佐藤いぬこのブログ

戦争まわりのアレコレを見やすく紹介

阪本牙城の“わしづかみ力”と「満洲」

“わしづかみ力”がすごい阪本牙城の漫画

 阪本牙城といえば「タンクタンクロー」。近眼の私の目にもグイグイ飛び込んでくるこのタッチ!

ちなみに、創刊時のanan等をてがけたデザイナー堀内誠一(昭和7生)は、幼い頃から雑誌ごっこに励んでいて、阪本牙城や新関健之助を「漫画の一流執筆者」として揃えていたそうです(笑)*1。 当時、似たような遊びをした子は多かっただろうけれど、堀内誠一の雑誌ごっこは完成度が高かったでしょうね!

昭和10年『タンク・タンクロー』(昭和45年復刻版・講談社

▽阪本牙城は「タンクタンクロー」以外の絵も可愛いんですよ。ほぼ90年前の絵なのに、とっても鮮やか。

▽こちらは昭和3年、出来立ての村山貯水池(多摩湖)でデートしているモボとモガの図。モガの刈り上げ、たくましい脚!

阪本牙城「村山貯水池」/ 昭和3年『現代漫画大観 日本巡り』

人気まんが家と文化工作

 やがて、戦争の時代がやってきます。大東亜共栄圏のクールジャパン 「協働」する文化工作 を読んで、阪本牙城が満州に渡った経緯を知りました。彼は過酷な環境の満洲義勇軍の子供たちに、漫画の描き方を教えて歩いた」のだとか。

田河水泡と、阪本牙城という2人の人気漫画家は、田河が動員に加担した青少年を現地で阪本が庇護をしていくという奇妙な共同関係として戦時下を生きた。

のらくろ」の田河水泡に、「タンク・タンクロー」の阪本牙城。こういう強烈な“わしづかみ力”のある人って、お国の非常時になにかとお声がかかるんだろうなあ。

極限状態とユーモア

 ところで過酷な環境といえば、映画『オデッセイ』(原作『火星の人』)ですよね。高スペックの大人が、ジョークを言いながら火星を生きのびていた。極限状態では、ユーモアセンスの有無が生死を分けるんだろうな…そう思わせる映画でした。

 でも満州の「義勇軍の子供たち」は『オデッセイ』と違って一般人なんですよ。そんなフツウの「子供たち」に、ユーモアや漫画がどれくらい効いたのかしら?少しでも救いになったのか。それとも過酷な環境では、どんなユーモアも焼け石に水だったのか。気になるところです。

田河水泡の「義勇兵勧誘まんが」は、コチラで見ることができます。すごく楽しそうなパンフレットで、私が適齢期の少年だったらすぐ勧誘されてしまいそう。

bunshun.jp

▽阪本牙城が描いた満州の様子はコチラから。朗らかな漫画の裏で実際は何が起こっていたのか、読みながらついドキドキしてしまう。

ebookjapan.yahoo.co.jp

オマケ「冷えちゃいけないよ」

 これも阪本牙城。昭和3年ごろです。かわいいでしょう?左のオジサンが「冷えちゃいけないよ」と言っているのがわかりますか?以前、私はこのセリフに感激し、ずばり『冷えちゃいけないよ』というタイトルで、女性の冷えと健康について考えるZINE(冊子)を作ったことがあります。

昭和3年『現代漫画大観 職業づくし』

 この漫画の「冷えちゃいけないよ」というセリフは、【①平時に②内地で③若い美人に向けて】発せられていますが、その後、大日本帝国は敗戦に向かってグチャグチャになるわけで。「冷えちゃいけないよ」と、やさしく人をいたわる余裕はいつ頃まであったのでしょう。お年寄りの回想録などで、“戦中戦後の辛い時期にも、あたたかい人情があった”的な証言を見かけるけれど、それは運良く生き延びた人の言葉だしなあ、などと思ってしまうのです。

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立川基地と音楽と「鹿」

 “米軍基地が洋楽の発信源”だった、みたいな話ってありますよね。私は音楽に詳しくないのでその辺はチンプンカンプン。しかし地元・立川(←「シン・ゴジラ」で災害対策本部ができていた場所)について調べていると、ときどき音楽関係の画像を見かけるので、今日はそれをまとめてご紹介しましょう。後半には、なぜか「立川のヘラジカ」も登場します。

