開発前の「二子玉川」
「二子玉川」といえば、「楽天」本社や「蔦屋家電」がある華やいだ場所といったイメージですよね。
しかし先日、1964年の刑事ドラマ(特別機動捜査隊 第118話『ながれ』)を見ていて驚きました。殺人現場は「二子玉川」の河川敷。その風景が、まるで火星だったのです。
ナレーションも「荒涼とした東京の果て」を強調するし、二子玉川の地元民(役の俳優)達は、刑事の聞き込みに
- 「昔からパッとしない土地」
- 「ふきっさらし」
- 「渋谷や自由が丘まですぐ行けるから、ここは栄えようがない」
などと冷たく答えている。しかも殺された被害者は「川向こうの芸者」(二子新地のミズテン芸者)という設定だったりします。
ところが、このドラマからたった数年後(1969)、国内初の郊外型ショッピングセンター「玉川髙島屋S・C」が華やかに開業するのでした。
チアリーダーと、玉川高島屋の開業
開発前の二子玉川で思い出したのが、2019年に行われた「玉川髙島屋S・C」(二子玉川)の開業50周年イベントです。
これ、私も行ってみました。開業当時(1969)の昭和デラックスな写真が面白かったけれど、まさか刑事ドラマで「栄えようがない」「パッとしない」などと言われている頃から、わずか数年後のオープンとは知らなかった。
中でも気になったのは、妙に“本場っぽい”チアリーダーの存在です。
「玉川髙島屋」の開業にあたって、ずらりと並んだ彼女たち。
一体どうやって集めたのか?
私は「周辺の米軍基地由来の学生が集められたのではないか」と想像しています。憧れのアメリカ感をかもし出すために一役買ったのではなかろうかと。
以下、参考までに1960年代の立川基地周辺の写真を貼ってみましょう。すべてもとからカラーです。
[1961 TAB football queen]※「TAB」は「Tachikawa Air Base」(立川基地)の略。
[1967Cheerleaders] 後ろに見える「YHS」は、「Yamato High School」だと思われます。
そういえば、東京オリンピック前後を記録した『ずばり東京』(開高健)というエッセイにも、1963年のモーターショーでアルバイトする「アメリカの女子学生」が出ていましたっけ。
アメリカの女子学生がアルバイトでファッション・ガールとなり、ソバカスだらけの狆(ちん)くしゃ顔でしなをつくって澄ましていた。楽隊が入って、何やらにぎにぎしく、景気をつけている。
このテのイベントを「にぎにぎしく」演出するためには、戦勝国アメリカの女子学生(と、彼女達がまとっているオーラ)が必要だったのかもしれません。
実は、開高健が書いたモーターショー(1963)も、玉川高島屋のオープン(1969)も、敗戦から四半世紀たっていない。
日本の1960年代は、どんなに楽しそうに見えたとしても、焼け野原からの距離がとても近いのです。飢えの記憶を上書きしてくれる華やかな存在が、重宝される時代だったような気がします。
【参考】飢えの記憶。敗戦の年(1945)の「買出し列車 」です。