宝塚の海外公演 昭和13年ドイツ・イタリーへ
「宝塚 海を渡る 盟邦独伊へ文化の使節」という海外公演の記事をご紹介します。(昭和13年11月大阪毎日新聞社「ホームライフ」 )。出発に向けて大忙しの様子が伝わってくるようです。
盟邦独伊への文化使節宝塚少女歌劇の天津乙女、奈良美也子、雲野かよ子ら卅名は小林一三令息小林米三団長、須藤五郎楽長ほか12名の男団員とともに10月2日神戸部出帆の靖国丸で華やかに旅立った。(略)利益は折半、旅費、滞在費など一切はドイツ政府の負担といふことでイタリーでも1ヶ月公演し来年2月帰朝する。
「荷造箱のラベルにも、日の丸の旗をまんなかに独伊の国旗と独伊の言葉」
荷造箱のラベルを拡大したところです。
「埠頭を埋めつくしたファンの歓呼に応へて」
「この姿で盟邦独伊へ」
「公式用のお揃ひの晴れ着」
「ベルトラメリー能子さんに欧州でのエチケツトを教はる」
「お揃へのトランクに荷物を」。やっぱり風呂敷は唐草模様なんですね…
「忠臣蔵のお稽古」
「平常用のお揃ひの洋服」
「演しものは純日本的といふことで…」
「背景のカーテンにも日本模様」
「チェリーダンス」の踊り子たち
同年、 ヒットラー・ユーゲントが来日
ちなみに、宝塚の記事と同じ号(昭和13年11月ホームライフ )には、来日中のヒットラー・ユーゲントが大島を訪れている記事がありました。彼らがタバコをすう時、"2、3人が揃ってから1本のマッチを使う"という節約エピソードも「美談」として紹介されています。
欧州戦争で痛め付けられたドイツ民族が知らず知らずのうちにかういふ国民性を作つて、節約のためには1本のマッチに個人の『時』を提供してそれが当然だと思ってゐる
前年には、原節子がドイツへ
宝塚がドイツへ旅立つ前年の昭和12年、原節子がドイツへ出発しています。彼女は日本とドイツの合作映画で主役をつとめたのです。たった16歳で! この時期、若く美しい人たちが日独を行ったり来たり…。こちらもぜひあわせてご覧ください。