▽【参考】敗戦間もない頃の銀座に立っていた標識*1。上から4番めに「立川」があります。

立川=「Tachi」

はじめに画像の見方のコツをどうぞ。今回のテーマとなる「立川基地」は「Tachi」なんです。(立川で少年時代を過ごしたアメリカ人が写真をflickrにまとめているので、そちらもぜひ。)Tachikawa Air Base Japan 1945-1977 | Flickr

▽たとえば、こんな感じで「Tachi」(立川)が出てきます。これは基地に向けた音楽情報誌のようで、グラントハイツ(成増)の予定が載っていることも。

https://www.flickr.com/photos/20576399@N00/14368232788

「Tachi」のクラブで歌う日本人

左は竹越 ひろ子、右は小宮あけみ。たぶん日本人向けとはメイクを変えているんじゃないかな。「こんまり」が、日本人向けYouTubeで雰囲気を変えるように。

https://www.flickr.com/photos/20576399@N00/14554834985

立川の「イースト」と「ウエスト」

▽立川基地は「イースト」と「ウェスト」がありました。現在、イース側に「ららぽーと」、ウェスト側に昭和記念公園があります。シン・ゴジラ」の災害対策本部もたぶんウェスト側。

Tachikawa AB MAP | mike skidmore | Flickr

▽これははジョディ・ミラー「Tachi イースト」側にやってくることを知らせる記事。彼女は【府中】→【立川】→【成増(グラントハイツ)】とまわったようです。

https://www.flickr.com/photos/20576399@N00/14574933393

▽ジョディ・ミラー

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ヘラジカと、立川の「NCO CLUB」

そして立川の画像を検索しているとよく見かけるのが「NCO CLUB」の文字。下士官Non Commissioned Officer)クラブでしょうか。

https://www.flickr.com/photos/20576399@N00/8806390861

▽「NCO CLUB」の外観です。前に置かれている「鹿」が気になります!この画像には“NCOclub Mooseと説明有り。なぜ、ムース(ヘラジカ)?

https://www.flickr.com/photos/20576399@N00/8817032958

NCOclubMoose

▽立川「NCO Club」の前にポスターがずらり。赤枠の中に「TACHIKAWA WEST NCO CLUB」。

https://www.flickr.com/photos/20576399@N00/14368409807

▽これも「NCO CLUB」前。出演者なのか業界人なのか、イカツい人たち。

1129810-R11-E207

▽立川の「NCO CLUB」とThe Mills Brothers。

https://www.flickr.com/photos/20576399@N00/8806390907

▽NCO Clubの中はこんな感じ。1961年。

1961 Tachikawa NCO Club West Side

なぜ立川にムース(ヘラジカ)が?

先述した立川基地内「NCO CLUB」のヘラジカは、ほかにも画像があります。これはタバコをくわえさせようとしている男性。https://www.flickr.com/photos/20576399@N00/14574872233

▽鹿は、プログラムの表紙にもなっている。下部に「TAB(立川エアベース) WEST NCO OPEN MESS」の文字が見えますか?ページをめくるとこんな感じ→□

NCO Club 9-1960 FrontCalendar

▽このムース、終戦間もない頃にもいたんですね*2「TACHIKAWA 1946」の書き込みに注目。

https://www.flickr.com/photos/20576399@N00/213357028

まとめ

以上、立川基地と音楽とヘラジカの画像でした。こうやって写真を並べてみると、立川はまるで“音楽があふれる、ゴキゲンな街”みたいなイメージですね。しかし、それは違うんです…。松本清張ゼロの焦点』(立川の暗部がカギ)的な側面があったわけで。

▽今回は1960年代の音楽画像を中心にご紹介しましたが、ぜひ1950年代(朝鮮戦争の頃)の立川も見てください。立川の大騒ぎが、となり街の未来に影響を与えていたのです。

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*1:この標識を引きで撮った写真が『銀座と戦争』(平和博物館を創る会・編)に複数出ていました。立てられていた場所は銀座4丁目交差点近く

*2:立川基地で働いていた日本人の手記を読むと、敗戦直後すでに「大きな鹿の像のある建物」があったことがわかります。(→PDF。4ページの真ん中あたり

B29とコーヒーと恋愛【獅子文六『コーヒーと恋愛』連載開始60周年】

敗戦から『コーヒーと恋愛』までは、17年

コーヒーと恋愛 (ちくま文庫)

