佐藤いぬこのブログ

戦争まわりのアレコレを見やすく紹介

「街の女」と学園都市

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元・米軍基地の街で「ラストナイト・イン・ソーホー」をみました

 地元・立川で『ラストナイト・イン・ソーホー』みてきました!1960年代の文化を愛する少女が、憧れていた時代の「暗部」に気づいてしまうお話です。

 観た後、「もし『ラストナイト・イン・ソーホー』のような、タイムスリップ少女が日本にいたらどうなるかなあ。たとえば1950年代前半の立川に来たとしたら…」などと想像してしまいました。

昭和レトロを好む少女が、朝鮮戦争[1950-1953]の頃の立川にワープしてきたら。

はじめのうちこそ「わあ、外国みたい」と喜んでくれるかもしれません。はじめのうちは。しかし立川は残留思念の街なので、すぐにツラくなりそうです。

 今日は基地の街「立川」のナイトライフと、立川の影響をモロに受けた隣町=「国立(くにたち)」を紹介しましょう。

▽なぜこの時代、「立川」のカラー写真が存在するのか?理由はこちらをご覧ください。

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1950年代前半の立川

まずはflickrより、ナイトクラブ「グランド立川」のフロアショー。Grand Tachikawa Floor Show in Tokyo circa 1952

Grand Tachikawa Floor Show in Tokyo circa 1952

Grand Tachikawa Floor Show in Tokyo circa 1952

Grand Tachikawa Floor Show circa 1952

「グランド立川」の客席。GIs at the Grand Tachikawa Floor Show circa 1952

GIs at the Grand Tachikawa Floor Show circa 1952

画面中央に「グランド立川」の広告。下には靴磨きが並んでいる。Best Night Club, Grand Tachikawa billboard near Hachioji Station, 1952

Best Night Club, Grand Tachikawa billboard near Hachioji Station, 1952

広告をちょっと拡大。“ゴージャスなフロアショー、200人のチャーミングなホステス”などと書かれています。

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立川ナイトライフ

以下の写真7枚は、朝鮮戦争の頃に立川基地勤務だった人のサイト(James L Blilie Photos of Japan in 1952 and 1953)から。「タチカワ ナイトライフ」というキャプションがついていました。

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f:id:NARASIGE:20100529112455j:plain▽映画のセットのような。

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▽楽しく踊っているようにみえるけれど、戦場への恐怖でヤケになっている状態かもしれません。→詳しくは、朝鮮戦争・聖路加病院・立川基地 - 佐藤いぬこのブログをご覧ください。

f:id:NARASIGE:20100529112504j:plain▽華やかなライトを浴びているのに、もの悲しさの漂う女子楽団。“Officer's Club, Tachikawa Air Base, Smiley's Orchestra”

f:id:NARASIGE:20100529112039j:plain▽立川基地の入り口。

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▽「Ready to fly to Korea」というキャプションがついていた写真*1f:id:NARASIGE:20100529112448j:plain

“街の女”を抱える立川と、隣接する学園都

 昭和レトロ好きの少女が、もし1950年代の立川にワープしてきたら「あら?想像していた“昭和”となんだかイメージが違う」と思うかもしれません。さらに、立川の隣町=「国立(くにたち)」の大騒動に気づくことでしょう。

 今でこそ「国立(くにたち)」は、ドラマやアニメの舞台になるキレイな学園都市ですが、自然にそうなったわけではありません。「国立」は立川基地の影響を考えて、町中がすったもんだの末に「文教地区」となったのです。参考までに1951年(昭和26)6月26日の朝日新聞を見てください。

「学園都市か“町の繁栄か”」「文教地区指定 国立町で鋭い対立」

同町はおびただしい“街の女”を抱えている立川市に隣接しており、これらの女性が最近では国立町にまで進出、日本有数の学園都市が台無しになる恐れがある として…

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1951年6月26日 朝日新聞

園都市で「乱痴気騒ぎ」

 新聞に「おびただしい“街の女”を抱えている」と書かれてしまう街、立川。立川に隣接する「国立(くにたち)」が文教地区になったプロセスは、国立市が『まちづくり奮戦記 くにたち文京地区 指定とその後』という冊子にまとめてます。

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国立に多くの米兵が来るようになったのは、1950 (昭和25)年の朝鮮戦争の折で、大量の兵士が駐留するようになったからでした。

