小津映画で不満に思っている点があります。それは、戦争の痕跡が見えづらいということ!
たとえば「彼岸花」(1958年・昭和33)には、“戦争の時は大変でだったねえ”みたいなセリフが、一瞬あります。公開当時の観客は、全員が戦争体験者。だから短いセリフであっても「わかるー!」と共感できたのでしょう。
しかし、今見ると、美しい映像にばかり目がいってしまう。「古き良き時代!敗戦10年ちょっとでこんなに優美な生活ができたんだな」と早合点してしまいそうになるのです。
『宇宙人 東京に現る』(1956年・昭和31 )は、「綺麗な映画は、戦争の痕跡が見えない」という私の不満を吹き飛ばしてくれました。
映画の冒頭は、ベタな美しいモチーフがビッシリ。飲み屋での暖かい会話・知識階級のお宅・かっちりした美男美女など。
しかし、いざ、宇宙人の襲来を告げるサイレンが鳴ると、映画の空気は一変します。とにかく逃げる群衆の様子が「プロ」!避難の姿に迫力がありすぎるのです。
地下鉄駅になだれ混む人々。
走っている列車の窓から飛び降りる人々。
もんぺで猛ダッシュする人々。
ビルの窓から次々と放り出される荷物。
祈祷する宗教団体。
ああ、この人たち、逃げるのに慣れてる!この時代の人にとって、「サイレンが鳴って逃げた」のはつい昨日のことだったのだなあ。大人にとって10年前なんて「つい昨日」なんですから。
『シン・ゴジラ』にも群衆が地下鉄駅に逃げ込むシーンがありました。でも『宇宙人 東京に現る』の避難シーンとは、迫力がぜんぜん違うのです。(いや、迫力がなくていいんですよ。「シン・ゴジラ」の俳優が“逃げ慣れていない”のは、とても幸せなことなのですから)
『宇宙人 東京に現る』は、特撮部分こそ作り物がありますが、避難シーンは圧倒的にガチなのでした。
▽『宇宙人 東京に現る』より、走る列車の窓からガンガン飛び降りるシーン。体の柔らかさと瞬発力がすごい。荷物を窓の外に放り投げる→しなやかに飛び降りる→線路脇の斜面をガーッ!!と這い上がる。一連の動きがサマになりすぎている。このシーン、とびきり身体能力が高い人を使ったのか?それとも、当時の人は、みな逃げ方を体得していた?
ふと考えれば、小津映画でピシッと正座をしているスターたちも、戦争をくぐり抜けてきたわけです。彼らもいざサイレンが鳴れば、秘めた身体能力を発揮するのでしょうか?防空頭巾で猛ダッシュするのでしょうか。
「宇宙人 東京に現る」は、そんなことを考えさせてくれる映画でした。 おすすめです。