佐藤いぬこのブログ

戦争まわりのアレコレを見やすく紹介

「油」が切れていた戦時中【菜種油・ヒマシ油】

なたね油の使い道

2024年は、お菓子作りの年にしようと思っています。どうせ作るなら、体に良くて、お洒落なお菓子を作りたい。ということでお洒落な本を買い集めてみました。そのレシピに出てくる油が「なたね油」なんです。

なたね油、菜種油…。

はて、どこかで聞いたことあるなあ、菜種油。

「そうだ、戦時中のポスターに使われていたっけ」と思い出しました。

戦時中は物資不足を補うため、なぞに植物性オイルが出てくるんですよ。たとえば「菜種を作れ!飛行機の血液・潤滑油に!」。私は詳しいことはわかりませんが、これで飛行機は大丈夫なのか。

『大橋正展 暮らしを彩ったグラフィックデザイナーの60年』

“油が切れて”いた時代

資生堂の美女イラストで知られる山名文夫も、戦時中は「ヒマシ油」のポスターに関わっていたそうです。

山名文夫 体験的デザイン史』

「ヒマを作ろう」というポスターもあった。ヒマというのは、唐胡麻と言われる植物で、その実から取るヒマシ油は潤滑油として、航空機はもちろんその他の兵器になくてはならない必需品である。この増産キャンペーンも昭和19年で、文字通り“油が切れて”種まきから始めるという悲壮な長期戦であった。

このポスターは昭和館デジタルアーカイブより。「ヒマを作ろう ヒマシ油は荒鷲の血液 大政翼賛会「製作:報道技術研究会」とあります。この「報道技術研究会」は 、デザイナー・コピーライター・写真家などの制作集団で、国家宣伝の高度化と総合化を目指していました。で、山名文夫はそこの委員長だったのです。

昭和館デジタルアーカイブ「ヒマを作らう」昭和19年(1944)頃

 このように日本は「菜種油」や「ヒマシ油」の増産を目指していたわけですが、その頃アメリカの雑誌『LIFE』には石油会社がゴージャスな広告を多数のせています。いやあ、すでに勝負はついていましたね…。『LIFE』1943年(昭和18)8月16日号

▽「なぜ、資生堂山名文夫が「ヒマシ油」のポスターに関わっていたの?」。疑問に思った方はぜひこちらをご覧ください。

narasige.hatenablog.com

h3 { color: #FFFFFF; background: #000000; padding: 0.5em; } h4 { border-bottom: dashed 2px #000000; } h5 { border-bottom: double 5px #000000; }