佐藤いぬこのブログ

戦争まわりのアレコレを見やすく紹介

休憩所としての日本

戦場の看板「R&R」

 1950年代前半(朝鮮戦争の時期)、日本を撮影したカラー写真が多数ネットにあがっています。しかし1950年代も後半になると、そのような写真はほとんど見かけません。一体、どのような経緯で撮影されたのでしょうか?以下、関連写真をご紹介します。

まずは朝鮮戦争の時期に立てられていた看板をごらんください。

R & R, 1954 | Korea and Japan, 1954 Photographer: LKB | m20wc51 | Flickr

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 拡大画像。左と右で絵が違いますよね。

  • 左は、戦闘の絵
  • 右は、女性と手をつないで富士山を見ている絵

「今は戦場で辛いだろうけど、そのうち富士山を見て過ごせるから頑張れ」みたいなイメージ? 

▽絵に「R&R 」という文字があるのに注目してください。

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東京のお風呂にも「R&R」の文字が

 いきなり場面が飛びますが、これは、銀座にあった超豪華な入浴施設「東京温泉」の写真。こちらのキャプションにも「R&R」の文字があります。

"A US Soldier on R&R in the Tokyo Onsen, a bathhouse"

 Tokyo Onsen | Photographer: Unknown | m20wc51 | Flickr 

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narasige.hatenablog.com

「R&R」と、大人気の街「コックラ」=小倉

 さて、この「R&R」とは一体なんなのか?

そのヒントは、朝鮮戦争時、韓国の駐留米軍で通訳のアルバイトをした人のエピソードにありました。

ボクらの京城師範附属第二国民学校 ある知日家の回想 (朝日選書)

彼らの韓国での勤務期間は大体1年6ヶ月だったが、その間1度だけ1週間の休暇がある。休暇は「R&R(rest and recreationの略)」と呼ばれ、皆楽しみにしていた。その休暇を彼らは日本で過ごした。戦争の傷跡の癒えない韓国に、彼らが楽しめるような場所はまだなかった。

日本から帰った彼らにどこに行ったのかと尋ねると、ほとんどが「トキヨー」か「コクーラ」または「コックラ」と答えていたが、「コックラ」と発音する者が多かった。「トキヨー」はトにアクセントがあったが、東京のことだと分かった。ところがコにアクセントのある「コックラ」のほうは、いったいどこにあるのか、行ってきた当人もよく分からないふうであった。(略)

 

 休暇から帰った者は興奮覚めやらぬ様子でコックラの話をする。すると以前コックラに行った者も話に加わり、勤務時間中もその話でもちきりになる。コックラに対する評価にはUSもRAも、白人も黒人も、大学生も農夫も関係ないようだった。どの兵隊の話にも「〇〇子、〇〇子」と女の名前ばかり出てくる。何のことはない、みんなコックラの女に感激しているのであった。コックラの女は綺麗で、素晴らしい、また会いたいと激賞し、英文で書いてきた住所あてにせっせと手紙を出す者もいた。(略)

 

 兵士たちは日本へ行く時、友人から金を借りて、ある程度まとまった金額を持っていくのだが、その金も、1ドル残らず全部コックラで使ってくるらしかった。(略)1960年代に、私はひょんな事から日本の小説読み始めたのだが、そのきっかけとなったはじめての本は松本清張「点と線」だった。その作家略歴に九州の小倉生まれとあって、コックラは小倉だと分かった。多くの兵士が小倉に行っていたのは、地理的に韓国から近かったからであるらしい。

ボクらの京城師範附属第二国民学校 では、「R&R」を「rest and recreation」としていますが、こちらの論文では「休養と回復(Rest and Recuperation)」と書かれています。

ci.nii.ac.jp

1950年代の関連画像をランダムにあげます

 「R&R」のしくみがおぼろげにわかったところで、関連画像を貼っていきますね。朝鮮戦争と直接関係のない写真も含まれているかもしれませんが、時代の雰囲気を知る意味であげました。(※カラー写真は、もとからカラーです)

"R&R - Fukuoka Japan " 

KA - R&R - Fukuoka Japan - Over 1000 Views

"R&R - Fukuoka Japan 2" 

KA - R&R - Fukuoka Japan 2 - Over 1000 Views

「コックラ」こと、小倉のホテル

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看板を拡大したところ。ネオンの看板「Hotel New Kokura 」。

