佐藤いぬこのブログ

戦争まわりのアレコレを見やすく紹介

終戦から10年

紅型■グラウンド・ゼロ■長崎

終戦の年、カラー写真も鮮やかなキ・モ・ノ…………1945年の沖縄です。 “マイファーザーが撮りました”【拡大画像】こういうカラー写真が32枚あります。終戦の年に、ここまで鮮明なスナップ写真って……一体…… その頃、広島では…………「Hiroshima 1945 Ground Zero」…

手作りワンピース

大胆な横縞のワンピース。夏らしい☆ 実はこのワンピース、「白いキャラコと黒い紋付地を縞にはぎあわせたもの」だそうです。そんな成分から出来ているとは・・・・ 「暮らしの手帖を通してみた戦後の3年間・なんにもなかったあの頃」(100号1969年)より「つ…

銀座の伊東屋で、シンクロニシティに、出会ったー

時間をつぶすため、何となく伊東屋の別館(紙類専門)をのぞいてみた。紙に全く興味はなかったけれど。 そして自分には縁のない、優美な、“手作り紙箱キットの見本品”をぼんやり手にとって眺めていたのです。そこで、シンクロに、出会った!! 箱にアンティ…

 終戦カテゴリ/山口晃

私がなぜ「終戦から10年」というカテゴリーを作ってるかというと、その時期にむしょうに惹かれて☆というわけでは全然なくて、その時期のことを雑誌で見かけないからなんです。たとえば本屋さんに行くと、江戸の粋とか、鬼平が歩いたー、大正ロマン、荷風が歩…

 屋根無しの東京駅 その2

ウォシュレット完備の美術館にこういう写真が展示されたりすると、静謐な廃墟→→もえ………、という方向にいってしまいそう。 でもこれは廃墟じゃなくて、「現役」なわけで。写真って匂いも写るといいのですが。かなり強烈な匂いだったであろう。知り合いの人が…

ずうっと、豊か

60〜70年代のかっこいい資生堂CFを手がけたディレクター杉山登志氏*1の遺書に リッチでないのに リッチな世界などわかりません ハッピーでないのに ハッピーな世界などえがけません 夢がないのに 夢をうることなどは……とても 嘘をついてもばれるものです と…

強烈ベビーカー、 鹿男あをによし

和(…)でLOHASだけど、復活しないであろう乳母車(タルの中身が中身なだけに) でも赤ちゃんは、「パフューム」のグルヌイユ君(いいにおいも悪いにおいも、全部、かぐ)みたいになるかも。 1953年、札幌.真駒内キャンプ・クロフォード付近?。。。。。。。…

 グランパと、せんそう

日本の場合「おじいちゃんと戦争」というと、なんとなくタカトシの日本兵的なイメージがありますよね。 すごく小柄で、思い詰めたような表情で、直立不動、のような。しかしFlickr で、「Grandpa WWII」とか検索すると、グランパ写真の雰囲気がかなり違うの…

 伊勢丹のエネルギー源

世界最大のチョコレートの祭典 サロン・デュ・ショコラ:伊勢丹新宿店2008年1.23から。全13カ国 55ブランド、トップショコラティエ30名が来場。 日経ビジネスによると、伊勢丹が売ることにこだわるのは「商売への飢餓感」があるからだそうです。 第二次大戦後…

 ディスカバージャパン

70年代の国鉄CFです。 後半、当時の流行の髪型で、若い大ハシ歩さん(昭和15年生まれ。敗戦の時5才)が登場。 【関連話題 70s 日本の雑誌広告(ピエ・ブックス)に思うこと id:NARASIGE:20070913】

明治座の復興と力道山

歌舞伎座VS明治座の復興合戦 明治座と歌舞伎座はどちらも空襲を受け、敗戦から5年は閉じていました。そして"どちらが先に再開できるか"を競っていたのだとか。明治座の復興にあたっては、意外にもデビュー前の「力道山」が活躍していたのです。私はそのエピ…

東京駅の変化。

これは昭和初期。屋根が丸いです。祖母のアルバムから。(丸い屋根時代のペーパークラフトがあるそうですよ、建築ペーパークラフト「東京駅」 | AssistOn) 戦争で、まるっと屋根が焼けてます。(絶版らしきこの本asin:4163382305から) 知人の70代女性(都…

 SFじみた八王子駅、SFな髪型

豪華なキモノ髪型なのですが、盛り上がり方が現実ばなれしていてなんだか不穏。SFっぽいです。【拡大画像】この女性には、妙に近未来な八王子駅(昭和28年、1953年)【拡大画像】を利用してほしい。 この二つの写真から、誰か小説を書いてください!ウルトラ…

 伊勢丹の、超特濃シチュウ

これは焼け野原の新宿。左が三越で、右が伊勢丹なんですって!ひー。絶版らしきこの本asin:4163382305からスキャンしました。 (こちらのサイトに非常に詳しい解説があります。) ところで。敗戦直後、伊勢丹が関わっているような、関わっていないような、も…

 東京宝塚劇場、芳村真理

先週、HOUSE OF SHISEIDO / ハウス オブ 資生堂の「スクリーンのなかの銀座」に行きました。 展示されていた映画雑誌1954年の新春号に、「東宝の本陣、アーニーパイルはいつ返還されるのだろう」という記事が。。。 アーニーパイルは東京宝塚劇場のこと。戦…

