佐藤いぬこのブログ

戦争まわりのアレコレを見やすく紹介

【連合国軍隊ニ限ル】銀座のキャバレー

 敗戦直後、日本人客が入れないキャバレー「オアシス オブ ギンザ(Oasis of Ginza)」が誕生しました。場所は銀座のど真ん中。今の「GINZA SIX」(元・銀座松坂屋)の地下です。“お洒落な銀座のヒストリー”にはまず出てこない施設ですが、関連画像などをご紹介します。

特殊慰安施設協会のキャバレー”「オアシス オブ ギンザ」

まずは高見順の『敗戦日記』(中公文庫)より、昭和20年11月部分を引用してみましょう。

11月14日 松坂屋の横にOasis of Ginzaと書いた派手な大看板が出ている。下に R.A.A.とある。Recreation and Amusement Associationの略である。松坂屋の横の地下室に特殊慰安施設協会のキャバレーがあるのだ。

「のぞいて見たいが、入れないんでね」というと、伊東君が「地下二階までは行けるんですよ」

地下二階で「浮世絵展覧会」をやっている。その下の三階がキャバレーで、アメリカ兵と一緒に降りて行くと、三階への降り口に「連合国軍隊ニ限ル」と貼り紙があった。(略)

下階から音楽が響いてくる。栄養失調の身体を汚い国民服に包んだ日本人の群れが、空腹をかかえてうろうろしている。楽しそうな音楽も一向に気分を引き立てないようである。

昭和20年11月14日といえば、敗戦からちょうど3ヶ月。栄養失調の日本人にとって、下階からズンズンひびくサウンドは、よほどの音楽好きでない限りキツそうです。

高見順が見たオアシス オブ ギンザ

高見順『敗戦日記』に書かれた光景そのままの写真がコチラ(昭和20年11月/菊池俊吉撮影)。『敗戦日記』の「松坂屋の横にOasis of Ginzaと書いた派手な大看板が出ている。下に R.A.A.とある。」は、ズバリ、これでしょう。

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『銀座と戦争』(平和博物館を創る会・編)より

▽看板左下にR.A.A(特殊慰安施設協会。Recreation and Amusement Association)の文字が見えます。

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▽引いてみるとこんな感じ。右の方には『敗戦日記』にもでている“浮世絵展”の看板があり、その上に松坂屋のマークも見えます。(昭和20年11月/菊池俊吉撮影)

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『銀座と戦争』(平和博物館を創る会・編)より

「オアシス オブ ギンザ」のオープンを素早く告知

▽そして、これは上の写真の前段階ですね。「オアシス オブ ギンザ(Oasis of Ginza)」がもうすぐできますよ!という告知看板です(『想い出の東京』師岡宏次)。焼け野原の銀座にサッと「OPENING SOON」の看板を立てる段取り力よ…。背景の建物から、上の写真と全く同じ場所だとわかります。

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「想い出の東京」 師岡宏次写真集より

▽看板拡大。MASTUZAKAYA  DEPT. (松坂屋百貨店)の文字が見える。

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「想い出の東京」 師岡宏次写真集より

『想い出の東京 師岡宏次写真集』のキャプションはこう。「500人の日本人の踊り子」って…

ダンスホール開場」銀座松坂屋の地下室が焼け残った。そこは進駐軍専用のダンスホールになり、焼け野原に看板が立った。

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「想い出の東京」 師岡宏次写真集より

銀座がまだ焼け野原なのに「Oasis Of Ginza」はオープン

 敗戦直後「オアシス オブ ギンザ」がいち早くオープンした写真を見ると、「なるほど!銀座の復興はサクサクすすんでいたのだなあ!」と錯覚しそうになります。

 ところが、銀座はまだメチャクチャなのでした。たとえばこれは高見順『敗戦日記』と同時期(昭和20年11月)に撮影された銀座4丁目交差点。中央に和光、右に見えるのは黒コゲの銀座三越です。これを見ると「オアシスオブギンザ」の開店がいかに素早いかがわかります。

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『銀座と戦争』(平和博物館を創る会・編)より

【参考】焼けた歌舞伎座明治座は、再開するまでに5年もかかったんですよ。

narasige.hatenablog.com

素早い“防波堤”の準備

 なぜ、街が壊滅状態なのに「オアシス オブ ギンザ」は素早くオープンしたのでしょうか。その理由が、小沢昭一のインタビュー集『色の道 商売往来』からうかがえます。この本では小沢昭一がRAA(特殊慰安協会)の創立メンバーから、各地に用意された“施設”について直接聞き出しているのです。

「 政府自体も大陸で身に覚えがありましょう。(略) 自分がやっていたことを、必ず向こうにもやられるだろうと想像した。」

なるほど…

色の道商売往来―平身傾聴・裏街道戦後史 (ちくま文庫)

参考:雑誌「LIFE」に掲載された「オアシス オブ ギンザ」

 ちなみにこれは「LIFE 」1945年12月3日号。8月に敗戦で、12月3日号にはもう「オアシスオブギンザ」が記事になっています。これ、写真映えする男女を集めて撮ったのでは?背丈のバランスが良すぎるし、女子たちは頬がツヤツヤ。

A JAP-SPONSORED DANCE  IS  GIVEN  AT " Oasis of Ginza" HALL

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LIFE 1945年12月3日

▽上と同じLIFE 1945年12月3日号に出ていた写真。公園のベンチや、道で寝ている人々です。「オアシス オブ ギンザ(Oasis of Ginza)」記事とのギャップがすごい。

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LIFE 1945年12月3日

books.google.co.jp


 以上、“お洒落な銀座のヒストリー”にはまず出てこない施設「オアシス オブ ギンザ(Oasis of Ginza)」のご紹介でした。同様に、あまり知られていない銀座の施設として「東京温泉」があります。こちらもあわせてご覧ください。

narasige.hatenablog.com

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