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「R&Rインフォメーションセンター」の看板。京都のCamp Fischer。

Camp Fischer, Japan

模型屋さん(?)に「R&R」の看板。コンビニの「宅急便」や「ATM」の掲示っぽい。

Hobby Shop, Japan, 1955 | Korea and Japan, 1955 Photographer… | Flickr

Japan, "Time Out" 1952 | Japan, 1951 Photographer unknown | Flick Japan, "Time-Out"とあります。駅での別れでしょうか。

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 2019-08-22-0008 | Japan, 1953-54 Photographer Joseph Jowell | m20wc51 | Flickr

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Sailor shopping, Robber's Alley, Yokosuka, Dec. 1953 派手な絵の土産物屋。

Sailor shopping, Robber's Alley, Yokosuka, Dec. 1953

 夜の街

Japan, 1952-'53 壁のペナントに「1951年 神戸 レスリング」とあります。

2018-04-21-0002

Japanese festival, 1952 おみこしの背景に「夜の街」

Japanese festival, 1952

拡大写真。普通の民家に、いきなり看板を取り付けているのがわかります。

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Japanese Festival (2), 1952 別の角度から見ても、背景は急ごしらえの「夜の街」。

Japanese Festival (2), 1952

Floor Show, Tokyo | Tokyo, Japan 1950-'55 Photographer unkno… | m20wc51 | Flickr お座敷で "フロアーショー"

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1952-1953 Jpan Tachikawa  立川ナイトライフ

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▼立川と朝鮮戦争の関係については、こちらをご覧ください。

narasige.hatenablog.com

 Sasebo at night | Japan, 1953-54 Photographer Joseph Jowell | m20wc51 | Flickr 佐世保の夜

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Matsu Lodge, Sasebo, Japan. December 1952 | Japan, 1952 Phot… | Flickr 佐世保1952。ドレスの人、よく見ると男性?右の人、靴下でダンスしてる。

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 Japan, 1950-55  密です。2016-12-24-0003

Waiting for the train into town, Mikakino Station, Gifu 1954 岐阜1954。駅のホームで。両サイドの看板には「ショー」「キャバレー」「ノーチップシステム」などとあります。

Waiting for the train into town, Mikakino Station, Gifu 1954 中町 各務原市 岐阜

浴衣や丹前でくつろぐ姿

「一時的な休暇」というより、もっと日本に根付いているイメージの写真も見かけます。右端の男性に注目してください。とても小柄で、馴染んでいる。

2019-08-22-0004 | Kamiyamada, Japan oct 1953-April 1954 Phot… | Flickr

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Kamiyamada, Japan Nov. 1953-April 1954 上の写真と同じ人。小柄だから浴衣がツンツルテンにならない。

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同じ位置で、肩出しドレス。

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上の写真(flickr)の並びにのっていました。チェーンをした赤ちゃん。Kamiyamada, Japan Nov. 1953-April 1954

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2016-04-10-0008 | Korea and Japan, 1953-56 Photographer: Rol… | Flickr   丹前でくつろぐ。

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Korea and Japan, 1953-56 上の写真と同じ人です。

Roland F. Stead, Jr. 1952

 2016-04-10-0036 | Korea and Japan, 1953-56 Photographer: Rol… | Flickr

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flickrで、上の写真の近くにあった光景。

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【参考】日本の現地妻(的な女性)を描いた漫画「Babysan」。「Babysan」は、英語のwikiがあります。

babysan-servesfish

笠原和夫朝鮮戦争

 以上、“休憩所”関連の写真でした。

ちなみに私の近所の街にはかつて米軍基地があり、まさに“休憩所”として発展してきました。松本清張『セロの焦点』の舞台にもなった街ですが、そのテの過去はいっさいなかったことにされています。

 「仁義なき戦い」の脚本家、笠原和夫の自伝「妖しの民」と生まれきて は、ちょうどその頃の生々しいエピソードを読むことができるのでおススメ。笠原和夫は、ずばり「コーリアフロント」(朝鮮戦争)帰休兵専門のホテルで働いていたのです。ホテルのオーナーが"落ち目になった戦前の2枚目俳優"というのもリアル。ぜひ読んでみてください!

「妖しの民」と生まれきて (ちくま文庫)

▽1950年代の立川ナイトライフ

narasige.hatenablog.com

▽【閲覧注意】戦地で治療にあたる女医さんの写真です。

narasige.hatenablog.com

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