敗戦と「ミスド」グッズのイラストレーター
先日、SNSで1980年代のミスドグッズが話題になっていました。「オサムグッズ」で知られる原田治や、ペーター佐藤らが手がけたミスドのグッズは、とても明るくて可愛らしい。
そして今回、ふと気づいたことがあります。1980年代にミスタードーナツのグッズを手がけた人気イラストレーター達は、敗戦(1945)の頃に生まれているのですね。*1
ついでに、同時期の人気イラストレーターをザックリ調べてみるとやはり敗戦の前後に生まれている。
- 「ハートカクテル」わたせせいぞう:1945年生まれ
- 「A LONG VACATION」の永井 博:1947生まれ
- 「ロッテ小梅ちゃん」の林静一:1945年生まれ
そう!
考えてみればシティポップが流れる1980年代は、敗戦の混乱期に生まれた赤ちゃんが働き盛りだった時代でもあるのです。
▽敗戦の混乱期の例。ロッテ「小梅ちゃん」の林静一先生は、敗戦の直前(1945年3月)に満洲で生まれ、引き揚げてきました。よくぞご無事で…
5歳で亡くなった「芋っ子ヨッチャン」
【敗戦の混乱期に生まれた赤ちゃん】で思いだすのが『芋っ子ヨッチャンの一生』(新潮社)という本です。敗戦の翌年(1946/昭和21)に生まれた息子「ヨッチャン」を、報道写真家の父親・影山光洋が撮った写真集。ヨッチャンは5歳で亡くなりました。
大切に育てられたのに、食料不足の時代ゆえに5歳で死んでしまったヨッチャン。ヨッチャンは1946年(昭和21)生まれなので、ミスドグッズが大人気の原田治と同じ歳。そのまま生きていれば、20歳でビートルズの来日コンサート(1966)に行けたかもしれないのに!
▽これは「ヨッチャン」の兄弟です。みんな1歳になると「誕生餅」を背負っている。ところが左端の「ヨッチャン」は、ろくに食べていないので起き上がれません。一方、右端の長男の服から見えてくる《戦前》の豊かさよ。(そして報道写真家であるお父さんの定点観測力がすごい)
生きのびた赤ちゃんたち
今回あらためて、1980年代の輝き、「ミスド」グッズやシティポップのきらめきは、「生きのびた『芋っ子ヨッチャン』たちが、全力で作り上げたものなのだなあ」と感じた次第です。(食料事情は、生まれた地域・タイミングによって個人差が大きいとは思いますが…)
ちなみに、“輝き”の代表選手みたいなアナウンサー・久米宏(1944年/昭和19生まれ)は「子供心に『飢え死にするのではないか』という恐怖」を、戦後4〜5年経っても持っていたとか*2。黒柳徹子さんの戦中戦後エピソードは有名ですが、徹子さんより10歳下の久米宏氏でさえ「飢え死に」に怯える子供だったのです。
以上、ミスタードーナツのグッズから連想した飢えのエピソードでした。
「昭和」が遠ざかるにつれて、どうしても昭和の解像度は粗くなりがち。つい「輝いていたあの頃」のように美化したくなるけれど、昭和の輝きは「飢え死に」の恐怖の上に(危なっかしいバランスで)成り立っていたことを覚えておこうと思います。