日比谷公園の国葬風景(東郷平八郎)【昭和9年6月】
いきなり国葬が決まって、モヤモヤしています。
先日、日比谷公園の国葬(東郷平八郎)記事を読めるサイトを見つけたので、参考までにご紹介しますね。日比谷公園といえば、野音やオクトーバーフェスト、鶴の噴水…みたいなイメージですが、かつては国葬が行われる場所でもありました。
▽これがそのサイト。雑誌をパラパラする感覚で読めます。昭和9年7月の東郷平八郎追悼特集。国葬の記事だけではなく、亡くなる前の見舞客の写真などもビッシリですよ。(雑誌名に一瞬驚くけれど、今、世間で話題になっているのは「日報」。この雑誌は「画報」)
日比谷公園葬儀場
▽上記の雑誌より引用してみましょう。こちら昭和9年6月5日の日比谷公園。それこそ、オクトーバーフェストをやっているような場所に、一般人が詰めかけている。
https://archive.org/details/sekai-gaho-1934.7/page/n28/mode/2up
午前九時四十分霊柩車は日比谷公園葬儀場に入った。(略)午後零時半から一般の拝礼が許された。朝早くから日比谷公園の周囲に詰めかけていた大群衆は、怒涛のように正門に殺到して、我れ勝ちに故元帥の霊前に額こうと凄まじい勢いでなだれ込んだ。
NHKの動画にも、同じ角度の映像あり。
▽記事のタイトル。「護国の大偉人、われらが東郷元帥」といった感じ。
▽国葬のあとは、日比谷公園から多磨墓地へ移動。(余談ですが当時の“多磨墓地”は、公園墓地という斬新なスタイルゆえ敬遠されていました。しかし、東郷平八郎以降はグッと知名度があがったとか。*1)
https://archive.org/details/sekai-gaho-1934.7/page/n30/mode/2up
【参考:東郷平八郎イメージ画像】これは、『明治大正史 現代漫画大観(昭和3)』に出ていた東郷平八郎と日露戦争の図(画:池田永治)。冒頭のアイキャッチに使った似顔絵(画:近藤浩一路)も同じ本から拝借しました。
若者の「海軍葬」も日比谷公園で【昭和17年4月】
東郷平八郎リスペクトといえば、昭和の人気作家・獅子文六の『海軍』です。主人公は、東郷平八郎を“同郷(鹿児島)の英雄”として憧れる若者。『海軍』のモデルは真珠湾攻撃の軍神の1人で、日米開戦の翌年に朝日新聞に連載されました。
そんな主人公の「海軍葬」も、やはり日比谷公園で行われています。物語のクライマックスがこの海軍葬なので、葬儀の様子も詳しく描かれている。興味のある方は小説『海軍』を読んでみてくださいね。
▽これは実際の海軍葬記事
以上、日比谷公園で行われた葬儀の例でした。九軍神の海軍葬から1年後の昭和18年、山本五十六の国葬も日比谷公園で行われています。→NHKの動画に葬儀の様子有
そして、山本五十六の墓と東郷平八郎の墓は、どちらも東京市が造った多磨墓地のド真ん中、「名誉霊域」にあったりする。広〜い名誉霊域を使っているのは、たった3人の軍人だけ。(東郷平八郎・山本五十六・古賀峯一*2)
そういう感じなんです、国葬の時代って…。
▽多摩墓地(現・多摩霊園)内名誉霊域
▽現在も、名誉霊域はそのままです(2022年撮影)。