佐藤いぬこのブログ

戦争まわりのアレコレを見やすく紹介

月島と土管


月島の土管の写真を見つけました。
月島といえば、もんじゃ〜、古きよき〜、路地に鉢植えぎっしりみたいなイメージですが、それは明治時代に埋め立てが完成した月島1号地にあてはまります。(私は月島2号地の小学校に通いました。私が小学生だった頃は月島2号地も木造家屋&路地に鉢植えぎっしりでした!)


↓土管の写真は、この本にのってました。

幻のモダニスト: 写真家 堀野正雄の世界

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  • 発売日: 2012/03/07
  • メディア: ペーパーバック


土管の置いてあるのは、おそらく月島3号地(または4号地=晴海)でしょう。あるいは1号地や2号地の端っこかも。




長谷川時雨の「東京開港」(昭和16年)によれば当時の月島3号地は


「北海道に似ている」


原っぱいっぱいに東京市の水道鉄管の太いのがごろごろ転がしてある」


「茫漠とした、新しい建設をまつ寂寥さがある」


という状態だったようです。


この土管の写真がまさに、茫漠と寂寥ですね!


関連話題 「高層タワーと、長谷川時雨と、浜離宮id:NARASIGE:20070906



現在の月島3号地には高層マンション立ちまくりです!

深川から、浦安へどう行く?

昭和初期の漫画エッセイ*1を見ていたら、浦安について「深川の高橋から1時間で行けるところに、こんな東京臭のない漁師町がある」と書いてありました。


上のイラストが、その、東京臭のない浦安です。


深川の高橋って、今でいうと新宿線の森下か半蔵門線清澄白河が最寄りになると思うのですが、地下鉄のない時代どうやって浦安にいっていたんだろう?


と調べてみたら、川を使って東へ東へと行っていたんですね!
川といっても人工の川、小名木川
徳川家康が作ったという、思いっきりまっすぐに東西に伸びている川。


深川の高橋から浦安までの航路は、こちらのサイトに非常に詳しく出ていまして、「高橋〜扇橋〜小名木川橋〜進開橋〜丸八橋〜草屋〜西船堀〜南船堀〜宇喜田〜栗渡〜東船堀〜三角〜桑川〜新川口〜長島〜雷〜浦安〜一軒屋〜今井〜欠真間〜湊〜富士製紙前〜行徳」と行ったそうです。



以下は、浦安市のサイトより

大正8(1919)年、通運丸に代わって東京通船株式会社が経営する定期船が深川から就航するようになり、浦安の人はこの定期船を通船と呼びました。通船は行徳から浦安、葛西の発着所に寄港し、新川口から運河に入り高橋(現江東区高橋)の汽船発着所まで運行していました。
また、その後まもなく、葛飾汽船会社が葛飾丸という16、17トンの小型の定期船を使って、高橋・浦安間を昇降するようになり、通船とともに、東京方面へ通学する学生や行商に行く人に長く利用されましたが、乗合バスが発達してきたため、いずれも戦前に廃止されました。

昔の人のジョルダンには、水路で移動する最短コースが乗っていたかもしれません!


▪️芥川龍之介も水路ジョルダンの子だったと思う。
芥川は、水路沿いの両国高校出身(小名木川と平行している「竪川」のそばのエリート高校。竪川は今は高速道路で、高架下は錦糸町河内音頭の会場になってる)。「河童」という小説で、河童に、東京は堀がいっぱいあるから河童は楽に移動できますよー、みたいなことを言わせていました!

*1:「現代漫画大観 日本巡り」昭和3年

カラー写真

以前、終戦間もない頃の日本をうつしたカラー写真をネット上で大量に収集していた時期がありました。進駐軍が撮影した、異様なまでに鮮明なカラー写真の数々です。(Flickrに「僕のグランパがジャパンに駐留していたころ。1945〜1950。」みたいなくくりの写真がいっぱいある。)


集めた写真をもとに、スライドショー上映会までやったことがありました。



しかし、今考えると、カラー写真収集は、やって良かったのか、悪かったのか、複雑なきもちです。


例えば、最近、どんどん高級ホテルが立つじゃないですか。


行ってみたい気がしても、その場所の終戦直後がどうだったか、つい脳内で鮮明カラー写真を再生してしまうので、いまいち楽しめなさそう‥‥と行かずじまいになるんですよね。


(あ、でも知り合いの高齢の方で、オープンしたての豪華ホテルを精力的に食べ歩いている方もいます。その方は思春期に、おもいっきり焼け野原の東京を見てきたわけなんだけど、そのへんどう折り合いをつけているのか。不思議。)

