多摩川が絶対防衛ライン 「あにいもうと(1953)」「シン・ゴジラ(2016)」

あにいもうと(1953)」を見ました。

見る前は、「きっと浅草とか下町の狭〜い家で、京マチ子が家族関係に悩む話なんだろうな」と思っていました。

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 見てみると舞台は全然浅草ではなく、なんと、多摩川の河川敷なのです。

 

多摩川の神奈川サイドは超・超・超・田舎という前提でストーリーはすすむのでした。それは今流行っている漂白された和テイストではありません。とにかく、田舎!多摩川さえ渡ればすぐ東京なのに、東京駅も銀座も見たことない古い考えの人々が暮らすエリアとして描かれています。そして多摩川を越えて東京へ働きに出た京マチ子は不良娘になって帰省し、周囲から白い目で見られるのです。

 

(私は中学高校と毎日、多摩川を越えて通学していたけれど、かつて多摩川心理的ハードルを上げてる川だったとは知りませんでした。それに川を越える前の東京サイドもかなりのどかな光景でした。一面の梨畑だし、乗客はヤンキーと競馬のおじさんで、いわゆる東京のイメージとはほど遠かった!)

 

この映画の見所は多摩川の河原から色々な形状の線路が延びまくっているところ。石や砂利を運ぶ産業がすごかったことを思わせます。あの辺を走る電車の多くは、もともと砂利鉄道だったとは聞いていましたが、それが実感できる映像です。

 

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そのあと、同じく多摩川映画である(?)シンゴジラを見返しました。ゴジラ多摩川を越えさせてはならない!(イコール東京に上陸させてはならない)と皆さん頑張っています。しかしゴジラ多摩川に何の思い入れもないので、あっさり都心へ侵入。その際、空から見た多摩川は、西(神奈川)と東(東京)の両方とも建物がびっしりでそれほど差がないように見えました。武蔵小杉の高層建築が建つ前なら、そうもいかないでしょうけど。

 

あにいもうと(1953)」と「シン・ゴジラ(2016)」の間の60年で、色々なことがずいぶん変わった のでしょうね。

 

工業地帯と映画館

銀座シネスイッチのことをネットで調べていたとき、かつての系列店が東京の東側に沢山あったことに驚いた経験があります。wikiで見ると以下のような場所です。

 

 

江戸川区

平井館(東京都江戸川区平井2丁目)

小松川電気館小松川3丁目53番地)

小岩松竹館(のちの小岩スカラ座小岩町3丁目1861番地)

 

江東区

三光館(南砂町1丁目285番地)

亀戸昭和館亀戸町3丁目257番地)

亀戸映画劇場(かつての亀戸松竹館、のちの亀戸日勝映画劇場、亀戸町3丁目168番

 

 

これらの場所に映画館があった理由として、以前は東京の東側が大工業地帯であり、映画など娯楽にお金を落とす人が多かったのだろうなと推測していました。

 

しかし今その痕跡を探るにもも、団地群やモール、公園になってしまって何も残っていないだろうなあと、期待したいなかった。

先日たまたま東陽町(洲崎)から亀戸に行く都バスにのる機会がありました。停留所名を見ると、かつての工業地帯、つまり映画館のあった場所をなぞるようなラインナップではありませんか。

 

車窓の景色とグーグル地図をつきあわせながら進んでいくと、とりあえず南砂の鉄道車両工場跡地(汽車製造株式会社)の大きな団地群は確認できました。が、そのあとがわからない。部外者には過去が全然見えてこないのです。しかし、バスから複数の細長〜〜い商店街を見ることができました。また、あっさりした看板建築(店名に「肥料」とか「菓子」とだけ書いてあるのが非常にレトロ)を発見しました。

 

ちなみに以下の図は実現されなかった東京山手急行電鉄のイラスト。東側の墨田区江東区のあたりに工場が煙を出している絵が沢山あり、駅も充実している様子です。そして、洲崎(遊郭エリア)の次の駅が東京駅というのがすごい。東京山手急行電鉄の売りとして、乗降客が多い工場地帯を結ぶこと、沿線に花柳街が多い(洲崎、玉ノ井、神明、千住、板橋など15箇所)こと等があったそうです。