仲間由紀恵の「トリック」(第1作は2000年)も、クドカンの「木更津キャッツアイ」(2002年)も、20年前のドラマだってご存じでした?いやあ、月日のたつのは早いものです。

 

獅子文六『コーヒーと恋愛』(可否道)には、なんとなく“ノンビリ、ゆったりした昭和”のイメージがありますが、新聞連載開始は1962年11月22日。*1。 敗戦から17年しかたっていないんですね。主人公がテレビタレントなので、よけい戦争からの距離を感じさせないのかもしれません。

 

『コーヒーと恋愛』は、意外と“焼け野原”に近い……。それを再確認できるのが新聞連載時に挿絵を手がけていた宮田重雄のエッセイです。宮田重雄は、画家であり、しかも医者でした。今日はそんな宮田重雄のエッセイ集『竹頭帖』をご紹介しましょう。

【参考画像】敗戦間もない頃の東京駅。屋根がありません。向こう側が丸っとお見通しだ!

マッカーサーが見た焼け跡』(文藝春秋1983年)に加筆

原田治が絶賛!宮田重雄の挿絵

まず、『コーヒーと恋愛』(『可否道』)の挿絵がどんな感じだったかご覧ください。一瞬、「昭和すぎる…」と思われるかもしれません。でも、可愛いOSAMU GOODSでおなじみ原田治が、宮田重雄を絶賛していましたよ!「半世紀も前の絵なのにみずみずしくて新しい」って。→宮田重雄さしゑ展 - 原田治ノート

獅子文六全集 第9巻』(朝日新聞社)より

▽同じく宮田重雄による『青春怪談』(獅子文六)の挿絵。お背中ポッテリ💕

獅子文六全集 第7巻』(朝日新聞社)より

医師で画家。多才な宮田重雄のエッセイ集『竹頭帖』

このような挿絵を描いていた宮田重雄は、医師で、画家で、しかも人気ラジオ番組(『二十の扉』)にレギュラー出演していたとか。どれだけ多才なんだ。

彼は敗戦の年、軍需工場の付属病院(田無の中島飛行機)で院長をしていました。院長室は、「敗戦論者」が本音を言える秘密のスポットになっていたようです。以下、エッセイ『竹頭帖』より引用。

私は当時、中島飛行機附属病院の院長として、田無の工場付属の病院を建設中であった。(略)工場の技師たちは前から敗戦論者であった。科学的知識のあるものは、当然、そう考えたであろう。B29の部品を、戦利品のごとく、工場内に並べ、工員たちの士気を鼓舞しようと、軍が計画した。しかし、技師たちにはその部分がいかに良く出来ているかが手に取るように分かった。そして、代わる代わる、院長室へ来て、悲観論を私に述べた。病院の院長室だけが、憲兵の目と耳のとどかぬ場所であった。

私は映画や小説で泣かない人間ですが、「技師たちにはその部分がいかに良く出来ているかが手に取るように分かった」という箇所を読むと、いつも泣いてしまいます。

そして、迎えた8月15日。

15日は病院で陛下のお言葉をラジオで聞いた。院長として私は、皆に何か言わなければならぬので、一同の前に立ったが、言葉は声にならなかった。涙を流しぱなしにして、口をぱくぱくさしたきりであった。 虚脱状態が来た。これから日本はどうなるのだろう。

「涙を流しぱなしにして、口をぱくぱく」の「虚脱状態」から17年で『コーヒーと恋愛』。愛らしい『青春怪談』(獅子文六)にいたっては、敗戦からたった9年。

「小説を提供する側」も「読む側」も、敗戦が“ついこの前の出来ごと”だった時代なんですね。ちなみに『コーヒーと恋愛』の連載時、獅子文六は69才、宮田重雄は62才くらいです。

まとめ

以上、獅子文六の『コーヒーと恋愛』の挿絵を手がけた宮田重雄のエピソードでした。敗戦との距離感を感じていただけたでしょうか。

宮田重雄のエッセイ集『竹頭帖』は、静かな表紙から想像できないほど情報量が多いんです。「私は衆道の心得はない」としつつも“ヒットラー以前のドイツ” で、ノドボトケを持つ美女たちがいるキャバレー*2に行った経験談や、獅子文六は早めに原稿をくれるからとっても助かる!といった裏話など。おすすめです。