立川基地に駐留している米兵が女性を連れて国立地区の飲食店や旅館にやってくるようになったのです。(略)。 やがて、普通の旅館が米兵と女性相手のホテルになったり、下宿屋が学生追い出して娼婦を住まわせ、そこに米兵が通ってくるという事態になります。一橋大学構内では、米兵と女性が人目もはばからず戯れ、それを子供たちが見物するという光景も見られるようになりました。 ホテルなどで深夜まで続く乱痴気騒ぎのため、静かな環境は一変しました。

 この『まちづくり奮戦記』は特にレアな本というわけではなくて、とても読みやすい場所に置かれているんですよ。JR国立駅前の復元駅舎(駅から徒歩20秒!)の資料コーナーで、簡単に閲覧できます。

 映画「ラストナイト・イン・ソーホー」的なタイムスリップお嬢さんも、この冊子を読んでおけば1950年代の世相をつかむことが可能。悪夢の解像度が妙に上がってしまうかもしれませんが。


以上、1950年代前半の立川ナイトライフでした。ちなみに現在の立川は驚くほど再開発がすすんでいるので、「過去」を連想させるものは何ひとつ残っていません。

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*1:ちなみに、立川基地の飛行機を整備する日本人を描いた小説が『フィンカム―米極東空軍補給司令部』です。整備とは名ばかりで、実際は過酷なトイレ掃除を押し付けられる話

華のない銀座を見おろす

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高速道路以前の光景

前に、“生まれも育ちも中央区”のお年寄りに、以下の写真を見せて「ここはどこですか?」と聞いたことがあります。彼女曰く

川は、高速道路と西銀座デパートになった。道路は、外堀通り。左の円形の建物は現在の有楽町マリオンの一角(映画館のピカデリー)。ピカデリーに突っ込んでいるように見える橋は、有楽町駅につながっていた。

とのことでした。

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敗戦間もない頃の写真ですが、なんだかコレだけ見ると、 静謐な「水の都」だと錯覚しそうですよね!有楽町に「ラク町のお時」(パンパン)がいた世相は読みとれません。

▽関連話題:銀座の「水」は、かなり臭かったそうです。

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私にも、〇〇から同じような写真が撮れた!

先日、私も似たような写真が撮れたので見てください。左側が有楽町マリオン。そして高速道路。さて、この写真はどこから撮ったものかわかりますか?

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どこから撮った写真かといえば……正解は「東急プラザ銀座」でした。「東急プラザ銀座」は、かつての数寄屋橋阪急(モザイク阪急、マツダビルなど、呼び方がいろいろあってややこしい)。現在の「東急プラザ銀座」は、外国の富裕層を対象にしたビルですが、たまたま入ってみたら似たような光景が撮れたのでした。

▽冒頭の写真と、2021年を並べてみた。右下の三角形の緑地は、西銀座チャンスセンターのあたり。

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東急プラザ(数寄屋橋阪急)の場所から、見おろす

冒頭の写真が、ズバリ「東急プラザ銀座」(元の数寄屋橋阪急)から撮ったものかどうかはわかりませんが、参考までに敗戦間もない頃の「東急プラザ銀座」をご覧ください。手前は銀座4丁目交差点、遠くに見える高い建物が、現在の東急プラザです。そのあたりから銀座や数寄屋橋を見渡せたのでしょう。その頃の高いビルって、限られているから。ちなみに 右手は接収されてTOKYO PXの看板がついている「和光」。左側には「三愛」が見えます。

FH000058-090103-17 | discovery2009 | Flickr

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▽こちらにも、「東急プラザ銀座」(数寄屋橋阪急)。1952年の地味な銀座です。

Ginza, Tokyo June 1952 | Japan, 1952 Photographer: Lt. Woodr… | Flickr

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東急プラザ銀座(数寄屋橋阪急)の場所が、極東空軍宿舎だった時代

かつて東急プラザ銀座(数寄屋橋阪急)の場所は、極東空軍宿舎でした。しかも「 模範兵士」の写真が飾られるショーウインドーもあったとか。以下、MPのジープから見た占領下の東京より引用します。

この男は朝鮮戦争の捕虜交換の時、米兵になりすまして共産圏の国から送り込まれたのだという。(略) 勤務態度もなかなか優秀で、模範兵士と言うことで銀座数寄屋橋の角の阪急のショーウインドーに彼の等身大の写真が飾られたことすらある。日本警察にも大変協力的で、PXで何か買い物頼むといつも気軽に買ってきてくれる。

