子供が子供をおんぶする時代(韓国の場合)
1950年代前半、主にアメリカ人によって撮影された日本には「子供が子供をおんぶする姿」がたびたび登場します。そしてこの時期、日本よりもたくさん撮影されているのは韓国なんです。前に日本の子供の「おんぶ写真」をアップしましたが、今回は韓国の写真をご紹介しましょう。
▽1950年代の日本と韓国をうつしたカラー写真が大量に存在する理由は、コチラ。
“Korean Children”
“Dr. Kims poliklinikk (1952)”
“Korean Children, Seoul”
“Making cakes, 1952”
“Two kids, 1952”
“KOREAN GIRL: SEOUL, KOREA; KOREAN WAR”
わかりにくいけれど、中央のおかっぱの子はおんぶしています。
“Children Harvest time Korea”
“Brother and Sister, 1952”
▽おんぶはしていないけれど、よく見ると小さい子を抱えています。女の子の右手に包帯。
“Children at Camp NORMASH (1952)” 。「NORMASH」 についてはコチラをごらんください。
▽おんぶ写真ではありませんが、野戦病院の子供たちです。“Chow, Kombo, Kim (1952)”
▽参考:同時期の日本。“1952 Japanese Children- Japan” 詳しくはコチラ→
【日本】子供が子供をおんぶする1950年代 - 佐藤いぬこのブログ
以上、1950年代前半のおんぶ写真をご紹介しました。
余談ですが、先日、スピルバーグの自伝的映画『フェイブルマンズ』を観たんですよ。スピルバーグ少年(1946生まれ)が映画に出会うのは、1950年代=まばゆいフィフティーズ。でも私は、日本や韓国の1950年代がチラついてストーリーに集中できませんでした。
▽破壊されたソウルのダウンタウン。建物の向こう側が見えています。“Destroyed Buildings, Downtown Seoul”
▽瓦礫だらけのソウルと、復興途上の日本が、同時期に撮影されている例。
Korean War Memories 1951-1953 | Flickr
▽読んでみたい本
近刊『朝鮮戦争 無差別爆撃の出撃基地・日本』
— 高文研 (@koubunken) 2023年4月17日
林博史著
〝兵站基地〟として米軍を後方支援した日本は戦後の非軍事化・民主化の改革が突き崩されていった。東京・沖縄から飛び立った爆撃機B29による無差別爆撃の詳細な記録を収録、日本の「参戦」の実態を明らかにする。https://t.co/JSrcOE4jOQ pic.twitter.com/dleQzN0DVs
▽朝鮮戦争時の横浜(混血児の孤児院)を描いたのが獅子文六の『やっさもっさ』です。