開発前の「二子玉川」
「二子玉川」といえば、楽天本社や「蔦屋家電」がある華やいだ場所といったイメージですよね。
しかし先日、1964年の刑事ドラマ*1を見ていて驚きました。殺人現場は二子玉川の河原なのですが、ナレーションは荒涼とした東京の果てであることを強調するし、二子玉川の地元民(役の俳優)達も、刑事の聞き込みに
- 「昔からパッとしない土地」
- 「ふきっさらし」
- 「渋谷や自由が丘まですぐ行けるから、ここは栄えようがない」
などと冷たく答えている。しかも河原で殺された被害者は「川向こうの芸者」(二子新地のミズテン芸者)*2という設定だったりします。
▽刑事たちが聞き込みをする「川向こう」=二子新地の花街
玉川高島屋の開業と、少女たち
ところがこのドラマから数年後、なんと国内初の郊外型ショッピングセンター「玉川髙島屋S・C」が、きらびやかに開業しているのです。
以前「玉川髙島屋S・C」の開業50周年イベント(2019)があったので、私も行ってみたんですよ。開業当時(1969)の昭和デラックスな写真が興味深いイベントでしたが、まさか刑事ドラマで二子玉川が「パッとしない」とか言われている状態から、5年後に髙島屋がオープンしていたとは知らなかった!
▽開業時の写真で気になったのは、妙に本場っぽい女の子達です。
1969年、玉川髙島屋の開業にあたりミニスカートでずらりと並んだ彼女たち。
一体どうやって集めたのでしょう。
私は「周辺の米軍基地由来の学生では?」と想像しています。
「郊外型ショッピングセンター」をアメリカ風に演出するため、彼女達が集められたんじゃないか…と。
▽たとえば、これは1961年の立川基地。極東の島国で、本国を再現しています。[1961 TAB football queen]※「TAB」は「Tachikawa Air Base」(立川基地)の略。
▽1960〜70年代、東京周辺の米軍関連施設。立川、所沢、大和(東大和市)、横田、府中、関東村(調布)、厚木、所沢、ワシントンハイツなど
開高健が東京オリンピック前後を記録した『ずばり東京』というエッセイにも、晴海モーターショー(1963)でアルバイトする「アメリカの女子学生」が出ていましたっけ。
アメリカの女子学生がアルバイトでファッション・ガールとなり、ソバカスだらけの狆(ちん)くしゃ顔でしなをつくって澄ましていた。楽隊が入って、何やらにぎにぎしく、景気をつけている。
「晴海モーターショー」の晴海も二子玉川に負けないくらい、“ふきっさらし”の土地です(私は晴海生まれ)。こうしたイベントを「にぎにぎしく」するためには、戦勝国の女子学生がまとっているオーラが必要だったのかもしれません。
飢えの記憶と1960年代
実は、開高健が書いた晴海モーターショー(1963)も、玉川高島屋のオープン(1969)も、敗戦から四半世紀たっていない。
日本の1960年代は、どんなに豊かそうに見えても、焼け野原からの距離がすごく近いのです。「アメリカの女子学生」に限らず、とにかく飢えの記憶を上書きしてくれる華やかな存在(映画スターや音楽、雑誌、広告、建物)が、重宝される時代だったような気がします。
▽飢えの記憶の例。敗戦の年(1945)の「買出し列車 」です。先頭部分にも乗るんだ…。
▽飢えの記憶の例その2。雑誌「装苑」1950年4月号よりアメリカン・スクールの服装特集です。憧れぶりが切ない。同じ号に、日本のファッションリーダーの座談会が載っているけれど、話題がファッション以前に“純綿欲しい!”なのもツラい。(「今までとても窮屈で、純綿のものなんかどこを探してもなかった。ヤミで買えばありますが、なかなかそれもできません」)
▽以下参考までに、ネットにあがっていた1960年代末の立川基地周辺を貼りますね。すべてもとからカラーです。flickrで「ヤマトハイスクール1968-69 Yamato Air Station ~ Tachikawa Air Base」というフォルダに入っている写真
[1967Cheerleaders] 後ろに見える「YHS」は「ヤマトハイスクール」思われます。
flickrで「ヤマトハイスクール1968-69 Yamato Air Station ~ Tachikawa Air Base」というフォルダに入っている写真
以上、開発前の二子玉川の紹介でした(いろいろ話が飛んでしまいましたが)。関連ブログもぜひあわせてごらんください。