はじめに。うろ覚え木炭車
戦中・戦後の文章に、しばしば出てくる「木炭車」。みなさん、どんなイメージをお持ちでしょうか?ちなみにこれは、私の母が描いた「木炭車」の記憶スケッチ。かなり曖昧だけど、なんとなく感じが伝わってきます。車のうしろに「木炭な部分」(?)を背負っているわけですね。
1950年前後の木炭車写真
では、実際の「木炭車」をご紹介しましょう。敗戦から数年頃の木炭車を集めました。もともとカラー写真です。(画像が暗すぎる場合は、明るさを調整しています)
タクシー。1951 Tokoyo, Japan | jcator | Flickr
1950 仙台のバス 456 - 6Aug50 - Sendai | NorbFaye | Flickr
右奥にうつっているのは、焼けた歌舞伎座です (歌舞伎座の再建は1951)
Coal-burning Car | Tokyo, 1950 photograph by my father. | Tom Smith | Flickr
Charcoal Burning Auto in Kobe, Japan, March 1952 神戸
Jun49 - Yokahama 1949横浜 177 - Jun49 - Yokahama | NorbFaye | Flickr
拡大したところ。ズラリ!
真後ろから見ると、こんな感じ。Fukuoka bus, Feb 2,1946
【オマケ】このガソリンスタンドは、アチラさん向け?「こんな東洋、お好きでしょう?」と言いたげな外観。Mobil Gas Station, Kyoto, 1952
そうそうたる人たちの木炭車
小沢昭一・永六輔の「色の道 商売往来」に、木炭車のエピソードが出ていました。銀座にあった超豪華なお風呂「東京温泉」についてのインタビューです。
昭和24年に「東京温泉」ができて、わたしのところは翌25年です(略)わたしは上海に長くいたんです。引揚げてきまして…。上海でトルコ風呂を知っていたんです。こっちの部屋では阿片をすわせて非常に繁盛していて、なにも材料がいらない。売ったり、買ったり、仕入れたりということは必要ないしね。これは東京でできると思いましてね。ちょうどわたしが引揚げてきたのが22年。考えているうちに、24年に「東京温泉」ができた。(略)
根本的に違うところは「東京温泉」は大資本ではじめたわけです。前の警視総監だとか、消防総監だとか、そうそうたる人がたくさん来る。当時、木炭自動車がズラっととまるような勢いですよ。
「東京温泉」はとっても羽振りのいいゴージャスな施設なのです。そんなシーンでも、やはり「木炭車」が出てくるんですね…。木炭車がズラリと止まった「東京温泉」については、こちらに詳しく書きました。ぜひごらんください。
▽進駐軍の車を絶賛している絵本はこちら。