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*1:昭和37年11月-昭和38年5月読売新聞

*2:ベルリンの「エルドラド」。戦後、パリに行ったらパリにも同様のキャバレーが大繁盛していて「かつての伯林のエルドラド風」と記してあったそうです。

「大陸」を描いた漫画

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「スピってる?」祖父の遺品から見つけた漫画

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先日、祖父の遺品箱から、古い漫画の原稿を発見しました。はじめにおことわりしておくと、祖父は漫画家ではありません。医者でしたが、本人が超病弱・貧乏だったんです。なので、この漫画は祖父が集めたものではなく、患者さん経由でいただいたものではないかと推測しているところ。

ここ十数年、私は昔の漫画を集めているので、このドンピシャな発見に「おっ、これがウワサの『スピってる』現象?」などと思ってしまいました。(『スピってる』は、時事芸人プチ鹿島さんがよく使う用語です。)

以下、今回見つけた漫画をご紹介しましょう。「大陸」が描かれているものが多かった。かつての「大陸」を考えるとフクザツな気持ちになりますが、こういう時代もあったということで参考までにアップしてみます。

▽せんば太郎f:id:NARASIGE:20220417083442j:plain

▽せんば太郎

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▽「大陸」のメモ有。おじいさんが新聞のニュースで喜んでいると…。(白路徹)

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▽こちらにも「大陸」のメモ有。「氷った魚 デバでは切れないので のこぎりで切るんですよ」(白路徹)

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▽「寒がり大人」(白路徹)

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▽「風強き日のたこあげ」(白路徹)

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▽裏面に、3コマ目のセリフについてのメモがありました。「笑で書きましたが不都合があれば改めてください」(小池茂)

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以上、祖父の遺品から見つけた漫画の一部でした。 祖父は早死にだったから会ったこともないけれど私が好きな画風の漫画を残してくれてありがとう!と天に向かって言いたいです。

▽【参考】「支那大陸に正義の戦をすすめている日本軍」の図。

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新潮社「日の出」昭和14年11月号

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原宿にあった「海軍館」と、『なんとなくクリスタル』

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海軍思想を広める施設「海軍館」

 かつて原宿に「海軍館」という施設があったのご存知でしょうか?場所は東郷神社の脇で、ビームス原宿の向かいあたり。

堀内誠一の自伝『父の時代 私の時代』に、海軍館の描写があったので引用してみますね。ジオラマや食事など、子ども心をくすぐる仕掛けが詰まっていたことがうかがえます。

父の時代・私の時代 わがエディトリアルデザイン史

 東郷神社の境内に海軍館という戦争博物館ができました。(略)海軍館には大きな水槽に潜水艦の断面を見せた模型が入っていて、どのように海水をとり入れて潜航を始めるか、浮上の時は圧搾空気がどのように海水を排除するかが解るものや、子供が飛行機を操縦したような気になれる乗物装置、海戦のジオラマなどが沢山動いていました。

 

 おまけに地下の海軍食堂では、食器に全部、錨(いかり)のマークが入っていて、潜水艦の乗組員と同じというコンパクトな食事まで味わうことができたのです。私にとっては、学校から団体見学があると、これらの模型装置を父が作っているということが自慢でした。*1

▽こちらは昭和16年の『幼年倶楽部』より、東京原宿の海軍館を見学しているところ。堀内誠一昭和7年生まれなので、ここに描かれている子供たちとほぼ同世代。この子たちも食堂で「潜水艦の乗組員と同じというコンパクトな食事」を食べたのでしょうか。

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昭和16年6月 講談社『幼年倶楽部』

▽海軍館の外観はこんなかんじでした。どっしり。

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『海軍館大壁画史』昭和15年 海軍館壁画普及会

▽これは海軍館が完成した昭和12年の雑誌から。 「海軍思想と海国精神の普及を目的として一昨年来東京原宿に新築中の海軍館はこのほど完成、5月27日の海軍記念日を期して一般公開を開始した」。

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『ホームライフ』昭和12年7月号 大阪毎日新聞社

戦後の海軍館

 そして敗戦。海軍館はどうなったかというと……原宿にあった社会事業大学が使っていたんですね(公式サイト年表)。大学は1989年に郊外へ移転しており、海軍館の跡地は原宿警察署になっています。

 そういえば私が小学生の頃に通っていた塾は、“原宿の社会事業大学”が会場でした*2。つまり、私は知らないうちに海軍館のそばを歩いていたらしい。しかし、そのへんの記憶がボンヤリしていて残念!(もっとも塾帰りにキデイランドに寄ることしか考えていない小学生が、古い建物に興味を持つわけがありませんが)

