(アイキャッチ画像は、資生堂のあぶらとり紙です。イラスト:山名文夫)
“資生堂ギャラリーで、山名文夫を中心とするグループが展覧会を行った”という文章を見た時、私たちがイメージするのは、やっぱり都会的な美女ですよね。こういう感じの↓
軍艦を描く山名文夫
ところが昭和16年の2月、銀座の資生堂ギャラリーで開催された《太平洋報道展》は様子が違いました。山名文夫は美女を描かずに、なんと軍艦を描いていたのです。その時の回想がコチラ。
(山名文夫『体験的デザイン史〈太平洋報道展〉』)
私は、太平洋上の軍事力の比較を、21尺× 6尺のパネルに図表化することに携わったが、戦艦とか巡洋艦とか航空母艦などの型を写すのに苦労しながら、ふと少年時代を遊ぶ心地になった思いがのこっている。
あの山名文夫が、軍艦を描く?
銀座の「資生堂ギャラリー」に「太平洋上の軍事力」のパネル?
これは一体、どういうことなのでしょうか。
「一億進軍の時来る!」《太平洋報道展》@資生堂ギャラリー
まずは、実際の《太平洋報道展》をごらんください。右に「一億進軍の時来る!」とラッパを吹いている絵が…。✨資生堂ギャラリー✨のイメージからほど遠い展示です。
▽同じく《太平洋報道展》の「正面パネル」。フォントが妙にかわいいけれど、文章はものものしい!
これからの太平洋は刻々として有史未曾有の一大戦略的空間となりつつある。東亜民族の共存共栄を妨害せんとするアングロサクソンの執拗な侵略搾取政策は今や大規模なる軍備拡張計画を以て積極的攻勢に転じてきた
山名文夫と「報道技術研究会」
「一億進軍の時来る!」「アングロサクソンの執拗な侵略搾取政策」といった、いかついノリの《太平洋報道展》@資生堂ギャラリー。
なぜ、美女のイラストで知られる山名文夫がこのような展示にたずさわったのでしょう?その理由は、《太平洋報道展》を開催した「報道技術研究会」というグループにありました。「報道技術研究会」……なんだか漠然とした名称だと思うのは私だけでしょうか。
この「報道技術研究会」は 、デザイナー・コピーライター・写真家などの制作集団で、国家宣伝の高度化と総合化を目指していました。発足は昭和15年秋。
で、山名文夫はそこの委員長だったというわけです。
(山名文夫『体験的デザイン史〈報道技術研究会〉』)
どういうわけか、委員長のシャッポを私がかぶることになった。私は兵隊になって働くのが好きだったし、またそれ以上の能力もなかったので、委員長のシャッポはいつも帽子掛けにかかったままであった。
▽《太平洋報道展》での「報道技術研究会」会員。中央に「委員長」の山名文夫。となりに前川国男の姿も。
花森安治と出会う
山名文夫を委員長とする「報道技術研究会」がたずさわった《太平洋報道展》@資生堂ギャラリーは大成功!
《太平洋報道展》を「国家宣伝の元締めのような官庁」である情報局が買い取って、各地を巡回するほどのロング・ランになりました。
(山名文夫『体験的デザイン史〈太平洋報道展〉』)
展覧会は昭和16年2月24日から28日まで、銀座の資生堂ギャラリーで開かれた。このギャラリーを使ったのは、他に会場がなかったからか、場所として良かったからか、もしくは私の関係で借りやすかったからかよくわからないが、企画された大型内容を展示するには狭く窮屈であった。
やがて「報道技術研究会」は、大政翼賛会とも仕事をするように。
そう、ここで【大政翼賛会宣伝部の花森安治】と、山名文夫が出会うんですね。山名は、花森安治の第一印象をこう書いています。
(山名文夫『体験的デザイン史〈翼賛会宣伝部〉』)
「花森氏は、パピリオで佐野繁次郎氏のイキのかかった人」「いったいこんな“民間人”がどんなかかわりで、こうしたポストに就いたのか、これも“徴用”なのか、そのへんのところはわからなかった」
戦後「暮しの手帖」のカリスマ編集長となった花森安治を、“パピリオ(化粧品)出身の民間人”呼ばわりとは…(笑)。大政翼賛会時代の花森安治は、頼りになる「アートディレクター」的な存在だったそうです。詳しくはこちらをご覧ください。
大政翼賛会 戦意高揚ポスター(昭和18)
結果、生まれたポスターの一例です。企画構成は山名文夫。
この地球上から、米国旗と英国旗の影が一本もなくなるまで、撃って撃って撃ちのめすのだ
▽しかし、どんなポスターを作ってみても戦局は悪化。敗戦の年(昭和20)の山名文夫と花森安治は、かなり疲れて見えます。
以上、山名文夫と戦争についてご紹介しました。今回引用した『体験的デザイン史』は、きらめく才能の持ち主(デザイナー・写真家・コピーライター等)が、長引く戦争でグンと仕事が減り、国策宣伝へと流れていく様子をうかがうことができます。
新しい戦前といわれている2023年。山名文夫の『体験的デザイン史』をおすすめします。