ジープのおもちゃと、ワカメちゃん
敗戦まもない頃のサザエさんには、“ほっこり”じゃないネタ(住む家のない親子、引揚げの苦労など)も 目白押しです。
中でも印象的だったのがこのコマ…。四角い包みを見たワカメちゃんが、唐突に「ジープだね」と喜んでいる。いくら進駐軍に“ギブミーチョコレート”する時代だとしても、「四角い包み」=「ジープ(のオモチャ)」という連想が不思議でした。(この包みは、ジープじゃなくてネズミ捕り器というオチ)。
昭和21年発行の『ハシレヨ ヂープ』と“仲良しアメリカさん”
先日、敗戦の翌年に発行された絵本『ハシレヨ ヂープ』(昭和21)を入手して、“ああ、なるほど。これはジープに親しみが湧くだろうなア”とつくづく思いました。当時、こんな絵本を手にとれる子供は限られていただろうけれど。
キモチヨイ ソヨカゼ ヂープガハシル
▽焼け野原も、浮浪児も存在しない光景。国策のニオイ…?
シンチュウグンノ ジョウヨウシャ キモチヨイオトヲタテ カゼノヨウニハシル
▽手入れの行き届いた公園と、ジープ。きれいな服を着た子供たちが集まってきました。国をあげての“鬼畜米英”ノリは一体どこへ?(敵対心をあおっていた時代:パステルカラーと、敵対心の醸成【戦時中の婦人雑誌から】 - 佐藤いぬこのブログ)
「ハロー」「ハウアーユー」 ナカヨシアメリカサン
▽真っ白な靴下をはいた子供たちと「ナカヨシ アメリカサン」
▽でも、実際の光景(昭和22)は、こんな感じだったようです。この写真は毎日新聞社が出していた『ニッポン40年前』(1985年)というムックから。このムックは今でいうと『昭和50年男』的な立ち位置でしょうか。ボロッボロの服を着た子供たち(=40年前のオレたち)のカラー写真がいっぱいです。
▽進駐軍の大型バス。“真っ白な広い道 進駐軍のバスが すべるように走る”←カタカナを漢字に直しました。敗戦間もないのに「真っ白な広い道」とは…。
▽進駐軍のトラックとジープがいきかう勝鬨橋。勝鬨橋の先の「晴海」(月島四号地)*1が接収されていたのです。
▽『ハシレヨ ヂープ』の作者は石岡とみ緒で、デザイナー石岡瑛子のお父さんです。出版しているのは「日本配給統制株式会社」。
進駐軍のジープと交通事故
絵本では、風のように走っているジープですが、実際は悲惨な交通事故が多かったそうです。以下はMPのジープから見た占領下の東京―同乗警察官の観察記より。
取り締まり側のMPが事故を起こし、死傷することも多かった。
事故の1つの原因に道路状態の悪さが挙げられる。モータリゼーションが始まる前の東京の道路には、自動車の交通に不都合に作られているところが多かった。幹線道路にはほとんど都電が走っており、その停留所には必ず安全地帯があった。乗降客を守るためのコンクリートの障害物で、道路の真ん中を塞いでいた。当時の明かりの乏しい暗い夜、特に雨の降る夜などは極めて視認しにくく、フルスピードで疾駆するMPのジープには命取りであった。実際、駐留軍の車両はしばしば安全地帯に激突した。
「当時の明かりの乏しい暗い夜」にフルスピードで走るジープって、危険すぎる。『MPのジープから見た占領下の東京』は、その他にも進駐軍車両の危なっかしいエピソードたくさん。絵本『ハシレヨ ヂープ』とは真逆の世界がひろがっているので、おすすめです!
▽「1985年の中年」は敗戦時に子どもでした。