先日、新しくできたシネコンに行って驚きました。あまりに「倉庫」っぽい外観だったから!そのエリアはもともと倉庫が多いので、どれが倉庫だか、どれが映画館だかわかりゃしない(笑)。 今日は、倉庫とは真逆のハデめな映画館を紹介します。1950年代前半に撮影された写真が中心です。※なぜその時期にカラー写真が豊富なのかは、こちらをご覧ください。
映画館の紹介の前に、焦土の写真を
突然ですが、映画館の紹介の前に敗戦直後の写真を貼ります。 国破れてサンガリア…。これから紹介するのは「空襲を免れた」映画館が多いので、「あれ?戦争って、たいしたこと無かったのかな…?」と、つい錯覚しそうになるんですよ。御用心、御用心!モージャー氏撮影写真資料 - 国立国会図書館デジタルコレクションには、このような写真が多数あります。ぜひあわせて見てください。
敗戦から数年〜10年経過した映画館
「暖房完備」が売り
さて前置きが長くなりました。以下はflickrなどで見つけた敗戦後数年〜10年経過した写真の数々です。
Tokyo 1954 「暖房完備」の看板に注目!暖房が完備ではない映画館も多かったのでしょう。Tokyo 1954 | by George Washenko | Kris_41 | Flickr
1953 12 Japanese Theater, Kobe 神戸。こちらにも「本格暖房」の看板が。Navy 37 1953 12 Japanese Theater, Kobe | pveSummerhaven | Flickr
そういえば、古谷綱正「私だけの映画史―国民の創生からキュリー夫人まで (1978年)」に、ガールフレンドと"暖房のない映画館"に行ったエピソードがありました。敗戦直後、彼女は映画館の底冷えから持病が悪化。その後亡くなったのです。戦争を生き延びたのに映画館が理由で死ぬなんて悲しすぎます。
有楽町・数寄屋橋付近
Tokyo, 1950 現在のマリオンのあたりです。左は有楽町の日劇、右は朝日新聞社。電柱に月光荘の看板。
Nihon Gekijo (National Theater) Tokyo, Japan circa 1952 日劇を近くで見るとこんな感じ。「春のおどり」の下に「私はシベリヤの捕虜だった(1952)」
拡大。「私はシベリヤの捕虜だった(1952)」のフォントが、妙にポップ。
Tokyo 1954 こちらも有楽町。松竹ピカデリーです。手前にクズ拾いの人が寝ているのがわかりますか?パッとみた感じでは、①クズ拾いの人が、②松竹ピカデリー のすぐ前で寝ているように見えますが、実は①と②の間には距離があります。下の写真に続く↓↓ Tokyo 1954 | by George Washenko | Kris_41 | Flickr
実は、①クズ拾いの人と、②松竹ピカデリー の間には、川(堀)があるのでした。その後、川は埋め立てられ西銀座デパートになります。(以前、中央区出身の年配の方にこの写真を見てもらったことがありました。ピカデリーに突っ込んでいるように見える橋はピカデリー専用の橋ではなく、有楽町駅につながっていたとのこと)FH000070-090104-19 | discovery2009 | Flickr
福岡
Korea and Japan, 1953-56 右端に福岡東宝劇場。スーツ姿の男性。2016-04-10-0038 | Korea and Japan, 1953-56 Photographer: Rol… | Flickr
上の写真と同じ男性の制服姿。
日本語の看板と、英語の看板
Korea and Japan, 1953-56 こちらは同じ映画を日本語と英語で出している例。「雨に濡れた欲情/Miss Sadie Thompson」
この映画館はどうかわかりませんが、立川基地の場合、アメリカ兵は1人で映画を見ないため(←日本女性を同伴)洋画の上映館は得をしたそうです。
戦前の凝った建物
Kyoho Theater, 1952 京都宝塚劇場(京宝シアター)。日本にまだ余裕があった時代に作られた映画館。
1951 Tokoyo, Japan 東京宝塚劇場。1955(昭30)の接収解除後、4階が日比谷スカラ座になったそうなので貼っておきます。この時点では接収されていて「アーニーパイルシアター」。最上階にErnie Pyleの文字。(参考:沖縄伊江島にあるアーニーパイルの碑)
参考までに、敗戦2年頃の東京宝塚劇場前。日本人の方が少数派です。Tokyo, Ernie Pyle Theater, March 1947 | Japan and Korea, Mar… | Flickr
Navy 1954 01 10 Koda Sai Theater Tokyo キャプションは「Koda Sai」となっていますが浅草の国際劇場です。
Japanese Theater, 1952「愛欲の十字路」
Movie Theater, Japan 1954 。異世界へ連れていってくれそうな建物。こういう外観は流行りすたりが激しいだろうなあ。Movie Theater, Japan 1954 | Japan, 1954 Photographer: LKB | Flickr
生活がうつりこんでいる写真
天秤棒をかつぐ女性
Japan, 1955-59 立派な劇場の手前に、天秤棒の女性がいるのが見えますか?
天秤棒の女性拡大。割烹着で重労働。
妊婦さん
Japan 1949-1950 光音座?写真中央の女性、お腹が大きい。
赤いねんねこ
Japan, 1955-56 右端にねんねこ の人がいます。
オマケ・1972年、哀しみのトリスターナ
以上、映画館にまつわる写真アレコレでした。
冒頭でふれた【映画館に暖房無し→持病が悪化→死亡】のパターンは、絶対にごめんです。豊かなアメリカ映画を凍えながらみるのはミジメすぎる。
しかし現在のように、冷暖房をかけまくる映画館もイヤ。湯水のようにエネルギーを使い続けるのはどうなの?昔の映画館を見ていると、あらためてそんな疑問も湧いてくるのです。