少年に「死にどき」が忍び寄る時代
小説家・山田風太郎(1922-2001)の『昭和戦前期の青春』(ちくま文庫)を読んでいたら、「死にどき」という言葉が出てきて思わずギョッとしました。
昭和6年の満州事変のときは小学校4年であったが、「大人の戦争」だと思っていた戦争は15年つづいて、私たちはドンピシャリ「死にどき」の年齢に組み込まれてしまった。
…少年たちが「死にどき」を決められていた時代。
少年がヒトゴトのように「大人の戦争」を眺める→あっという間に成長して、戦争のコマになる……そんな時代だったのですね。
▽《戦争が長引いて、子供が「死にどきの年齢」に成長する》イメージを作ってみました。博多華丸・大吉の「よその子とオクラは育つのが早い」というネタが頭に浮かぶ。
▽【参考】たとえば、これは昭和3年(1928)の「森永ミルクキャラメル」広告。写真の男の子も17年後の敗戦時には、20歳前後になっているはず。この子も容赦なく「死にどきの年齢に組み込まれてしまった」のでしょうか。そう思うと、キャラメルだけが黄色く輝いているオシャレな印刷*1が、逆に哀しい。
「死にどきの年齢」を実感できる『カメラマンたちの昭和史』
さて、少年が「死にどきの年齢に組み込まれ」ていた時代を、垣間見ることが出来る本があります。それは『カメラマンたちの昭和史』(平凡社 1984)。主に、敗戦時に20代〜30代だった写真家を取材しているので、いろいろな形の「死にどき」エピソードがあるのです。
この本に登場するカメラマンのほとんどは、少年時代からカメラを愛好しています。つまり、戦前の豊かさを享受できた人が多い。ところが少年は、いつまでも少年ではいられません。あれよあれよという間に成長し、いきなり特攻隊員になっていたりするわけです。
この本を読めば、少年たちが乗せられていた「死にどき」のベルトコンベアを、想像することができると思います。
ちなみにこの『カメラマンたちの昭和史』は、戦中の苦労「だけ」に焦点を当てた本ではありません。むしろ処世術や、成功譚寄り。ギラギラした中高年が、戦前〜戦後をシームレスに語っているから読みやすいし、1970年代のインタビューが中心だから生々しい。「戦争関係の回想が、どうも苦手で」という方にもオススメしたい本です。
以上、山田風太郎のいう「死にどき」の周辺を紹介しました。
今後の私は、戦前の可愛い絵本を見るたびに、絵本を買い与えられていた子供たちの「死にどき」が頭をよぎることになりそうです。
▽昭和の人気司会者は、16歳の特攻要員でした。