彼が急に姿を消し、数日後の「スターズ・アンド・ストライプス」紙に スパイとして逮捕され、やがて軍事裁判にかけられるであろうという記事があったときに、われわれは目を疑ったほどであった。

ビルに等身大写真が飾られるような「 模範兵士」がスパイって、びっくり!それとも、当時はよくあることだったのかしら…。

▽参考:こちらも、華のない銀座を見おろしている写真。左手の「和光」にはTOKYO PXの看板。手前のビルは焼けっぱなしで、 窓の中が真っ黒。

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以上、銀座を見おろす写真のご紹介でした。

話はちょっとそれますが、戦後間もない頃の映画を見ると、銀座の撮り方がすごく不自然だなあ、という印象を受けます。接収中のビル・焼けたビル・補修中のビル・進駐軍用の標識なんかをいちいち避けて撮影するのはとっても大変そう。いわば散らかった部屋でインスタライブをやるようなものじゃないですか?

とまあ、そんなわけで、私は銀座に行くと脳内プチ時間旅行に忙しいのです。

▽関連話題:銀座松屋から見おろした風景。教文館の塔がうつっていました。

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▽「積木くずし」の穂積隆信は、将校クラブのトイレを掃除をしながら、現在の有楽町マリオンの方角を見つめていました。

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獅子文六『やっさもっさ』の時代

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獅子文六の『やっさもっさ』(1952)は、朝鮮戦争(1950-1953)の時期に新聞連載されました。

舞台は横浜。「国は破れ、山河とパンパンだけが残った」横浜で、混血児の孤児院を中心にストーリーが展開していきます。先日、その孤児院をイメージさせるカラー写真を見つけたので、ご紹介しましょう。

『やっさもっさ』と混血児の孤児院

まずは『やっさもっさ』における孤児院の描写からご覧ください。

ララ物資*1アメリカの古着を着た子供たちは、見ようによっては、ハイカラな姿で、且つ、よく似合い、どこかの植民地の幼稚園へきたようであった。

▽そして、『やっさもっさ』を連想させる写真がこちら。“Orphans 1955-1957”

Orphans拡大したところ

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どうでしょうか?

鮮やかな服が、とってもよく似合っている孤児達…。獅子文六が『やっさもっさ』で描いたように、「見ようによっては、ハイカラな姿」ですよね。

 実はこの写真、日本でも、横浜でもありません。『やっさもっさ』より少し後(1955-57)のソウルで撮影されたものなんです。しかし朝鮮戦争の前後は、日本と韓国で相似の光景も多いため、あえて貼ってみました。『やっさもっさ』を読む際の参考になれば幸いです。

 孤児達がこの日だけ(支援者にアピールするなどの理由で)キレイな服を着ていたわけではありませんように…。

▽関連話題: この時期、なぜカラー写真が存在するかについてはこちらをご覧ください。

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『やっさもっさ』のモデル、エリザベス・サンダースホーム

 獅子文六『やっさもっさ』のベースとなったのは大磯の孤児院「エリザベス・サンダースホーム」。この記事は1977年の「暮しの手帖」からで、 中央の女性が「エリザベス・サンダースホーム」園長・沢田美喜(あの岩崎弥太郎の孫)です。戦争の落とし子達に対する風当たりのキツさがうかがえます。

冷たい白い眼で見られる混血児を、あえて引き取って、人並みに育てるという沢田さんの行動は、日米双方から歓迎されなかった。占領軍は自国の兵隊たちの無責任な行為をかくしておきたかったし、日本の役人は敗戦の恥辱の生きたシンボルを救って何になるとののしった。

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暮しの手帖」1977年早春号より

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暮しの手帖」1977年早春号より

「岩崎家」の野生の血と、「エリザベス・サンダースホーム」

 獅子文六はエッセイで、「エリザベス・サンダースホーム」園長・沢田美喜のワイルドさにふれています。お金持ちの優しい女性を予想して会ってみたら、彼女の祖父=岩崎弥太郎の野生キャラでビックリ、みたいな。(獅子文六全集第15巻「沢田美喜女史」より)

戦争児と言うものは、当時、私にとって、ショックであり、それを収容する設備を、個人で始めた人が、同じ大磯に住むと聞いて、私を訪ねていかずにはいられなかった。(略)

私は女史がカトリック信者で、富豪の娘と聞いているので、慈善家型の感傷的な女性を想像していたのだが、まるで、反対だった。ドライで、勇ましい話し方も、容貌体躯も、何か、新しい同性の友人を発見した気持ちだった。(略)

