秘密じゃないんだ

神奈川近代文学館で行われている没後50年獅子文六展に行ってきました。読書家でない私が全集を持っているのは獅子文六だけなのです。

 

展示で最初に思ったのは、

横浜は、進駐軍で潤っていたことが秘密じゃないんだ?ということです。

(私の近所の街は米軍の飛行場で潤ったけど、街全体が「ソレは言わない約束でしょ・・・」になってるもので、つい。)

 

十数年前、横浜の公共施設の展示で「横浜にゆかりのある小説家」の中に獅子文六が入ってなかった。だから勝手に、ああ、そうかー、敗戦直後の横浜のアレコレを面白小説にしてしまっているから、獅子文六はいなかったことにされているのかな、と早合点していました。

 

そうしたら、

今年は、まさに横浜のアレコレを書いた小説が復刊されるとか。しかも賑やかな装丁で。獅子文六展のパネルにも、その小説の中から〝横浜って、多少の差はあれ皆、進駐軍の恩恵を受けてたよね〟的な文章が抜粋されていた。

 

それと対照的に「海軍」「海軍随筆」の展示コーナーは、思いっきりアッサリしていた。そこは流すのね。

 

 

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多摩聖蹟記念館

 多摩聖蹟記念館で行われていた「関根要太郎展」に行ってきた。

 

関根要太郎・・・どういう方か知らなかったけれど

チラシを見て、あ!「京王閣」も手がけた人なんだ!と興味が出てきた。

 

京王閣」って、競輪場のイメージがあるけど、実は違うんです。

 

「関根要太郎展」パンフレットより「京王閣」について抜粋しますね。

 

 

京王閣

多摩聖蹟記念館よりはやく京王線沿線に建設された関根要太郎の建築として京王閣がある。京王閣(東京都調布市)は敷地面積16,000坪の土地に京王電軌(現在の京王電鉄)が建設した娯楽施設で、昭和2年6月1日に開園した。この京王閣の中心的建物である本館を関根要太郎は設計した。本館には総大理石張りの大浴場(ローマ風呂)や食堂、カフェ、ビリヤード場などがあった。開園翌年には16万人を越える入場者数を記録したという。

終戦直後の昭和22年(1947)、京王閣は売却され、京王閣競輪場になった。

 

 

【参考】分離派建築博物館より、京王閣の写真

 

パンフレットの説明は終戦直後の昭和22年、京王閣は売却され」で終わっている。

総大理石張りの大浴場を持つ豪華な施設、しかも終戦時、完成からわずか20年の施設が、なぜ競輪場にスライドしたのか。なぜ人の記憶に京王閣が残っていないのか。

 

その理由は。

 

 

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ちなみに、以下の写真は今もちゃんと保存され、1970年代初頭には仮面ライダーのロケ地として利用された多摩聖蹟記念館。同じ設計者が手がけた「京王閣」だって、保存されていればゴージャスなロケ地になったかもしれないのに。仮面ライダーというより、江戸川乱歩天知茂みたいなドラマのロケ地に。

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多摩聖蹟記念館

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聖蹟記念館のある都立 桜ヶ丘公園 

 しかし多摩聖蹟記念館のある場所の高低差はすごいな。丘陵すぎる。

流線型の時代

 

 

 実相寺昭雄のエッセイに流線型車両のことが出ていたので引用します

昭和電車少年 (ちくま文庫)

昭和電車少年 (ちくま文庫)

 

(192ページ)

少年時代の憧れは流線型だった。(中略)空想科学小説に出てくる弾丸列車風のものも、イラストは全部怪しげな流線型だった。昭和40年代初めのテレビ映画「ウルトラQ 地底超特急」もそうだった。 

 

 怪しげな流線型、という表現がおかしい。

 

実相寺が流線型の例として挙げていたC53を検索すると、想像以上に流線型でした!

「機関車やえもん」とあまりに違いすぎる!

なんという、ものものしさ。

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wikiの「流線形車両」より 国鉄C53形蒸気機関車43号機

 

 トランスヨーロッパエクスプレスよりも、流線型!

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九段の覗き穴

 「永井荷風ひとり暮し」より、荷風が自分の女にやらせている店に覗き穴を作っていたエピソード。

 

荷風は昭和2年に芸者の「関根うた」を身受けして囲い、昭和3年から九段で待合「幾代」を出させてやり、そこで覗き穴を作ったというわけです。

 

当時、荷風は病気がちの50代、芸者の「関根うた」は22、3歳。

 

 「幾代」の開業のさなか、荷風さんは小さな柄のついたノコギリを買ってきた。何をするのかと思ったら、客用の部屋の押入れに入ったり出たりしながら「どこに穴をあけようか」と物色するのだ。客が部屋でどんなことをするのか、覗き穴をこしらえるためであった。

念のために言っておけば、「幾代」は待合である。待合茶屋の待合。東京花街の貸席業のことであり、公然の秘密で売春が行われる。

荷風さんはうまく穴を開けられたと大喜びし、開業してのち、「今のはつまんなかったですよ」とか、「あの方の席料は負けておいてあげなさい」と申していたそうであるから、覗き穴から何を見たかったのか、言わずと知れたことだ。

 

この九段エリア(靖国神社の通りの反対側)は大正から昭和にかけて富士見町芸者街と言われ待合が100件もひしめいていたそうです。

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待合「幾代」があったあたり。通りを隔てて、靖国神社。西に防衛省

 

 映画「女は二度生まれる」も、若尾文子が九段の芸者。とにかく、靖国神社のシーンが沢山ある映画です。

客と、布団の中*1の会話もこんな風。

 

ドーン!ドーン!

