優美にラッピングされた大政翼賛会のメッセージ
当ブログでは以前から、戦時中の『婦人画報』に注目してきました。(やけに『暮しの手帖』と似ている点も含めて)。
先日、戦中の『婦人画報』を読み解くヒントを、桑沢洋子(桑沢デザイン研究所・東京造形大学の創立者)の夫だった写真家・田村茂の著書で見つけました。
(桑沢洋子が*1)『婦人画報』を辞めたのは、何でも統制、統制で、陸軍報道部が編集に口を出したり、編集会議にまで来るようになって、嫌になったんだろうね、勤めが。
1942年頃だったと思うけど、 『婦人画報』の扉に「大政翼賛会宣伝部」の署名入りで文章が入るようになったんだもの。編集長に軍関係の人がおさまったしね。( 『田村茂の写真人生』1986)
[雑誌の扉に「大政翼賛会宣伝部」の署名入りで文章が入る]……こう聞くと、灰色の固くるしい誌面を想像しますよね。
しかし『婦人画報』は違うんですよ。パッと見はとても可愛いのです。というわけで、今日は日米開戦の翌年(1942年=昭和17)の『婦人画報』をご覧ください。
おリボンの魅力炸裂
▽この時期の『婦人画報』は、巻頭の数ページに美しい色を惜しげなく使ってメッセージを発信しています。表紙をめくったとたんに、もう「大政翼賛会宣伝部」の文章が。(大政翼賛会宣伝部は、花森安治がいたことでも有名ですね)
軽やかな模様が描かれているけれど、内容はぜんぜん軽やかではありません。
今わたしたちが血みどろに戦っているこの大きな戦争は、どんなことがあっても勝たなければならない(略)戦っている日本に女の手の任務は重い。
▽同じ号の目次。おリボンの魅力がすごい。ほかの雑誌がどんどんみすぼらしくなる時期なのに、 『婦人画報』は鮮やかなカラー頁をキープ。他の号も、東京オリンピックのポスターで知られる亀倉雄策がデザインを手がけていたりして、すごくお洒落です。
▽同じ号の巻頭コラム「女性のための時局話題」。なにやら希望に満ちたイラストだけれど、よく見れば「空襲への自信」など、かなり無茶な内容です。
敵機がとうとうわが本土を襲撃しました。近代戦の性格からいって当然のことです。これほどの大戦争を平時の状態のままで片付けてしまおうと思ったらそれこそ虫のいい話ではありませんか。(略)「空襲何ぞ恐るべき」という標語そのままの自信を得たのです。
空襲に「自信」を持ったらダメでしょうが。
鮮やかすぎる地図
▽こちらも同じく『婦人画報』より「米英の強奪」を描いた地図。なんという気のきいたグラフィック!
ゴム・錫・タングステン・キニーネ…その他の南方特産ともいうべき戦時必需物資は、米英の「強奪」から救われてアジアを潤すためにのみ活用されねばならない。その時が、今、来たのだ!
敵は常に反撃を狙っているのだ!
ほかの婦人雑誌と比べてみる
ここで比較のため、同時期の別の婦人雑誌を見てみましょう。これは『主婦之友』(昭和17年12月)の目次ですが、ゴチャっとしていかにも戦時中といった雰囲気です。
『婦人画報』の洗練っぷりがおわかりいただけたでしょうか。※余談ですが、特集記事「海軍潜水学校」は、ユーモア小説家・獅子文六が本名の岩田豊雄で書いています。詳しくはこちら→獅子文六『海軍』と、出刃包丁 - 佐藤いぬこのブログ
以上、戦時中の『婦人画報』をご紹介しました。
そういえばクレイジーケンバンドの横山剣さんは、横浜の税関で働いていた時、FAXのフォントを見ただけで「これはヤバい会社」とわかったそうです。しかし横山剣レベルの達人でも、『婦人画報』の可愛らしい「おリボン」は見逃してしまうかもしれません。