私は女史のうちの素晴らしい野生の出どころを考え、結局、それを岩崎家の血とする外はなかった。三井家のほうは、代々の長い富豪生活で、一族の容貌まで貴族化しているが、岩崎家は家歴が浅く、血も若いのだろう。女史を知るには、岩崎弥太郎を研究する必要があると思った。

もっともこれぐらい野生的じゃないと、世間の逆風に勝てなかったでしょうね。

進駐軍向けの「享楽施設」

 さて、『やっさもっさ』には、孤児院と同時に、進駐軍向けの「享楽施設」(キャバレー・ダンスホール)が登場します。

そして進駐軍向けの享楽施設を、「占領児」の「製造元」と位置付けている。生まれてくる「占領児」についても

タネが怪しい上に、畑が滅茶なのだから、ロクな作物が成るわけがない。

と、さんざんな書き方です。横浜出身で横浜愛のある獅子文六だから、ギリギリセーフ?

 主人公の女性は孤児院を切り盛りし、彼女の夫はひょんなことから享楽施設で働いているという皮肉な設定。 ちなみにこの夫妻、戦後落ちぶれたといえ、上流階級の出身で英語も堪能です。(←獅子文六設定あるある)

 ともあれ『やっさもっさ』は、【孤児院】と【享楽施設】の両輪で賑やかにすすんでいくのでした。モデルとなった「エリザベス・サンダースホーム」の沢田美喜に該当する人物は、脇役として登場します。

 

 ところで、私の住んでいる街(元・米軍基地)も『やっさもっさ』と同じく、進駐軍向けの「享楽施設」が大繁盛した過去がありました。松本清張『セロの焦点』の舞台にもなったのです。

現在、街は完璧に再開発され、過去は封印されています。が、当時のリアルは第30回芥川賞候補になった『オンリー達』*2(広池秋子)にしっかり描かれている。エンタメ小説の形をとっている獅子文六の『やっさもっさ』と違って、『オンリー達』は敗戦国のミジメさがてんこもり。わびしさに耐えられる人は『オンリー達』もぜひ読んでみてください。

▽関連話題:『やっさもっさ』で享楽施設を束ねている会社は、スーベニアショップも手広くやっている設定でした。

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*1:ララ(LARA)から送られた救援物資。アジア救済連盟。1946年に米国で組織された団体で、アジア各地の生活困窮者を救うために、医療・食料・衣料品等の寄贈を主な仕事とする。 獅子文六全集第6巻注釈より

*2:『オンリー達』については土地のお年寄りに教えてもらいました。作者が舞台となったエリアに住んでいたことなど。

獅子文六と戦争をテーマにしたジンを販売中です

 戦争に突入する時代をテーマにしたジン『認識不足時代 ご時勢の急変と獅子文六』を作りました。BOOTHで販売中です。「あんしんBOOTH パック」(ポストに投函・匿名配送)でお送りします。

ninshikibusoku.booth.pm

ビリケン商会(青山)・オヨヨ書林新竪町店(金沢)・DA NOISE BOOKSTOREでもおもとめいただけます。

流行語だった「認識不足」と、獅子文六

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 昭和の人気作家・獅子文六といえば『コーヒーと恋愛』(昭和37)。テレビ業界が描かれているので「戦後の作家かな?」と思われるかもしれません。しかし『コーヒーと恋愛』は69歳の時の作品なんです。

 

 デビューはもっと前、つまり戦前。

ところが獅子文六がユーモア小説家としてブレイクしたとたん、日本は本格的な戦争モードに突入します。( 朝ドラ「エール」の古関裕而も同様のタイミングでしたよね。ブレイク→戦争→軍歌の覇王)

 

 ジン「認識不足時代 ご時勢の急変と、獅子文六 」(2020年発行)は、かつて流行語だった「認識不足」を軸として、昭和11年〜25年の16作品を並べています。戦争の時代を扱っていますが、お茶の時間にサッと読めるように作りました。フェーズが変化するたびにキラキラしたモダン生活が消えるのを感じてください。

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ちくま文庫の「断髪女中 獅子文六短編集 モダンガール編」をセレクトされた山崎まどか様のTwitterより。

ビッグイシュー411号「究極の自由メディア『ZINE』」特集に掲載されました。

「認識不足時代 ご時勢の急変と獅子文六」で引用した 参考画像

ジン「認識不足時代」では、参考画像も紹介しています。

▽これは国際連盟脱退で揺れている頃の漫画。かわいい絵ですが、時代の空気が伝わってきます。(昭和8年2月講談社「キング」小野寺秋風) 