 

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「地図で解明!東京の鉄道発達史」より「東京山手急行電鉄」パンフレット

地図で解明!  東京の鉄道発達史 (単行本)

 

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ところで、私の生まれ育った中央区月島も、細長〜〜い商店街がありました。今はもんじゃストリートとして観光地になっていますが、戦前の月島は工場地帯でした。工場地帯でありながら空襲を免れたのです。商店街の入り口にも大きな工場がありました。1970年代、かなり廃工場っぽい見た目だった。(今は高層住宅になってます。)

 

工場のあるところ、細長〜い商店街ありですね。たぶん。

 

(「女は2度生まれる」(1961年)で、若尾文子が知り合う17歳の少年は「おれ、工員なんだ!月島の旋盤工!」と元気に自己紹介していました。1960年頃の観客には、月島=工場・工員という共通認識もあったでしょう。)

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IKEAカーテンの色を市川崑「鍵」に見いだす

東京・多摩地区の冬は底冷えがします。冬を迎えうつため、IKEAで冬素材(起毛している綿100%)の青磁色のカーテンを買いました。

 

買った時から「中学校の古い応接室にあったソファみたいな色だなあ、これが部屋の大きな面積をしめるとイメージが暗くなるのではないかな。」と少し心配していました。

 

木造家屋の部屋につってみると、案の定、青磁色がすごく暗い。厚手だから光も通さない。スウェーデンのお家では、明るいインテリアとか、明るい金髪の人々のおかげで、暗くならないんでしょう。

 

そんな時、市川崑の「鍵」(昭和34年)見ました。10分だけ見ておくか、みたいな気持ちでみはじめたら、登場メンバーが堂々としたヘンタイさんばかりで一気に見てしまった。そしてインテリアの趣味が良すぎる!空襲を免れたエリアでのみ成立する、ほの暗い、かっこいいインテリア。その中で夫婦の寝室のベッドカバーが私の買ったカーテンに似た陰気な緑色だったんです。

 

私の青磁色カーテンは〝失敗した買い物〟から、〝谷崎・市川崑の「鍵」色〟へと一気に格上げされました!

 

鍵 [DVD]

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空っぽのホーム

 

昭和電車少年 (ちくま文庫)

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戦前の地下鉄・赤坂見附駅の様子が「昭和電車少年」に出ていました

 

戦前に地下鉄に乗った折り、興味深かったのは赤坂見附の駅で、何故か上下2層になっていた。それぞれのホームの反対側には、空洞があるだけだった。それが当時から計画されていた丸の内線用とは気づかなかったのである。

 

上下2層・・?

上下2層・・?

そうだ!赤坂見附の駅って、乗換える時に妙に短い階段を昇らされるから、たしかに「何故か上下2層」だ!あと銀座線と丸の内線がホームでペアになっているから「ホームの反対側には空洞がある(=丸の内線)」ですわ。

 

戦前の赤坂見附駅のホームを想像してみましょう。ホームには着物姿の人達や、気合いの入った洋装の人なんかがいるけど、ホームの反対側に謎の空洞が伸びているんですよ。空想がちの子供なんて怖くて泣いたんじゃないかな。

 

秘密じゃないんだ

神奈川近代文学館で行われている没後50年獅子文六展に行ってきました。読書家でない私が全集を持っているのは獅子文六だけなのです。

 

展示で最初に思ったのは、

〝横浜は、進駐軍で潤っていたことが秘密じゃないんだ?〟ということです。

 

私の近所の街は米軍の飛行場でおおいに潤ったけど、街全体が〝ソレは言わない約束でしょ?〟になってるものですから。21世紀になっても、まだ時効じゃないっていうか。なので、十数年前、横浜の公共施設で展示を見たとき「横浜にゆかりのある小説家」的なコーナーに獅子文六が見当たらない理由を「アア、獅子文六は敗戦直後の横浜のアレコレを面白小説にしてしまっているから、無視されているのかも」と早合点していました。

 

そうしたら、今年はまさに獅子文六が横浜のアレコレを書いた小説が復刊されるとか。獅子文六展のパネルにも、その小説の中から〝横浜って、多少の差はあれ皆、進駐軍の恩恵を受けてたよね〟的な文章が抜粋されていた(それと対照的に「海軍」「海軍随筆」の展示コーナーの解説などは、思いっきりアッサリしていました。そこは流すのね!)