 有楽町の日劇(現マリオン) 定点観測

ストイックな純喫茶が「ナポリタンはじめました」の貼り紙で、なしくずしになっていくような感覚を味わってください。有楽町の日劇、昭和8年頃。設計は銀座和光だの原美術館、上野東京帝室博物館(現東京国立博物館)、日比谷第一生命館などを手がけた渡辺仁…

 かわいい、鮮やかすぎるおかっぱ

異様に鮮やかなおかっぱ。1954年。これは日本でいうと、昭和29年になります。 50年以上前の写真は凄まじいセピア色感、モノクロ感があって、実際の歳月以上に「はるか遠い昔、別の宇宙、自分たちには関係ない」という印象を受けがちです。なのに、この国の人…

 ニューオータニ、ピタゴラ装置

■「007は2度死ぬ」や、「人間の証明」(ストーハ!)でおなじみホテルニューオータニ。その回転レストラン BLUESKYを「回転」させているのは、戦艦大和の砲座を回転させる技術というはなし。 戦艦「大和」の主砲を回していた技術をもつ、広島 呉市にある尼崎…

 押井守、聚楽ビル、易断など

田中小実昌氏の本に“昭和24年頃、上野の聚楽ビルの座敷を易断所にした…”とあったので、おお2階が聚楽台レストランの古い建物のことかなと思っていたら、違いました。田中氏によれば、そのビルは「上野駅の方からみると、船の舳先が波をわけて進んでいる」そ…

 とんでもハップン

■画像は、昭和25年の朝日に掲載された4コマ。今どきの軽薄な若者(やたらにカタカナを羅列)とは会話が成立しないので、“サ○エ、ひとつ通訳を頼むよ”というわけ。 同じ昭和25年、朝日新聞に連載された「自由学校」にも、「とんでもハップン!」「チャージさ…

 吉行和子→→吉行理恵へ

■大正生まれの人に、浴衣の色落ちの話を聞きました。敗戦からしばらくの間、浴衣は、もう、色が落ちて落ちて白い帯が出来なかったものもあったそうです。(帯が青く染まってしまうから)そのうちだんだん品質がよくなって、色落ちもなくなったとのこと。■服…

女子と戦争。敵機が来るわよ?

九段の昭和館の展示「学生たちの戦中・戦後 〜忘れえぬ青春の記憶〜」一番、臨場感・ライブ感があったのが、戦時中の乙女の皆さん*1が、自分たちの生活を描いたカラーの寄せ書き画帳でした。絵の雰囲気は意外にも、ほのぼの・静謐。「猫村さん」「谷内六郎」…

「オキュパイド ジャパン(占領下の日本)」

東京都写真美術館、「オキュパイド ジャパン(占領下の日本)」 ■会 期:5月12日(土)→6月24日(日) 写真美術館のホームページには出ていないけど、まずは石川光陽サンによる黒コゲ焼死体写真と、焼け野原!焼け野原!焼け野原!焼け野原!のパノラマ写真から…

 トリュフォー、煙草の「Peace」

■スノウブックスで知った、とても格好いい煙草「Peace」の記念パッケージ。高度経済成長期ならではのデザインの熱さ、なんだそうです。このパッケージだけ見ると、すでに東京はガラス細工のSF都市。しかし実際、東京にあふれていたのは、こっちの光景だった…

 劣等感からはじめよう

■久世光彦の「昭和恋々―あのころ、こんな暮らしがあった (文春文庫)」より、終戦直後の銀座交差点でイケメン進駐軍が交通整理をしていたのを目撃した森光子のエピソードです。 ちなみに当時の銀座4丁目は空襲で丸焼け、三越の鉄骨もムキだし。(画像はコチラ…

 絶滅した装い

こういう微妙……な装いが街に、駅に、溢れてかえっていた時代は、「凛とした日本の暮らし。感性が研ぎ澄まされます…」と、いいににくい。(1969年、基地のある街。こちらのサイトから)むしろ当時のヤングは、身の回りから「日本臭さ」を一掃したかったことで…

 超・鮮明な東京駅

↑↑このように、モノクロ写真だと、「すっごい昔。辛気くさい。」という感じがしてしまいますが、外国のヒトがカラーで撮った東京駅は、半世紀以上前のものなのに、「今年デジカメで撮ったのですか?」というくらい、時間差を感じません。1953年だから、東京…

 来夢来人

四季のある国に生まれたわたしたち。その研ぎ澄まされた美意識…を語る上で欠かせないのが、昭和8年から昭和56年まで有楽町にあった、日本劇場(現在のマリオン)だと思います。 ↑昭和8年に白亜の建物だった日劇(設計は和光と同じ渡辺仁)は、昭和55年、鮮や…

 妖精っぽいスカート

淡い色合いの民族衣装が、妖精じみてるkoreaのおばあちゃん達(1969) ふんわりしたシルエットだから、大股の外股で、ノビノビ歩いている雰囲気♪ 小さなスプーンおばさん (新しい世界の童話シリーズ)っぽいスカートです。拡大画像はコチラ ttp://www.mishalo…

 歌舞伎座の前が「“AVE”Z」だった頃

1945年から1952年まで占領下にあった東京。主要な道路はすべて横文字のものにつけかえられましたが、その植民地的風景は占領軍の検閲で決して映画に撮れなかったそうです。これは晴海通り(“AVE”Z)と銀座通りとの交差点。御存知のように晴海通りは、歌舞伎…

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