■整理整頓遺伝子の少ない家に育った私は、体内からナチュラルな整頓欲が湧いてきません。
(整理整頓をナメていた私の変化
「その1 id:NARASIGE:20130202」
「その2 id:NARASIGE:20130213」)
■なので、まずはゴミの日を大切に大切にするようにしました。今回、整頓のきっかけを作ってくれた整頓の達人id:NARASIGE:20130202が「使わないものは、思い切って捨てること。」と、言っていたので‥。同様のセリフはベストセラー本に山ほど書いてあると思いますが、やはり肉声で聞くと説得力がちがいますねー
市役所のゴミの日カレンダーの該当日には、金色のシールをはって特別感を出し、時間に余裕を持って捨てにいく。ちょっと上等のスカーフなんかまいちゃって、大切な任務っぽく、ゆったりと捨てにいきます。1回に捨てる量はほんの少しでも良しとします。
■そして(前もちょっと書きましたが)整頓する場所は、おみくじ的な方法で決めています。
20枚くらいの名刺カードに、掃除する場所をプリントしておき(私は自分の手書き文字が嫌い‥)、引いたカードの場所を機械的に整頓します。
私なりのポイントは、3点。(1)他に整頓すべき場所があってもそこには手をつけず、カードに出た場所だけを整頓する(2)非常に小さい範囲で整頓してもいい。(「台所の窓際にある空き瓶を、ひとつ捨てる」程度の小ささで可)
(3)何もかも面倒臭い場合は、引いたカードのエリアにアロマオイルをたらす。布切れや木切れにしみ込ませる等、適切な形で(同居している人がいる方は、その人たちが苦手な香りは避けましょう)。昔の人が梅雨に蒼朮を炊いたような感覚で、なんとなく植物の力をかりてみるわけです。
参考までに「鏑木清方随筆集」から「梅雨」の項目を引用。
梅雨どきになると、土蔵や納戸、または戸棚の中に蒼朮(そうじゅつ)を焚きくゆらすのが、昔はどこのうちでも欠かさぬ主婦のつとめであった。
蒼朮とは、紅だの、薊だのによく似た花をもつ秋の野草で、その根は薬用になり、干しかわかしたのを焚くと湿気をはらい、虫を除ける。
ながあめがふりつづいて、どこもかしこもしめっぽく、襖紙はだぶだぶ大なみをうって昼もなおくらい部屋のうちに、踏む畳はじっとりとして、古沼の沢辺でもわたるように、そっと爪先をたててあるく。
そんな時にたきこめた煙には、伽羅、栴檀の香りはなくても、昔の人の袖の香は知らず、何かしら先人の生活にしみこんだ匂いの一つとして私には忘れがたく、焚いたあとでは、うっとうしく粘りついた湿気がさらりと退いて、日ごとにくりかえせば気もちまで洗われたようにさっぱりする。
■まぁ、そんなこんなで、プチ整頓もチリがつもれば山となり、部屋が綺麗になってきました。
そうなると「割れ窓理論」的な現象が起こり、極端に散らからなくなるみたい。
自分の部屋とは思えない。
「なんで私がT大に」のCMじゃないけど
なんで私が綺麗な部屋に?という日々を送っています。
外出の際も、すっすっと必要なものを持って出かけられるので、最寄りのバス停まで駆け出すことが減りました。
(以前、散らかった部屋からバタバタと外出していたため、愛鳥をドアから逃がしてしまった苦い経験有り。反省)
■次回は、「段取り半分と、フェイスライン」という内容の予定です。乞うご期待。
(皆さんご存知と思いますが、整理整頓ナーメテーターというのはTBSラジオ「ウィークエンドシャッフル」内の「ちょこっとラボ」という大人気コーナー「ナーメテーター」の真似です。