やっさもっさ (ちくま文庫) 
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多摩聖蹟記念館

 多摩聖蹟記念館で行われていた「関根要太郎展」に行ってきた。

 

関根要太郎・・・どういう方か知らなかったけれど

チラシを見て、あ!「京王閣」も手がけた人なんだ!と興味が出てきた。

 

京王閣」って、競輪場のイメージがあるけど、実は違うんです。

 

「関根要太郎展」パンフレットより「京王閣」について抜粋しますね。

 

 

京王閣

多摩聖蹟記念館よりはやく京王線沿線に建設された関根要太郎の建築として京王閣がある。京王閣(東京都調布市)は敷地面積16,000坪の土地に京王電軌(現在の京王電鉄)が建設した娯楽施設で、昭和2年6月1日に開園した。この京王閣の中心的建物である本館を関根要太郎は設計した。本館には総大理石張りの大浴場(ローマ風呂)や食堂、カフェ、ビリヤード場などがあった。開園翌年には16万人を越える入場者数を記録したという。

終戦直後の昭和22年(1947)、京王閣は売却され、京王閣競輪場になった。

 

 

【参考】分離派建築博物館より、京王閣の写真

 

パンフレットの説明は終戦直後の昭和22年、京王閣は売却され」で終わっている。

総大理石張りの大浴場を持つ豪華な施設、しかも終戦時、完成からわずか20年の施設が、なぜ競輪場にスライドしたのか。なぜ人の記憶に京王閣が残っていないのか。

 

京王電軌鉄道の沿線案内図で、京王閣は観光の目玉として巨大に描かれていたのに。ちなみに画像の右端には聖蹟記念館のホールケーキのような姿が見えます。この案内図には関根要太郎物件が2つもクローズアップされているわけですな!

 

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「多摩の鉄道沿線 古今ご案内」今尾恵介著 カバーより

 

 

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ちなみに、以下の写真は今もちゃんと保存され、1970年代初頭には仮面ライダーのロケ地として利用された多摩聖蹟記念館。同じ設計者が手がけた「京王閣」だって、保存されていればゴージャスなロケ地になったかもしれないのに。仮面ライダーというより、江戸川乱歩天知茂みたいなドラマのロケ地に。

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多摩聖蹟記念館

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聖蹟記念館のある都立 桜ヶ丘公園 

 しかし多摩聖蹟記念館のある場所の高低差はすごいな。丘陵すぎる。

流線型の時代

 実相寺昭雄のエッセイに流線型車両のことが出ていたので引用します

昭和電車少年 (ちくま文庫)

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(192ページ)

少年時代の憧れは流線型だった。(中略)空想科学小説に出てくる弾丸列車風のものも、イラストは全部怪しげな流線型だった。昭和40年代初めのテレビ映画「ウルトラQ 地底超特急」もそうだった。 

 

 怪しげな流線型、という表現がおかしい。でも怪しげな流線型はとても魅力的。

 

実相寺が流線型の例として挙げていたC53を検索すると、想像以上に流線型でした!

「機関車やえもん」とあまりに違いすぎる!

なんという、ものものしさ。

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wikiの「流線形車両」より 国鉄C53形蒸気機関車43号機

 

 トランスヨーロッパエクスプレスよりも、流線型!

Trans Europe Express (2009 Remastered Version)

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  • 発売日: 2009/10/05
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 ふりかけ「旅行の友」復刻版も、流線型です!

 

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旅行の友のメーカーサイトより

大正時代の初めに、当時の陸軍・海軍から「持ち運びに便利で、日持ちし、栄養価の高い食品を」との要請に基づき開発された商品で、当時では画期的な容器だった筒型の缶容器を再現しました。