昭和10年の時事ネタトーク
獅子文六の小説「浮世酒場」(昭和10)が、金色青春譜 ――獅子文六初期小説集 (ちくま文庫)に入るそうです!嬉しい!「浮世酒場」は酔った客が東京ポッド許可局のようにしゃべりまくるスタイルの作品です。すごく時事ネタが多いので、私は全集の注釈を見ながら、チビチビ、チビチビ、読みすすめていました。
ハチ公が死んだ!とか、酒のツマミは何がベスト?みたいな、一見ゆるそうな会話の合間に「非常時国民」「国境方面の緊張の工合」「ナチスとファッショ」のようなピリついたフレーズが飛び出す「浮世酒場」。
話題の三原山心中
そんな「浮世酒場」の話題の1つ、三原山の心中エピソードについて、時代背景を少しだけご紹介しますね。まず、昭和8年の三原山心中を描いた画像をご覧ください。当時の人気漫画家が、大衆誌で描いた三原山心中です。
三原山大入満員 入場券売切
男「おやもう満員だ。当てが外れた、何処に代へませう」女「よそでは感じが乗らないわ、止めて帰りませうよ」(田中比左良 キング昭和8年5月講談社)
三原山にお店を
御神火の火口に頭のいい彼女はこの様な店を開きました。「いかがです。パラシュートをお持ちになると御けがしませんし、この紅バラを御胸にいかが。どうぞ御最期を美しくはなやかにあそばせ。便箋もございます。みんな揃ってただの15銭ですの。」(小野佐世男 昭和8年3月 日曜報知)
気持ちが弱ると、三原山に?
話題の三原山心中は「浮世酒場」にも当然、時事ネタとして登場します。
「そういえば、三原山がまた近頃復興してきたようですね」
「毎日2、3人はきっとあるそうですな。大島の人に聞くと、夜はとても凄いそうです。御神火の真っ赤な炎の中に、青い人魂がボンボン飛び上がるそうで」
このあと、火葬代が浮くよねえ、みたいな不謹慎すれすれのトークが続く💦
「浮世酒場」の看板娘「おゴンちゃん」が謎の書き置きを残して欠勤したときも、周囲は三原山心中を予想して大慌て。店主は「おゴンちゃん」のメンタルを気づかってこう言います。
「して、一体どこへ行ってきたンだい。フラフラと霊岸島で切符を買って、大島へ行く気になったのではないかい。何でも相談に乗ってやるから、隠さずに云いなさい。」
と、やんわり探りを入れた。するとおゴンちゃんはカラカラと笑って、
「大島なんて、もう古いだよ。オラ、ちょッくら流線型をやって来ただ」
この場合、「フラフラと霊岸島で切符を買って、大島へ」は、「霊岸島」という地名がポイント!(個人の意見です)
かつては大島行きの船が、霊岸島という場所から出ていました。そして"思いつめた人は、霊岸島から三原山へ行って飛び込む"と考えられていたのでしょう。
大島行きの船が霊岸島(中央区)から出た時代
「霊岸島って、一体どこ?」って思いますよね。
霊岸島のある東京都中央区出身者として説明させてもらいますっ。獅子文六が随筆で書いているように、かつては船でお出かけするなら霊岸島(今の中央区新川)だったのです。
昔、三崎や房州へ行くのに、東京から汽船に乗ったが、それは霊岸島というところで、港なんていうものはなかった。(「ちんちん電車」より)
▼これは東京湾汽船(今の東海汽船)のパンフレット。船が「霊岸島」から出て、大島や下田へ行っているのがわかりますか?
華やかな大島航路
中央区が出しているお年寄りの座談会記録から、霊岸島と大島航路を回想している部分を引用します。夜に見る大島行きは、すごく綺麗だったらしい。
千葉に行くにも、霊岸島から
ちなみにこの漫画は、学生たちが千葉の合宿所に、霊岸島からやってくる様子を描いたもの。霊岸島って「霊」という字がついているから、なんとなく静かなイメージだけど、若者の集団がひしめきあう場所でもあったのでしょうね。(昭和3年「日本巡り」池部 鈞←俳優 池部良のお父さん)
東京湾納涼船も、霊岸島から
さらに、霊岸島からは東京湾納涼船も出ていました。船内のイベントに「洋楽」「トーキー」「素人演劇大会」など書かれている。これは楽しそうですよ!(画像は東海汽船のサイトより)
▼東海汽船の年表サイトは、すごく読みやすいのでオススメ。観光で賑わっていた時代から、一転して戦争に突入するまでをシームレスに見ることができます。しかし「東京湾の女王」と呼ばれていた客船が、戦時中は海軍の特設病院船になるなんて、悲しすぎる。
ヒットラー・ユーゲントと大島
「浮世酒場」は昭和10年の作品ですが、ご存知のとおり2、3年で時局は急変します。画像は昭和13年、大島噴火口にヒットラー・ユーゲントが来ているところ(「ホームライフ 」大阪毎日新聞社 昭和13年11月号より)
▼この時期の出来事を「ご時勢の急変と獅子文六」という冊子にまとめました。よろしければご覧ください。