戦後、外国人によって撮影された写真には「おんぶ」が沢山登場します。被写体になりやすかった日本のベスト3は、以下のとおり(わたし調べ)↓
今回は、昭和のおんぶ写真をご紹介しますね。
▽子供が子供をおんぶする写真はこちらをご覧ください。
1950年代のおんぶ
1950年。占領下のおんぶ。背景の車や、建物の色に注目。
ねんねこの色は鮮やかだけれど、背景の人々がすごく地味。
Family at Yoshimi Caves, Sept 1951
Japan and Korea, 1950-55 「Japan and Korea」とありますが、この時期(朝鮮戦争)の写真の数々は、「Japanの復興」と 「Koreaの戦中」がセットになってネットにあがっています。参考:休憩所としての日本 - 佐藤いぬこのブログ
洗濯中。 village laundromat , Japan 1950
紙芝居。右端におんぶ。真ん中の子の顔立ち、誰かに似てる。荒川良々?Tokyo-A Traveling Storyteller-May 1953
仙台1950。土管の上の美脚。両サイドの人は地下足袋。 457 - summer50 - Sendai | NorbFaye | Flickr
Japan 1949-1950 女の子の服がとにかく赤い。シックな子供服がない時代。(関連話題:真っ赤な服の女の子たち - 佐藤いぬこのブログ)
1952-1953 京都。おぶわれている女の子が20歳くらいになる頃=1973年。彼女はユーミンの「ベルベッドイースター」(1973)を聴き、"ママが若い頃好きだったブーツをはいていこう"という、無茶な歌詞と出会うことでしょう。 James L Blilie Photos of Japan in 1952 and 1953
Hiratseka, March 1953 おんぶで自転車。赤い足袋と下駄。お父さんはツーブロック。
Japan,1954-55 右端に注目。おじいさんが、おんぶしてます。左の男性2人は、たぶん米兵。flickrで前後の写真を見ると、撮影場所は八王子か立川のようです。2019-04-04-0015 | Japan,1954-55 Photographer unknown | m20wc51 | Flickr
上の写真のおじいさん部分を拡大したところ
Japan, 1955-59
Japan,1954-55 子供が子供をおんぶ。
1954年、銀座4丁目の交差点です。小さな風呂敷包みとハダシに下駄の女性は、戦前と変わらぬ装い。Tokyo 1954 | by George Washenko | Kris_41 | Flickr
ベビイさん
銀座「キャリング ベビイさん」Tokyo-Ginza-Carrying Babysan-May 1953
日光1952 「ママさん&ベビイさん」。3-28-52- Mamasan & Babysan- Nikko- Japan | Found Slides | Flickr
【参考】上の写真の説明に「Babysan ベビイさん」と出てきますが、当時、日本の現地妻(的な女性)を描いた同名の漫画がありました。漫画の「Babysan」は、英語のwikiがあります。
1960年代以降のおんぶ
時代は10年ほど飛んで1960年代のおんぶ写真。「BOAC」(英国海外航空・現在のブリティッシュ・エアウェイズ)の乗務員による撮影。BOAC photos taken 1965 to 1968
おんぶ・ミニスカート・シュミーズちらり。世代で装いが異なる時代。Kamakura-01 | Donald Boyd | Flickr
▽1970年代のおんぶはこちら。
韓国のおんぶ
ネットには韓国のおんぶ写真も多いです。色が鮮やか。
以上、おんぶ写真の数々でした。いかがでしたか?話は飛びますが、以前、芸人のマキタスポーツ氏が「今どきのミュージシャンは“ランド”を作らない。等身大の生活を歌っている」とPodcastで言っていたのが、すごく記憶に残っています。(「ランドを作らない」というのは、「(佐野)元春ランド」に憧れて上京したマキタスポーツが、現実の街と歌詞の差にショックを受けた…という話の流れで出ていました。)
「おんぶ」や「肥桶を運ぶ牛の車」は、「ランド」に入れてもらえないイメージの代表でしょうね。もっとも現在は、昭和テーマーパークという新しい「ランド」があるけれど!
▽1950年代のおんぶ写真が残っている理由