佐藤いぬこのブログ

戦争まわりのアレコレを見やすく紹介

「銀座二十四帖」をカラーで置き換えてみる

モノクロの「銀座二十四帖」(1955昭和30・川島雄三)を、カラーで置き換える遊びをしてみました。(「なぜ、この時代にカラー写真が沢山あるのか?」については「朝鮮戦争と聖路加病院」をご覧ください)

narasige.hatenablog.com

 肥桶の匂いからはじまる「銀座二十四帖」

 「銀座二十四帖」の公開は、終戦からちょうど10年。空襲を受けた建物の補修もすすみ、接収されていたビルもおおむね返還された頃です。そう、「敗戦→すぐ復興!」とはいかないのです。あの歌舞伎座明治座でさえ、戦後5年間は焼け落ちたままだったのですから。

 

では、写真を紹介していきますね。まず肥桶。「銀座二十四帖」は、意外にも近郊の肥桶の匂いから始まるのです。

あーなんという馥郁たるたる香り。かんばしくも健康な匂い

森繁久弥のナレーションと共に、肥桶を担ぐ人が現れます。

f:id:NARASIGE:20200726110235j:plain

次に 花の仕入れ。主人公である「花屋のコニーさん」(三橋達也)が、早朝、花を運ぶイメージです。この時代の梱包はだいたい可燃物。

f:id:NARASIGE:20200726110821j:plain

コニーさんの花屋が入っているビル「東京温泉」の内部。(←本当)

f:id:NARASIGE:20200720120636j:plain

川島雄三作品と「東京温泉」については、こちらに詳しく書きました。

narasige.hatenablog.com

 

 銀座の街並み。空襲を受けなかった松屋(TOKYO PX)をメインにして撮影すると、パッと見、空襲とは無縁な写真になるので要注意!!車の列も、PXに来たアメリカ人客のものかと。松屋は1952(昭和27)返還されたので、これは「銀座二十四帖」より少し前の写真です。

f:id:NARASIGE:20200726110836j:plain

 新装後の松屋は1953(昭和28)オープン。改装前の方が重厚で素敵に見えますが、当時は(今も?)軽やかさが求められたのでしょう。

f:id:NARASIGE:20200727112222j:plain

Tokyo from a rooftop | Japan, 1952-55 Photographer unknown | m20wc51 | Flickr ▼はじめこの写真を見たとき「どこの裏通りだろう?」と思ったのですが、拡大したら中央の建物に「教文館」の看板があるじゃないですか!!この風景は銀座の「オモテ通り」を、松屋デパートの屋上から見ているのでした!びっくり。通りに面する部分「だけ」体裁を整えている店舗がみえますね。

f:id:NARASIGE:20210213091023j:plain

 三越銀座三越も、なんだか重厚さに欠けるように思えますが…(下に続く)

f:id:NARASIGE:20200728102238j:plain

空襲を受けた銀座三越は、この状態からスタートしたのでした。大変でしたね。この写真は「マッカーサーの見た焼跡」より。

f:id:NARASIGE:20200728094535j:plain

  銀座4丁目交差点。「銀座二十四帖」では、通行人でさえ細〜いウエストでしたが、実際の体型は、こんな感じでしょうね。

f:id:NARASIGE:20200727124455j:plain

 銀座4丁目交差点から、晴海方面を見る。東劇を右に曲がったあたりに、美しい京極和歌子さん(月丘夢路)のお店があります。f:id:NARASIGE:20200729090302j:plain

1951 Tokoyo, Japan | jcator | Flickr 橋を渡る女学生たち。「銀座二十四帖」の花売り娘たちは、配達にこのテの橋をたくさん渡ったことでしょう。私は中央区出身なので色々な橋を渡ったけれど、だいたいの橋の下は、水が淀んでいるか、埋められて駐車場になっているか、のどっちかでしたね。奥の方に朝日新聞が見えます。関連話題:ちょっぴり写っている分離派 - 佐藤いぬこのブログ

f:id:NARASIGE:20201130105532j:plain

喫茶 白馬車。「銀座二十四帖」の夜のシーンで、「SHIROBASHA」というネオンが一瞬登場します。左下の「暖房完備」という表示にも注目。

f:id:NARASIGE:20200727103922j:plain

 1950's Tokyo #1 | Shot around 1955 or 1956, this view from a… | Flickr

松坂屋の屋上から見た銀座です。クライマックスに、めちゃくちゃ繰り返し登場するナショナルのネオンと、森永のネオン。手前に松坂屋のロゴ。

f:id:NARASIGE:20210301190313j:plain

 ナショナルのネオン

f:id:NARASIGE:20200727104110j:plain

【参考】まだ「銀座二十四帖」を撮れない状態の銀座

 「銀座二十四帖」のオープニングは、空から見た銀座ではじまります。京橋から新橋まで、ググーっと空撮!気持ちいい!

それが出来るのも、敗戦から10年経過し、とりあえず表面は復興したから。ご存知の通り「銀座二十四帖」のたった10年前は焼け野原なんです。Greater Tokyo, Sept. 1945, looking up main street, Ginza | Flickr

f:id:NARASIGE:20090814122647j:plain

こちらは、敗戦からもう少したった頃。焼けた三越の修復は進んでいますが、手前のビルは焼けっぱなし! 「銀座二十四帖」の撮影はまだまだムリですね。FH000049-090104-22

が臭う銀座

 数寄屋橋 ピカデリー 。クズ拾いの人が寝ています。この場所は「銀座二十四帖」でも、似たような感じの人が座り込んでいました。①クズ拾いの人が、②松竹ピカデリー のすぐ前で寝転んでいるように見えますが…(下に続く)

f:id:NARASIGE:20200727160035j:plain

 空から見るとこんな感じ。実は、①クズ拾いの人と、②松竹ピカデリー の間には、川(堀)があるのでした…。その後、川は埋め立てられ西銀座デパートになります。

f:id:NARASIGE:20060921195529j:plain

 

映画に臭気はうつらない!

 「銀座二十四帖」のラストでは、森繁のこんなナレーションが入ります。

「ふんぷんたるドブ川の臭気は、映画にはうつっておりません」

「昭和史が面白い」でも、森本哲郎が銀座の臭さを強調しています。よほど臭かったのでしょう。

僕は、堀を埋め立てているところも高速道路ができつつあるのも目の前で見ていましたからね。その時の正直な気持ち言えば、まぁ僕も若かったから、これで有楽町も近代的になるなあと、楽しみだった。とにかくひどい臭いでしたからね。川が臭くて窓が開けられないほど。

そんなわけで「銀座二十四帖」は、「肥桶の匂い」ではじまり、「ドブ川の臭気」で終わる映画なのでした。

 【おまけ】銀座と、ケネディ大統領暗殺

ケネディ大統領暗殺事件のオズワルドが利用したとされる、銀座のキャバレー「 クインビー」。先日のNHKスペシャルでもこの写真を使っていたと記憶しています。(クイーンビーの資料が少ないため、NHKから辺境ブログの私にまで問い合わせがありました)。日本人客は入れないそうですが、「花売りのコニーさん」なら、入れたのかもしれませんね。

At the Queen Bee Cabaret, 1956 | Japan, 1956 Photographer: P… | Flickr

f:id:NARASIGE:20200728120738j:plain

 

narasige.hatenablog.com

 

h3 { color: #FFFFFF; background: #000000; padding: 0.5em; } h4 { border-bottom: dashed 2px #000000; } h5 { border-bottom: double 5px #000000; }