海軍館のお隣に、女子学生会館ができた

 先日、南青山の老舗「ビリケン商会」様(私が作ったZINEを扱っていただいてます→□)の三原ミミ子さんに、「海軍館についてご存知ですか?」と何気なくうかがったところ、ご親切にも、原宿で長く仕事をされている方にお話を聞いてくださったのです。その方は海軍館の記憶こそなかったものの*3、付近にあった「東郷女子学生会館」をすぐに思い出されたとか。

▽そして、これがその「東郷女子学生会館」。そびえたつ女学生会館の右側をご覧ください。見切れているのが海軍館!カラーの海軍館にビックリです。こんな感じで建っていたんですねえ。(この写真の存在も「ビリケン商会」の三原ミミ子さんに教えていただきました)

ジャパンアーカイブス「東郷神社・東郷女子学生会館」に加筆

 

『なんとなくクリスタル』と海軍館

 さらに東郷女子学生会館を検索していたら、あの『なんとなくクリスタル』(1980年 田中康夫)に出ている、との情報を発見。さっそく『なんクリ』を購入してみると、たしかに「神宮1丁目にある」女子学生会館が登場しているではありませんか。

昨日の晩、私は江美子と一緒に六本木のディスコ遊びに出かけた。江美子は、原宿にある女子学生会館に入っている。

『なんとなくクリスタル』名物といえば、長すぎる注釈集ですが、「原宿にある女子学生会館」の項目はこんな感じでした。

外泊する場合には、外泊先の証明書が必要になります。 地方に住む両親は、これで安心しているのですが、“法の抜け穴”というのは、考えればいくつかあるものなのです。

 ああ!

「海軍館」と『なんとなくクリスタル』が、隣りあっていたとは!時空の重なり具合にクラクラしてしまいます。

 しかし、1980年の「地方に住む両親」の中には、“おやおや、女子学生会館は「海軍館」の隣じゃないか。子供の頃にジオラマ見たなあ。この周辺なら大事なムスメを預けても安心、安心”などと思ってしまう人がいたかもしれませんね。


以上、「海軍館」の紹介でした。2022年4月、世界は大変なことになっています。もし原宿に行く機会があったら、ぜひ 現在・過去・未来に思いをはせてみてください。このエリアにある和田誠記念文庫も、おすすめです。

【参考】

便利なアプリ「東京時層地図」を使うと、まず海軍館が建ち、そのあと東郷神社やその他の建物がどんどん出来ていく様子がわかります。

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引用元:東京時層地図(昭和戦前期)

▽海軍館に展示されていた絵画についてはこちらを。

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*1:堀内誠一の父親は図案家でしたが、海軍館や鉄道博物館の模型も手がけていました。

*2:泉麻人氏も、塾の会場が社会事業大学だったとか。「小学5、6年生だった当時、日曜日に通っていた進学教室の会場が東郷神社の隣の日本社会事業大学(現在、原宿署がある)のキャンパスだったのだ。」

泉麻人が綴る、原宿・表参道「オシャレカルチャー」変遷史 | 人生を豊かにする東京ウェブマガジン Curiosity

*3:海軍館については“あのあたりに鬱蒼と木が茂っているところがあった”という印象だそうです。

和平運動秘話『揚子江は今も流れている』

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「頭のいい連中や、落ちついた連中」の日中和平運動秘話

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 私が「TENET(テネット)」を見たときの感想は、「戦争を阻止しようとする青年たち。よくわからないけど、すごく大変そう」という、ぼんやりしたものでした。

 

 今回ご紹介する『揚子江は今も流れている』も、「戦争を阻止しようとする青年たち。よくわからないけど、すごく大変そう」な内容です。作者の犬養健は、安藤サクラのお祖父さん=犬養毅の息子。

 昭和の人気作家・獅子文六が、この本を“「頭のいい連中や、落ちついた連中」が戦時中、密かに行なっていた和平運動の話”*1と推していたので読んでみました。

寝そべりがちな登場人物

 では私なりに『揚子江は今も流れている』を、浅くぼんやりと紹介しましょう。この本の特徴の1つとして、登場人物がベッドやソファでぐったりしがちなことがあげられます。(そこ?)