客「なんだ?」

若尾文子「あ、靖国の太鼓。」

客「ここは靖国のすぐそばか。」

若尾文子「毎朝5時には なるんです。」

客「もう5時か。さあてと」

 

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*1:台詞の中で、若尾文子演じる芸者は愛人のパパから「唄ひとつ、三味線ひとつ出来ない、もっぱら専門の芸者だった」と言われています。何の専門かというと・・・宴会で愛嬌を振りまいた後、客と布団の敷いてある部屋に行くのが専門

大塚の、揺れる芸者

まんが家 杉浦幸雄のエッセイ(「杉浦幸雄のまんが交遊録」)に「大塚の花柳界の待合遊びの味」が書いてあったので引用します。

独身時代に、大塚の花柳界の待合遊びの味を、漫画家集団の遊び人どもに輸入したのも村山氏(村山しげるのこと)でした。それまでは、女郎買いしか知らなかった連中たちです。昔は、1人10円もあると、まず銀座の小料理屋で、刺身か生ウニなんかで一杯やって、下地をつけてから、市内1円均一だから「円タク」と呼ばれていたタクシーを、50銭くらいに値切って大塚へ行きます。待合へあがって芸者をあげて、スチャラカチャンチャンと酒盛りをして、やがて頃合いを見はからって今まで騒いでいた芸者と別室へしりぞきます。 

大塚の待合は国電の線路の近くなので、電車が通る度にゴトゴトと揺れます。その揺れにあわせて、こちらも揺れて・・・・。貨物列車でも通るとその揺れの長いこと。

翌朝、ゆっくり目が覚めると、相方の芸者の給仕で、ノリに卵におみおつけ、といった朝食をとり。そして10円でお釣りがくるくらいだったのです。

 

 

杉浦幸雄のまんが交遊録

杉浦幸雄のまんが交遊録

 

 

S字の取っ手みたいな川

江戸川区周辺に詳しくなりたい〜

 

でも川の名前がいっぱいありすぎる。(「新○○川」「旧○○川」とか)。荒ぶる川をなだめた手術跡がややこしくて覚えられない!

 

というわけで、昔の簡単地図を手がかりに、イメージをつかむことにしましたよ。

これは、昭和15年に開催予定だった幻の万博のための交通計画地図。

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昭和12年「万博」冊子 「日本萬國博覧会 交通計画に対する一考察」より

 

右側の水色部分が荒川で、S字の取っ手みたいのが、中川。

現在は、荒川の東にもう一本「新中川」があるんだけど、この地図では存在が感じられない。

新中川(放水路)は戦後に出来たから。

昭和12年、人々の脳内で荒川と中川の位置関係はこういうイメージだったのでしょう。

  

 下は現在の荒川と、中川(グニグニ曲がっている)と新中川 (ぐにぐにと合流してういる)。スカイツリー展望台からこのグニグニが見えた時、「川が曲がってる!曲がってる!」と興奮してしまいましたっけ。

 

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現在の荒川と中川

 

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新中川と、斜めにかかる橋

江戸川区の川に詳しくなりたい〜

 

でも川の名前がいっぱいありすぎる。(「新○○川」「旧○○川」とか)。荒ぶる川をなだめた手術跡がややこしくて覚えられない!

 

とりあええず「東京水路をゆく」という本に、「新中川」のことが書いてあったらからこれを手がかりに少し覚えるぞ!

 

新中川の特徴の1つは、斜めに架かっている橋が多いことです。橋は本来、構造や費用の点から見ても最短距離で川を渡すのが理想ですから、ほとんどの川は河道に対して直角に架けられます。

 しかし、新中川の橋たちは、すでに大きな道路が縦横に走っているところへ、戦後という都内の水路としては遅い時期に工事が進められたからか、既存の道を極力生かす形で橋を架けたため、斜めの橋が多くなったのだと思われます。 

 

地図を見たら、本当にななめだった。

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ななめに架かっている明和橋と今井街道

 

Wikipedia見ると、ななめの橋(この地図の場合は明和橋)が道路と折り合いをつけるの大変だったみたい。

付近には東京都瑞江葬儀所江戸川区春江町)があり、当所へのアクセス道路のひとつとしての役割も兼ね備えた橋でもある。

その後、交通量の増加等による橋の老朽化、幅員が狭く取り付け道路が両岸で急カーブしており、円滑な交通の支障となっているため、江戸川区の新中川橋梁整備計画の第一弾として1992年(平成4年)[2][3]に架け替えられた。

現在の橋は川を斜めに渡河する形で架橋された斜橋で、両岸の取り付け道路となる区道も緩やかなカーブに改善され交通が円滑化された。

 

以下は、同じエリアで新中川がない頃の航空写真。今は明和橋が瑞江葬儀所へのアクセス道路になっているそうだけど、当時は今井街道から瑞江葬儀所(写真中央の樹木が多そうなところ)に1本道が通っているだけ。ここに昭和38年、新中川を通したんだ。すごいね。

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国土地理院 昭和20年代の航空写真