私は2年くらい前からTwitterやInstagramのアイコンにこの絵を使っています。原田治みたいな太い線で見やすいし、何より可愛い。でも、この絵は、いつの時代に描かれたのか、わかりますか?今日はこのアイコンについてお話しします。
▽ためしにCanvaで合成してみました。架空のグリーティングカードです。
80年以上前の広告から
実はこのアイコン、けっこう昔の広告から拝借しています。1940年(昭15)の「婦人之友」に掲載されていたので、82年前ですね。理研のビタミン剤の広告です。
「牛乳飢饉 バター不足」
ビタミンAの豊富な牛乳やバターの不足から、前の大戦中にドイツでは結核患者や虚弱体質が激増しました。
広告には「牛乳飢饉」、と強めの言葉が使われています。
日中戦争がドロ沼化しているとはいえ、昭和15年4月の誌面にはまだ余裕が感じられる。『婦人之友』のキモである《収納上手の清らかなお家拝見》記事もあります。今と決定的に違うのは、収納上手さんの住む場所が「新京(満洲国の首都)」だというところですね。
満州の「家持上手(いえもちじょうず)」な夫人を訪問
ちなみに、こちらは冒頭のビタミン剤広告と同じ号に掲載されていた記事。「満拓の建築課長中田武氏」のお宅を訪問しています。(「満拓」は満州拓殖公社=満洲国の開拓、開拓団の支援などをおこなった国策特別会社)
たった16坪の中にでも、住む人の心がけと工夫次第で、こんなにも美しい豊かな生活を営み得ると言う意味で、ひとり満州に限らず、新時代の住み方について私どもに大きな示唆を与えられます。
▽大きな観葉植物、洒落た椅子。まるで整理整頓系YouTuberの元祖みたいなお家です。記事は、このように美しく生活する人を「家持上手(いえもちじょうず)」と紹介していました。
かつて大日本帝国の各地には、北から南まで「家持上手」さんが一定数存在したはず。戦中戦後を生き延びるにあたって、「家持上手」のスキルは有利に働いたのでしょうか。それとも敗戦の大混乱の中では、そんなスキルよりも「運」がすべてを支配したのでしょうか?
以上、私が使っているアイコンの由来でした。
最後に、早川タダノリさんの有名なtumblr(「虚構の皇国」)をご紹介します。冒頭の「牛乳飢饉」のビタミン広告から4年後、昭和19年の理研ビタミンです。絵はたぶん私のアイコンと同じ人が描いていると思う。こちらも、かわいい絵と内容のギャップがすごいですね。