同世代だから唄える「愛国行進曲」(『大家さんと僕』)
漫画『大家さんと僕』(矢部太郎)を愛読しています。中でも印象に残ったのが、“入院している大家さんのお見舞いに行ったら、同室のおばあさん達と「愛国行進曲」を合唱していた”エピソード。「見よ 東海の 空明けて〜♪」と、元気にうたっているのです。*1
「みなさん同世代だから唄ってたの」
同世代だから唄えるこの感じ…わかりますよね。ある世代は、べつに小室哲哉のファンじゃなくてもヒット曲を口ずさめてしまうような感じかもしれません。
官制ミリオンセラーだった「愛国行進曲」
では、大家さん世代がみんな歌える「愛国行進曲」は、どのようにして生まれたのでしょうか?辻田 真佐憲『日本の軍歌』より、「愛国行進曲」の成り立ちを引用します。
1937 (昭和12)年7月7日の盧溝橋事件は、帝国日本の終わりの始まりだった。現地部隊の小競り合いを収拾できなかった日本は、やがて日中間の全面戦争、そして太平洋戦争へと引きずり込まれていく。(略)
9月、政府は予想外に長期化する軍事衝突を前にして「国民精神総動員運動」というキャンペーンを展開し、泰平を謳歌していた国民の引き締めを図った。同月25日、新設の内閣情報部はこのキャンペーンを機会として「国民が永遠に愛唱し得べき国民歌」を作ることを発表。その歌詞と楽譜を国民から広く募集した。これが三軍歌の二つ目、「愛国行進曲」である。
こうして 「愛国行進曲」は、翌1938年(昭和13)1月に各レコード会社から一斉に発売され、「第2の国歌を目指したミリオンセラー」になったのだとか。
「愛国行進曲」が発売された1938年(昭和13)の少女たち
先日、手持ちの雑誌(「少女倶楽部」昭和13年8月)を見ていたら、ちょうど「愛国行進曲」を歌っているイラストを見つけました!
▽「見よ 東海の 空明けて♪」と、「愛国行進曲」を口ずさみつつ提灯行列する少女たち。かわいいですね。この「イラストの女の子たち」イコール「大家さん世代」と考えていいでしょう*2。
「愛国行進曲」を歌う少女達の80年後を想像してみる
ここで突然ですが、“神様のタブレット”的なもの*3を想像してください。それを使って、時空を操作してみましょう。【1938年の少女達】をグっと約80年未来へスライドすると…ほら、【病院で「愛国行進曲」を合唱をするおばあさん達】になるんですよ。
※『大家さんと僕』は2017年の本ですが、80年区切りで仮に2018としてみました。
1978年(昭和53)の中年世代と、戦争
ついでに、【1938→2018】の80年間を、半分の40年で区切ってみましょう。真ん中は1978年=『スター・ウォーズエピソード4』が日本で公開された年です。
1978年の大家さんは、あたりまえだけど“お年寄り”じゃない。まだアラフィフ…。そう!日本が『スター・ウォーズ』と出会った頃の中年は、みんな戦争経験者なんです。(例:1930年生まれの野坂昭如・1938年生まれのなかにし礼)
愛国行進曲の踊り方
想像の世界はこれくらいにして(笑)、先述した『少女倶楽部』の同じ号の「小学校用 愛国行進曲の踊り方」をどうぞ。私、こういう振り付け覚えられないわー。でも、 大家さんと同室のおばあさんたちは、少女の頃ガンガン踊っていたのかもしれません。
同じ号の「次号予告」は、まばゆいカラー。弾ける夏休み感!それがまた切ないのです。この少女たちが娘ざかりになるころ、日本は焼け野原なのですから。
以上、『大家さんと僕』と「愛国行進曲」の関係でした。
はじめて『スター・ウォーズ』が公開された時代には、まだアラフィフだった大家さん。彼女たちは現在、90歳前後です。もし周囲にそういう方がいたら、お話をうかがえるといいですね。その際の話題づくりに、当ブログの1950年代カラー写真コレクションが役立つかもしれません。こちらにまとめましたので、ぜひご覧ください。
▽大家さんが大好きだった伊勢丹。敗戦直後の伊勢丹の周囲は焼け野原でした。
▽軍歌のヒットを飛ばしたレコード会社が迷走するお話
narasige.hatenablog.com
*1:軍歌の歌詞について、作者の矢部さんのコメント「ネームの段階で大家さんには毎回見せているので、その時にくわしい歌詞を教えてもらったんです。」
*2:大家さんは、2017年の記事に「88歳」とあったので、1929年頃の生まれと思われます。このイラストの1938年時点で9歳くらい
*3:←Netflix『ブラック・ミラー』の名作「サン・ジュニペロ」の要領で