銀座シネスイッチと、亀戸・平井

銀座の映画館シネスイッチに行きました。


妙に館内が古いのでネットで映画館の成り立ちを調べてみると、シネスイッチを経営している会社(旗興行)は、戦前は江戸川区江東区に多くの映画館を経営していたとのこと。


今の地名でいうと、


亀戸(江東区

南砂町江東区

小松川江戸川区

平井(江戸川区

小岩(江戸川区



にそれぞれ映画館を作っていたのだそうです。


どれも、私が詳しく知らない東京の東側の町。
このエリアに映画館が沢山あったのですねー。


そして空襲で焼けてしまったと。


これらの土地を少し調べてみたら、かつては大きな工場が点在していたようです。今は再開発で公園になったり、団地になったり、モールになったりしているけれど!


今和次郎の「新版 大東京案内」の「大工場」という項目にも、大工場は東京の「本所区」と「深川区」に集中していることが書かれています。


例えば亀戸。亀戸中央公園はもともと日立の工場だったというし、亀戸駅からは貨物線が晴海まで伸びていたし(越中島支線*1)、南砂町には大きな汽車の工場(汽車製造東京製作所)があったというし。


日立のサイトを見ると、日立の亀戸工場と亀有工場を結ぶディーゼルバスが走っていたそうですよ。現在は、亀戸工場も亀有工場も東京都の公園になっています。)


narasige.hatenablog.com

*1:越中島支線のwikiには「1972年(昭和47年)まで沿線(江東区南砂)に汽車製造東京製作所が存在し、製造された車両は専用線を経由して小名木川駅より各社へ向けて輸送されていた。」と書いてある。

ソウルに行ってきました

ソウルに行ってきました。「新世界百貨店」という、かつて三越京城支店だったデパートを見るためです。

知り合いの老婦人(←お父さんが京城帝大勤務)から、少女時代に三越で買い物をしたという話を聞き、行ってみたくなったのです。

【関連話題】 三越京城支店稲荷社 | 海外神社(跡地)に関するデータベース 神奈川大学非文字資料研究センター



写真の右の建物が、かつての「三越京城支店。


現在、同じ角度から撮ると、他のビルに埋もれて小さく見えました。

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カラーの絵葉書です。右側の建物が京城三越
右下:本町入口に聳る百貨の殿堂、三越、左上:明治町交叉点の四デパートの一、丁子屋(京城) | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
f:id:NARASIGE:20200321165342j:plain


とはいうものの新世界百貨店は、近くで見ると非常に重厚。超高級なデパートでした。デパートというより美術館という感じ。何も買えなかった…!

店内に入ったところ。まるで舞台のようでした。

Bluetoothスピーカーと、日光

正月、家の病人のために、新しい寝室を用意しました。
まあ、日当たりの良い空き部屋に、布団を敷いただけですけど。


(その部屋は「霊が出そう」ということで長いこと使っていなかったのですが、使い始めてみれば平気であった。)


そしてBluetoothスピーカーとiPodも設置。Bluetoothスピーカーはピエール瀧TBSラジオ「たまむすび」内で話していて、接続がとても簡単なものだと知り、購入しました。


音楽のシャワー&日光のシャワーをどっさり浴びてご機嫌な病人は、シャッフル機能の存在をはじめて知り、「無作為の美が〜ッ!」と心底、驚いています。3000円足らずのスピーカーでこんなに喜ばれるとは。


日光のシャワーって大げさかもしれないけれど、それまでは自分の生命よりCDジャケットの保存状態を優先した人生で、ほとんど遮光みたいな部屋で寝起きしていたのです。


iPodの曲の構成は、病人の好きな音楽6割に、未知のジャンル4割を混ぜています。この配合だと、馴染みの曲は新鮮に聞こえ、未知の曲も抵抗なく受け入れられるようです。

ルークのおばさん(Aunt Beru)

スターウォーズ(1977)のすごいところの1つとして、ルークのおばさん(Aunt Beru)の存在があるとおもいます。


印象の薄いおばさんと、未来っぽい台所の組み合わせは子供心に衝撃でした。うわあ、これは、リアルだー!と。おばさんのノソっとした感じと、ルークのきらめきの対比もすごく良かった。


赤い襟を出す、なんだか半端な着こなしも、いい!


最近公開されている時代劇やSFに、ルークのおばさん的な人が出てこないのが残念でなりません!


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