朝鮮戦争とカラフルな服
朝鮮戦争(1950-1953)の前後は、韓国や日本のカラー写真がとても豊富。flickrには「祖父が撮ったKoreaとJapan」的なくくりで、多数の写真がアップされています。
戦場となっていた韓国で目をひくのが、驚くほどあざやかな服の存在です。
「この服はいったいどこから来たのだろう?」。長いこと不思議でした。以下、例をあげてみましょう。
▽[Korea, 1954]
▽The Korean War Photos of Sgt. Walworth, USAF 1. Suwon and Osan 1953
▽[Korea, 1952]
▽[Koje (Geoje) Island, Korea 1953]
▽[Koje (Geoje) Island, Korea 1953]
▽[Korea, 1953]
▽街ゆく人たちと、服装のギャップがすごい。[Korean market scene, 1952]
▽1950年のソウル。街並みとのギャップもすごい。[Ruins of Seoul, September 1950]
アメリカの通販で服を入手していた?
戦争中の国に、いきなり存在するカラフルな服のナゾ。先日ようやくそのナゾがとけました。朝鮮戦争が舞台の『マッシュ 』(1968)という小説を読んでいたら、「シアーズ」(アメリカの通販)が出てきたんですよ。どうやらカラフルな服は、アメリカの通販が関係していたらしい。
ソウルと最前線を結ぶ唯一の主要幹線道路に面しているという地の利を得て、「一流街頭サービス慰安所」は、トラック運転手が1人残らず一時停止することから、その評判がかなり高かった。(略)
さしまねく女たちは「シアーズ・レーバック」のカタログをもとに仕立てた(原書ではavailable through the Sears Roebuck catalogue)、目もあやなアンサンブルを着込んで、雨にも負けず風にも負けずハイウェイずらりと勢ぞろいしている。
ちなみに「シアーズ」のカタログはこんな感じ。画像はシアーズのカタログを年代順にまとめたサイトから。←すさまじいボリュームですよ。
日本でも、シアーズのカタログから注文していた
さらに、同時期の日本(埼玉県朝霞)でも「パンパンガール」達がシアーズのカタログで注文していたという証言を発見!朝霞といえばキャンプ・ドレイクがあった土地ですね。
ハニーたちのよそほひ五六態つづき – 市民が集めた朝霞の歴史 Asaka History Gallery
運よくやさしく金離れのいい米兵のオンリーになれた女は、 米国最大の通信会社シアーズのカタログから彼に註文させた”アメリカの服”で街に出る様になります。 こうなるとパンパンばかりではありません 町の娘さんたちのあこがれの的となってしまうのです。
どんなもんだい、2・3年前の姿はどこにもありません。(略) あこがれの「アメリカのナイロンのストッキング」ももちろん着用です。 おっぱいが尖り過ぎですって?そうこの時ブラジャーは円錐状に巻いたはりがねに布をかぶせたものだったのですから。
こういう経緯って、まず記録に残らない。とても貴重な絵です。
以上、極東のカタログ通販事情でした。韓国でも日本でも、兵隊と距離の近かった女性たちが、いちはやくアメリカの通販を経験していたといえるでしょう。
(余談ですが、資生堂の美しいCMで知られる杉山登志[1936 - 1973]は、子供の頃「シアーズ」のカタログを熱心に模写していました。*1。彼は米軍立川基地のそばで育った人。そして有名な遺書「 リッチでないのに リッチな世界などわかりません ハッピーでないのに ハッピーな世界などえがけません」をのこし、37歳でこの世を去ります。)
通販カタログに限らず、朝鮮戦争の時期は「戦場となっている韓国」と「戦場のバックヤード=日本」で、相似の光景があらわれがち。たとえば混血児の孤児院などですね。ぜひこちらもあわせてご覧ください。