“わしづかみ力”がすごい阪本牙城の漫画
阪本牙城といえば「タンクタンクロー」。近眼の私の目にもグイグイ飛び込んでくるこのタッチ!
ちなみに、創刊時のanan等をてがけたデザイナー堀内誠一(昭和7生)は、幼い頃から雑誌ごっこに励んでいて、阪本牙城や新関健之助を「漫画の一流執筆者」として揃えていたそうです(笑)*1。 当時、似たような遊びをした子は多かっただろうけれど、堀内誠一の雑誌ごっこは完成度が高かったでしょうね!
▽阪本牙城は「タンクタンクロー」以外の絵も可愛いんですよ。ほぼ90年前の絵なのに、とっても鮮やか。
「不良よけ浴衣 避暑地をばつこする不良をノックアウトするために考案された新流行浴衣」(昭和8年9月新潮社「日の出」阪本牙城)。
— 佐藤いぬこ (@inukosato) 2021年5月3日
阪本牙城は立川高校出身なんだ… pic.twitter.com/5G7SsHtNjV
▽こちらは昭和3年、出来立ての村山貯水池(多摩湖)でデートしているモボとモガの図。モガの刈り上げ、たくましい脚!
人気まんが家と文化工作
やがて、戦争の時代がやってきます。大東亜共栄圏のクールジャパン 「協働」する文化工作 を読んで、阪本牙城が満州に渡った経緯を知りました。彼は過酷な環境の満洲で「 義勇軍の子供たちに、漫画の描き方を教えて歩いた」のだとか。
田河水泡と、阪本牙城という2人の人気漫画家は、田河が動員に加担した青少年を現地で阪本が庇護をしていくという奇妙な共同関係として戦時下を生きた。
「のらくろ」の田河水泡に、「タンク・タンクロー」の阪本牙城。こういう強烈な“わしづかみ力”のある人って、お国の非常時になにかとお声がかかるんだろうなあ。
極限状態とユーモア
ところで過酷な環境といえば、映画『オデッセイ』(原作『火星の人』)ですよね。高スペックの大人が、ジョークを言いながら火星を生きのびていた。極限状態では、ユーモアセンスの有無が生死を分けるんだろうな…そう思わせる映画でした。
でも満州の「義勇軍の子供たち」は『オデッセイ』と違って一般人なんですよ。そんなフツウの「子供たち」に、ユーモアや漫画がどれくらい効いたのかしら?少しでも救いになったのか。それとも過酷な環境では、どんなユーモアも焼け石に水だったのか。気になるところです。
▽田河水泡の「義勇兵勧誘まんが」は、コチラで見ることができます。すごく楽しそうなパンフレットで、私が適齢期の少年だったらすぐ勧誘されてしまいそう。
▽阪本牙城が描いた満州の様子はコチラから。朗らかな漫画の裏で実際は何が起こっていたのか、読みながらついドキドキしてしまう。
オマケ「冷えちゃいけないよ」
これも阪本牙城。昭和3年ごろです。かわいいでしょう?左のオジサンが「冷えちゃいけないよ」と言っているのがわかりますか?以前、私はこのセリフに感激し、ずばり『冷えちゃいけないよ』というタイトルで、女性の冷えと健康について考えるZINE(冊子)を作ったことがあります。
この漫画の「冷えちゃいけないよ」というセリフは、【①平時に②内地で③若い美人に向けて】発せられていますが、その後、大日本帝国は敗戦に向かってグチャグチャになるわけで。「冷えちゃいけないよ」と、やさしく人をいたわる余裕はいつ頃まであったのでしょう。お年寄りの回想録などで、“戦中戦後の辛い時期にも、あたたかい人情があった”的な証言を見かけるけれど、それは運良く生き延びた人の言葉だしなあ、などと思ってしまうのです。