「伝統的家族観」という言葉が、SNSで話題になっていましたね。昭和の人気作家・獅子文六『おばあさん』も、どちらかというと“伝統的家族”にカウントされてしまいそうな小説です。チャーミングなおばあさんを中心に、3世代がわちゃわちゃしているのですから…。読んだ後に「絆♡」みたいな言葉が浮かぶかもしれません。朝日文庫の帯にも「笑えてほっこり、ちょっと泣ける、傑作ホームドラマ」とありますし。
獅子文六『おばあさん』連載中の3年間、状況は悪化する
では実際に『おばあさん』が連載されていた時の誌面を見てみましょう。『おばあさん』は日米開戦「後」の昭和17年2月から昭和19年5月まで「主婦之友」に連載されました。
【しかし、『おばあさん』の設定は日米開戦前】
ここが大きなポイントです!現在に例えるなら、コロナ禍のまっ最中に、コロナ直前を描いたコメディを読むような感じでしょうか?
『おばあさん』が連載されている3年間、敗戦に向かってどんどん状況は悪くなっていくのでした。
▽ざっくりしたイメージ図
新年号なのに、まるでサバイバルハンドブック
今回ご紹介するのは、『おばあさん』の連載も終盤に近づきつつある昭和19年新年号「主婦之友」。新年号といえば、少しは華やいでいそうなものなのに、華やかさゼロ。もはや婦人雑誌というより、“サバイバルのハンドブックに、ちょっぴり小説が載っているなア”といった印象です。※この「主婦之友」は、付録の小冊子じゃありません。コレが本体。戦前は華美な分厚い雑誌だったのに…
▽昭和19年新年号の裏表紙と、『おばあさん(朝日文庫)』。
▽裏表紙拡大。「まず1分間に10杯の目標を定めて4メートルの高所注水を確実に身につけよ。」「あなたは1分間にどれだけの防火活動ができるか」
新年号の巻頭特集は、「止血」
▽昭和19年新年号の巻頭見開きページは「空襲下の救護」。こんな新年号はいやだ。
拡大しました。新年号の巻頭が太ももの止血方法って!!「一滴の血も無駄に失わぬよう指で確実におさえておく」。
獅子文六『おばあさん』と、現実世界のタイムラグ
さて、巻頭が「太ももの止血」の号で連載されていた『おばあさん』の内容はどんな感じだったかというと……これが別世界なんです。
孫娘の結婚式シーンでは、娘の母親が「帝国ホテルあたりで少なくとも200人の招待客」をよびたかったのに、なんて悔しがっていたりして(←セレブですね!)。
巻頭の【太ももの止血】と【帝国ホテル200人】のギャップがすごいじゃありませんか。
つまり『おばあさん』の設定はずっと日米開戦「直前」のままなので、掲載時点よりはるかにマシな世界を描くことができたというわけ。
3年間の連載中に、『おばあさん』と現実世界のギャップがグッと広がってしまったのです。結果、“マッチ売りの少女の夢”みたいな内容に!
おそらく、現代人が『おばあさん』を読むときに感じる“古き良き時代”感や、“ここではないどこか”感は、実は、連載当時の読者の方が強く感じていたのではないでしょうか。“あア、昔がなつかしい。昔といっても、3、4年前のことだけど!”と。
コロナ禍を経験中の私たちは、ほんの少し昔(コロナ前)が耀いてみえるこの感覚、ちょっとわかりますよね。
【参考】獅子文六が、『おばあさん』と同時期に書いていた小説『海軍』
narasige.hatenablog.com
▽参考画像:『おばあさん』の近刊予告が、岩田豊雄(獅子文六の本名)の『随筆海軍』と一緒に掲載されている。新潮社の雑誌『日の出』昭和19年の6月号から。
家族と国防
以上、『おばあさん』の時代背景でした。『おばあさん』は、けっしてノンビリした状況で発表された作品ではなかったことがおわかりいただけたでしょうか?最後に、『おばあさん』連載直前に発表された、獅子文六のエッセイを引用してみましょう。戦中に求められていた“伝統的家族観”がうかがえます。
「薩摩女」(昭和17年1月主婦之友)
薩摩という国が、昔から小さな国防国家であったことを、気付かずにいられないのです。夫婦の関係も、親子の間柄も、みんな敵を防ぎ、殿様を守る*1という目的を、中心にして、結ばれていたようです。僕が初めて鹿児島へ行って、大変、新鮮な印象受けたのは、都会人の物珍しさもあったでしょうが、それよりも近頃世間でやかましくいう国防国家体制が、とうの昔に風俗化されている事実に驚いたからでした。古い薩摩女が、どうも、新しい国防婦人のような気がしてならなかったのです
▽「主婦之友」はもともと、✨キラキラ✨と分厚い婦人雑誌でした。ある時期からグッと変わった様子をぜひごらんください。
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