紹介しましょう。

日米開戦後の「婦人画報」(昭和17)から

▽例えばこれ。一見、おっとりした表紙に見えますよね?でもよく見ると、右上に「米英の 総てを 滅し去れ」って書いてあるんですよ💦こんなにパステルカラーなのに!!

婦人画報昭和17年12月号

▽拡大したところ。世界地図を見ている男の子と、「米英の 総てを 滅し去れ」

婦人画報昭和17年12月号

▽中をめくれば、「米英の強奪」をテーマにした地図があらわれます。なんという気のきいたグラフィック!この時期、ほかの雑誌はみすぼらしくなっていくけれど、これはとっても鮮やかです。

ゴム・錫・タングステンキニーネ…その他の南方特産ともいうべき戦時必需物資は、米英の「強奪」から救われてアジアを潤すためにのみ活用されねばならない。その時が、今、来たのだ!

婦人画報昭和17年12月号

▽同じく昭和17年婦人画報」の広告はこんな感じ。花森安治がいたことでおなじみ「パピリオ」の広告は、英米人をけなすために「豚」や「くらげ」を使っています。

英米人は、学問上で、自分たちのことばかりから考へて、ヒフの白いのほど、進化した上等の様にいってゐるが、ヒフの白いのがよければ、豚のヒフは人間より、もっと白い。

婦人画報昭和17年4月号

▽ほのぼのしたイラストで、「あれ、暮しの手帖かな?」と思ってしまう記事。でも、書き出しは「米英撃滅の日まで、一億火となるべきとき」なんですよ。右下の「HIG」という謎サインについては、こちらをご覧ください。

「わたしたちのヒットラー 総統と少女」【昭和17年の女性誌より】 - 佐藤いぬこのブログ

婦人画報昭和17年5月号

大政翼賛会のひらがなメッセージ

この時期『婦人画報』の巻頭には、いつも大政翼賛会の柔らかメッセージがあります。この号はピンク色と鎖のフチ飾り。中央にあるのは、大政翼賛会のマークです。

戦ひは長い。けれども、前途は明るいのです。どんなことがあつても、私たちはしつかりしませう。大政翼賛会

婦人画報昭和17年4月号

昭和17年の『婦人画報』は、(日米開戦後なのに)絵本チックなページがあるから、よけい「ミッドサマー」を感じてしまう。

婦人画報昭和17年4月号

以上、簡単ですが戦時中の「婦人画報」を紹介しました。

先日「特定国への敵対心を醸成」のニュースが話題になっていましたが、「敵対心の醸成」や「戦意昂揚」が、ふんわりラッピングされていた時代を忘れないようにしたいものです。

▽「暮しの手帖」の花森安治は、大政翼賛会で「敵愾心昂揚」の宣伝にたずさわっていました。

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