中洲(中央区日本橋)は大人のディズニーランド?
【大吉原展】がSNS話題になっています。吉原を「遊園地」と勘違いしていませんか?と。
3月から東京藝術大学大学美術館で開催の大吉原展。
— 瀧波ユカリ (@takinamiyukari) 2024年2月5日
「他の遊廓とは一線を画す、公界としての格式と伝統を備えた場所」
「洗練された教養や鍛え抜かれた芸事で客をもてなし…」
ここで女性たちが何をさせられていたかがこれでもかとぼやかされた序文と概要。遊園地みたい。https://t.co/8CettMKZTl
大吉原展の「遊園地」たとえで、ふと思い出したのが、東京中央区のお年寄りの対談集に出てきた[中洲は大人のディズニーランド]という表現。
「中洲」というのは箱崎シティエアターミナルの近くで、住所は「中央区日本橋中洲」です。かつては「中洲」は、文字通り「洲」でしたが、現在は埋め立てて陸続きになっています。
『中央区の昔を語る(15)』(中央区教育委員会・平成13)より「中洲」の部分を引用してみましょう。
「中洲というのは、うちのばあさんも言ってたけど、昔は大人のディズニーランドみたいなところだったんですよね。要するに、きれいなお姉さんがいて、お酒があって、だから遊び人の街だった。」
「昔、中洲には18歳未満の青年は入れなかった。」
「中洲って、川を渡ると、材木商の大だんなとかいっぱいいるじゃないですか。そういうところで、遊女の髪の毛で、金の針で、こっちに遊女がいて、左に太鼓持ちがいて、海たなごっていうのかな、あれを釣るのは、1種のレクリエーションだったって。」
「川を渡ると、材木商の大だんな」という部分、すごく古くさい印象かもしれません。しかし1980年の映画「わるいやつら」には、深川の「材木問屋の若奥さま」が主要人物として出てくるんですよ。シティポップの時代にも「材木商の大だんな」は存在していたらしい。
「中洲」に通院する永井荷風
で、そんな大人のディズニーランド「中洲」には、永井荷風が通う「病院」もありました。昭和10年の地図を見ると、まさにランドの中に「病院」が建ってるイメージ。濃い黄色(もとから着色有り)で塗られている部分は、ずらり料亭です。
先ほどの『中央区の昔を語る(15)』にも、永井荷風と「中洲病院」が出ていました。
「これは中洲病院です。その後、糸川病院って名前が変わったんですよね」
「中洲病院のふもとというのが、うちのばあちゃまがよく言ってたけど、よく永井荷風なんかが梅毒の検査に来てて、大丈夫だってなると、病院の院長と一緒に、また性懲りもなく、深川に遊びに行っちゃう。その繰り返しだったって。」
「うちの前を、すごく背の高い方だったらしくて、フラフラ歩いて通っていったって話を聞きましたけどね。」
大人のディズニーランドにかかる橋
そんな大人のディズニーランド「中洲」にかかっている橋は、とても美しい「清洲橋」です。
清洲橋は、完成した昭和3年から→21世紀の現在に至るまでステキな橋として有名。小津映画にも出てくるし、去年公開の(スタイリッシュすぎて恥ずかしくなる)映画でも、主人公は清洲橋をのぞむ高級マンションに住んいましたっけ。
しかし、清洲橋がどんなに綺麗でも「大人のディズニーランド」へのメインゲートだとわかれば、見方が変わるというもの。
昔の男性の目にうつる清洲橋は(期待と興奮で)、キラキラというよりギラギラ輝いていたのかもしれません。
ちょうど『翔んで埼玉2』で、ディズニーランド直結の乗り物=「武蔵野線」が、ギラギラ輝いていたように。
▽『翔んで埼玉2』エンディングの武蔵野線をうろ覚えで再現してみました。清洲橋もこんなイメージだったのか?
▽永井荷風の随筆から。行きつけの「中洲病院」の脇に、新しい橋(※清洲橋のこと)が架かるのを楽しみにしている様子がうかがえます。(国会図書館デジタルコレクション『荷風随筆』から「中洲病院を訪ふ」より)
「病院の傍には遠からず深川に渡る新橋が架せられるので」…