ライカム=琉球米軍司令部
東京の立川は「IKEA」や「ららぽーと」がある大きめの街ですが、かつては米軍基地がありました。そこはフィンカム基地と呼ばれ、立川の商店街も「フィンカム前商店会」だったのです。
▽昔の立川。「お買い物はフィンカム前商店会へ」と書かれたゾウ
ちなみに「フィンカム」とは、FEAMCOM(Far East Air Materiel Command=極東航空資材司令部)の略。アメリカの、いわば“内輪の略語”をそのまま商店街につけるってどうなの?と複雑な気持ちになりますが…
そして【立川=フィンカム】と似た呼び方が沖縄にあります。それはライカム。ライカム[RYCOM]は琉球米軍司令部(Ryukyu Command headquarters)です。
▽沖縄県公文書館所蔵の写真より[1951年撮影]
以下、flickrから1950年代前半の沖縄を紹介しましょう。※元からカラー写真です
▽ライカムの看板[RYCOM OFFICERS OPEN MESS]
▽上の建物を引きで見たところ。 当時沖縄にいたと思われるアメリカ人(たぶん高齢)のサイトから拝借しました。こういうサイトはいつ消えるかわからないので、今のうちに引用しておきます
▽ライカムのチケット。このチケットに限らず、日本の基地に関するアイコンはやたらと鳥居が使われがち
▽高台の星条旗
街の様子
ここから、沖縄の街(?)の様子を貼っていきますね
▽どこにでも本国のノリを再現するアメリカ
▽この看板は台風に耐えるつくりになっているのでしょうか
▽車、車、車……。この写真と同時期の1954年(昭和29)に東京で行われた第1回「自動車ショウ」では出品車両267台のうち乗用車の展示はわずか17台だったとか(展示の大部分を占めたのは建設車両、トラック、バス、三輪車、オートバイ)
▽スーベニアショップ
▽最後に「R」が書き足されている靴屋
▽建物に直接「ビヤホール」と書いてあります
▽闘牛大会
▽右のおじさんは、黒い子豚を天秤棒で運んでいます
以上、主に1950年代前半の沖縄でした。1950年代前半は、ちょうど朝鮮戦争にあたります。やがてベトナム戦争の時代になるわけですが、それはまた別の機会にふれたいと思います
【参考】ベトナム戦争の頃の沖縄
▽成増(東京)にも、本国を再現していたアメリカ