 大切な相談も、意外と寝転びながらしているのです。秘密の任務をこなす人たちは、身も心も消耗するのでしょうね。例えば横浜のホテルニューグランドではこんなふう。

私も康*2につき合って、隣の寝台の上に寝ころびながら康の目を覚ますのを待っていた。(略)

 

康と私は仰向けになったまま、懸案になっている日本軍の撤兵、領土と賠償要求、治外法権の撤廃などの問題を、順序構わず雑談のような形でゆっくり話し合った。(略)

 

私は良い機会でもあるし、双方が寝転んで気持ちもゆったりしているので、友情として本心を打ち明けた。もしも華北が第二の満州のようになってしまって、このまま日本の軍事力の下に置かれる特殊地域になりそうだというならば、君は潔く和平運動から手を引くがよい。

といった調子ですから、つい辞書芸人サンキュータツオさん(広辞苑に「BL」を入れた人)が、頭をよぎるのでした。

舞台は、憧れの名建築

 そして特徴の2つめは、憧れの名建築が登場すること。もっとも、秘密の任務をおびた人たちですから、名建築でもリラックスしていられません!

 バラが有名な洋館で毒殺されそうになったり、ホテルに泊まる時は「四階建ての別館全部」を借りきったり(←でも結局、怪しまれて勝手口から夜逃げする)。

なんなら『揚子江は今も流れている』をもとにして、「裏・名建築で昼食を 」を作れそうな勢いです。クラシック建築は、戦中戦後の暗部を見つめてきたでしょうから。


以上、簡単ですが『揚子江は今も流れている』の紹介でした。世界が大変なことになってる今、和平運動に走り回っている人たちがいることを信じたい。

おまけ

Fuji-View Hotel

これは富士ビューホテル。『揚子江は今も流れている』には出てこなかったホテルですが、参考まで。『東京のハーケンクロイツ』(中村綾乃 白水社)で、ナチ戦犯ヨーゼフ・マイジンガーがこのホテルにひそんでおり、占領軍上陸から1週間後に逮捕されたと知りました*3。クラシック建築が、戦中戦後を見つめていた例です。

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*1:「中国のこと」/「獅子文六全集14巻」朝日新聞社496頁

*2:康紹武

*3:その後ポーランドに移送され、1947年に絞首刑。

漫画に描かれた「欧州大戦」のニュース

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2022年2月末、世界は大変ことになってきました…。今日は、1939年(昭和14)秋の「欧州大戦勃発」をテーマにした漫画をご紹介します。描かれているものをすべて鵜呑みにするわけにはいきませんが、何かしら今と共通する点が見つかるかもしれません。以下の画像はすべて新潮社「日の出」*1昭和14年11月号から。

「欧州大戦勃発」

「ニュース狂」のお風呂屋さんが、富士山の代わりに「欧州戦局要図」とラジオを設置。(ライブビューイング?)。まだヒトゴト感が漂ってます。

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「近代兵器は咆哮する 第二次欧州大戦画報」

同じ号の誌面は、こう。

「波濤高き北海に英海軍と相見えんドイツ新鋭艦隊の威容」「英・仏の陣営を打ち砕かんと一斉に巨砲の火蓋を切ったドイツ砲兵団の精鋭」

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新潮社「日の出」昭和14年11月号

「大戦ファン」

ヨーロッパの地図を広げて大騒ぎ。飛沫がすごいんですけど。

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「興味津々」

夜中までラジオにはり付くお爺ちゃん。「今夜あたり臨時ニュースがありさうだ」「お爺さん、いい加減に寝なさいよ、3時ですよバカバカしい」。

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「事変が第一」

井戸端会議の話題も、日中戦争<欧州大戦。「ドイツが勝つのイギリスがどうのって。何いってんだい。ウチの良人(ひと)は、今支那と戦ってるんだヨ」

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街頭テレビならぬ、街頭ラジオ?

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「このごろの衝突」

新聞の号外売り同士がゴッツンコ。「わあツ、衝突だあいツ ウーン」「ヨーロッパの衝突だよツ ウーン」

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▽そして同じ号の巻頭カラーはこんな感じ。「支那大陸に正義の戦(いくさ)をすすめている日本軍」の図…

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以上、「欧州大戦」のニュースをめぐる漫画をザッとご紹介しました。いかがでしたか?新潮社「日の出」は戦意高揚系雑誌だそうですが、漫画は多いし、獅子文六の連載(例『虹の工場』←蒲田の軍需工場をめぐるラブコメ)はあるしで、私は何冊か持ってます。

▽時代の急変について冊子を作りました。興味のある方はご覧ください。

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