映画「関心領域」は、褪色したような明るい色彩(と叫び声)が印象的でしたね。
実は「関心領域」に似た明るい色彩が、 戦後間もない日本にもありました。駐留軍の家庭に…。
今回紹介するのは1950年前後の仙台とその周辺を撮影した、ある一家です。(※すべてもとからカラー写真。経年変化で暗くなってしまった写真などは、明るさを調整しています)
▽たとえばコチラ。「関心領域」っぽい色合いですが、看板は日本語。そう、ここは島国。https://www.flickr.com/photos/norb_faye_lang/3863003143
▽キャプションに[Kawauchi tract]とあります。Kawauchiは、現在の東北大学・川内キャンパス該当すると思われる。
▽ここのウチのお父さんお母さんのようです。
▽日本なのだな
▽戦勝国の少女がふつうの服を着ているだけで、輝いてしまうケース
▽海辺の子供たち
▽日本のメイドさんらしき女性と
▽上の写真の建物を引きで見るとこんな感じ。極東の仮住まい。
▽敗戦国の少女がこういう服を手にするのは、まだ先の話です。
▽敗戦国の服装事情はこちら
日本人がカラーで撮らない風景
『関心領域』の一家は 「庭」の中だけで完結していたけれども、このお宅は外の写真を大量に撮っています。
▽日本人がカラーで撮らない風景 1950年仙台
▽前から見たところ。背景の「R.T.O 」の看板は、進駐軍の鉄道輸送事務所(Railway Transportation Office)
https://www.flickr.com/photos/norb_faye_lang/3863739972
▽海水浴の帰りらしい。本国と同じノリで薄着になってる?周囲の日本人はびっくりしたことでしょう。
▽日本のフィフティーズには、土管あり
▽高齢と思われる女性が、キツい労働をしています。うしろの人は裸足。
▽お弁当を食べている女性たち。重労働のあとの休憩でしょうか。敗戦から5年。それぞれ辛い事情がありそうです。https://www.flickr.com/photos/norb_faye_lang/3863012147/
▽可愛い形に見えるけれど、木炭バスhttps://www.flickr.com/photos/norb_faye_lang/3863774902
▽布団がずらり。
▽チョコザップが成立しない時代
▽民家の庭先に「 Camp Younghans」。「 Camp Younghans」は現在の自衛隊・神町(じんまち)駐屯地[山形県]。
▽標識に【仙台・東京・黒磯・宇都宮】。敗戦後は各地に横文字の標識が立てられましたが、(例:銀座の場合)、これは字がふわっとしている。ここの店の人が見よう見まねで作ったものかもしれません。
https://www.flickr.com/photos/norb_faye_lang/3862966979
▽仙台の七夕
▽この撮影者は日本だけでなく、朝鮮戦争がはじまる前のソウルも大量に撮影しています。
以上、「関心領域」みたいな色彩の日本(1950年・仙台)でした。その他、日本の“フィフティーズ”については、こちらもあわせてご覧ください。
▽立川基地の周辺
▽朝霞の周辺