近衛内閣とキャサリンヘップバーン

私は洋画に詳しくありません。なので、キャサリン・ヘップバーンカトリーヌ・ドヌーブもブリジッド・バルドーも、いっしょくたに「昔の人」「お洒落の手本にされる人」でくくっていました。下の写真は映画「旅情」です。もう!永遠のお洒落さんですね。

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キャサリン・ヘップバーンの写真集を買いましたが、歳をとってからも、カラッとしたお洒落具合は変わらず。まったく時代を感じさせません。しかし、この「時代を感じさせない」という点が、私にある錯覚をさせたのです。それをこれからお話します。

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さて突然ですが‥

先日、松本清張の「黒い福音」を読んだのです。実話を元に、敗戦後の闇を描いたミステリーです。舞台の1つに荻窪の荻外荘(てきがいそう)がありました。荻外荘は内閣総理大臣を3度務めた近衞文麿(このえふみまろ)が、昭和12年の第一次内閣期から昭和20年12月の自決まで過ごした邸宅だそうです。私は荻窪の荻外荘まで行ってみましたが、今公開されている区画は、芝生だけの公園で、当時の様子はわからず残念でした。

 

帰宅後、「あ、そうだ。家にある古雑誌に近衞文麿が出てたような気がする」とめくっていたら、ありましたありました。昭和12年7月1日発行のホームライフに「近衛新内閣成る」という特集記事が。

この写真のたった8年後に原爆は落ちるし、近衞文麿は荻窪の荻外荘で自決するわけですが、この時点での誌面はとっても贅沢。上流階級の優雅な暮らしを見せる雑誌だからです。(ちなみにこの直後、昭和12年秋の号は、一気に誌面が変わって戦時色が強い地味な記事が多くなります。)


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どれくらい贅沢かといえば、たとえば、 同じく昭和12年7月1日発行号ホームライフ の浮世離れしたグラビアページがこちら。「のみで彫刻した氷のスワン」「鮎の冷製にフランスの雁の肝をあしらひレモンを添えたもの」など。優雅すぎる!

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で、さらに同じ号のページをめくっていたら、洋画紹介のページがありました。ふーん、昭和12年7月号はまだ洋画OKだね、とぼんやり見ていたのです。(昭和14年になると「映画法」が施行され、外国映画の上映が制限されます)

 

しかしよく読んだら「偽装の女 カザリン・ヘプバーンの主演映画」とあるじゃないですか。

 

えーっ!キャサリン・ヘップバーンってこの時代の人だったんだ!私は、彼女のカラッとした外見のせいで、いつの時代の人なのか今ひとつわかっていなかったのです。なんととなく戦後に活躍した人だと勘違いしていました。この映画「偽装の女」が公開された昭和12年(1937)の時点で、1907年生まれのキャサリン・ヘップバーンは30才なんですね。

考えてみれば、昭和30年(1955)の「旅情」で中年女性を演じたわけだから、当然、その前段階である若い頃が20年くらい前にあるはずなんですよ。しかし、そこは全然意識にのぼらなかったのです。彼女の時代を超えたルックスのおかげで時系列がわからなくなってしまったのです。

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キャサリン・ヘップバーンが軽やかに走りまわる映画「赤ちゃん教育」の日本公開は(Wikipediaによれば)昭和14年8月らしい。外国映画を制限する「映画法」の施行が昭和14年10月なので、ギリギリ公開できたということでしょうか。こんな愉快な映画を最後に、当分、外国映画とサヨウナラすることになるなんて‥‥とても辛そうです。

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Wikipediaより



 

 



 

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