芥川龍之介と寺の引越し

芥川龍之介のエッセイ*1を読んでいたら、自分トコの寺が猿江江東区)から染井(豊島区)に移転したと書いてありました。


昔は本所の猿江にあった僕の家の菩提寺を思い出した。この寺には何でも司馬江漢や小林平八郎の墓の外に名高い浦里時次郎の比翼塚も建っていたものである。(中略)この寺は  ー  慈眼寺という日蓮宗の寺は震災よりも何年か前に染井の墓地のあたりに移転している。(中略)が、あのじめじめとした猿江の墓地は未だに僕の記憶に残っている。

寺の引越しって、すごく大変そうじゃないですか。


猿江」といったら、まあ錦糸町だし、「染井」といったら山手線の巣鴨。距離あります。


どうして、わざわざ引っ越したのだろう。


それも、関東大震災より前に。


と調べてみたら〜


明治43年8月の大水害が原因で寺が引越したらしいのです。


明治43年8月の水害で関東地方が水浸しになり、翌明治44年、荒川放水路の大工事が決定されたそうですから、ハンパ無き被害だったのでしょう。国土交通省のサイトには「東京では泥海と化したところを舟で行き来し、ようやく水が引いて地面が見えるようになったのは12月を迎える頃」とあります。



○参考○
この漫画は、昭和初期の荒川放水路船堀橋付近*2。「船堀橋付近で鯉が釣れるので皆と同じように糸をたれていたが、あげてみると海老だ。」という文章がついていました。赤丸がエビです!

*1:芥川龍之介随筆集 岩波文庫

*2:昭和3年 現代漫画大観「日本巡り」より