母に色鉛筆を渡して記憶スケッチを頼んでみた。頭の体操になるかな〜、と。*1
出来上がったのは、いかにも昔の人が描いた絵。日本昔話っぽい絵ではありますが、母(昭和11年 1936年生まれ 76歳。敗戦の時に9歳〜10歳)は、実は横尾忠則、杉山登志、和田 誠と同じ年。
60年代、70年代のキラキラを作っていた若人たちも、母と同様の光景を見てきたことでしょう。
昭和10年頃。洗い張りをする母の母。「犬はヤキモチやきで、張り板をなでていると吠えまくる。」
終戦前後、食糧難で痩せている母の母(※平時は太っている)。「カボチャをつぶして粉をまぶしコロッケ状にしてフライパンで焼く おいしかった」
昭和22年。疎開先から新宿へ。「みんながボロボロの服を着ているのに、1人だけ白い服を着て輝いていた女の人がいた。子供心に、この赤いエナメルのカバンはアメリカ人から‥‥と思った」
母は昭和11年東京生まれ。幼い頃のわずかな期間は幸せそうですがが、その後、父親が若くして病死→戦争→すごい貧乏、と陰気な娘に成長する。
*1:ふだん、私と母はあんまり交流がないので、ZINE 「Around80に聞いた話」に、母から聞いた話は含まれていません。あとがきの木炭車の絵のみ、母が描いた