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昭和14年「欧州大戦勃発」の漫画タイトル(昭和14年11月新潮社「日の出」)

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▽49歳ごろの獅子文六。本名の岩田豊雄で『海軍』を書いている時期です。『海軍』は日米開戦の翌年(昭和17)朝日新聞に連載され、敗戦後「私のことを戦犯だといって、人が後指をさす*1」原因になりました。そんな『海軍』から20年後の昭和37年、『コーヒーと恋愛』の新聞連載がスタートします。

昭和17年12月『主婦之友・大東亜戦争一周年記念号』

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ジン「認識不足時代  ご時勢の急変と、獅子文六 」は、画像が多め・字も大きめ。「獅子文六に興味ないなあ」という方もぜひ!時代が急変している今、何かのヒントになりますように。 

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▽このジンを作ったきっかけは、2014年のラジオ(宇多丸さん)でした。

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*1:獅子文六全集14巻「落人の旅」朝日新聞社

獅子文六『胡椒息子』の時代

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『胡椒息子』の連載と、時代の急変

私は、昨年(2020)『ご時勢の急変と、獅子文六』という冊子を作りました。その中で、“時代の潮目がグッと変わった頃”の作品として紹介しているのが『胡椒息子』です。『胡椒息子』は、雑誌に1年間連載しているうちに世の中が動いてしまった。そう、日中戦争がはじまったのです。

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「主婦之友」の変わりっぷり

『胡椒息子』は雑誌「主婦之友」に、昭和12年8月から昭和13年9月まで連載されていました。『胡椒息子』の連載がはじまった頃の「主婦之友」は、キラッキラの婦人雑誌。「お洒落大好き!宝塚大好き!」といった感じの内容です。ところが、『胡椒息子』の初回から3ヶ月後には、もうカラーが変わっている。ためしに連載されていた1年間の「主婦之友」イメージ図を作ってみましたよ。(わかりやすいように、ちょっと強調しています笑)

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帝国日本の終わりの始まり

なぜ、キラキラ雑誌がグッと変わったのでしょう。その理由はコチラ。

辻田 真佐憲『日本の軍歌』より

1937 (昭和12)年7月7日の盧溝橋事件は、帝国日本の終わりの始まりだった。現地部隊の小競り合いを収拾できなかった日本は、やがて日中間の全面戦争、そして太平洋戦争へと引きずり込まれていく。

つまり『胡椒息子』は昭和12年初夏、「帝国日本の終わりの始まり」とともに連載がスタートしたということになりますわね。

時局の急変と、誌面の変化

「いやいや、短期間で雑誌がそんなに変わるわけないでしょ?」と思われるかもしれませんので、例として当時の誌面を貼ってみます。これは『胡椒息子』第1回目の昭和12年8月号目次。妖艶な美女がにっこり。

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同じく、昭和12年8月号の本文。ピタッとした水着に、あらわな脇の下。こんな感じの浮かれた女性とお色気ポエムがてんこもり!これが昭和12年初夏までの「主婦之友」のイメージです。

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支那事変」後の誌面はガラッと変わる

▽ところがたった3ヶ月後の昭和12年11月号のイラストはこんな感じ。戦地のイケメンがドーン。「皇軍の戦死者は最後の一瞬に必ず『天皇陛下万歳』を叫んで息を引き取っている」。ええええー。

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▽同じく昭和12年11月号目次もこんな感じ。ただ、化粧品の広告は大量に掲載されています。(各ブランドとも、“お肌を守って銃後も万全”みたいなコピーをつけている)

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その後、「主婦之友」(に限らないけれど)は、敗戦に向かってガンガン変化していくのでした。戦争末期の「主婦之友」の凄まじさは、早川タダノリさんのブログ「虚構の皇国」内の狂気の「ぶち殺せ!」標語で見ることができます。

金持ちキャラの気配が消えてしまう

時代や掲載誌の雰囲気が変われば、連載中の小説にも影響が。連載スタート時の『胡椒息子』では、金持ちのライフスタイルがさんざん茶化されていて、モダン生活の贅沢カタログとしても楽しめます。

ところが1年間の連載が終わりに近づくと、金持ちの存在感がものすごく薄くなる!代わりに登場するのは、貧しく善良な人ばかりに。*1想像ですが、当初は「金持ち・庶民・金持ち・庶民」とリズミカルに繰り出す予定だったのではないでしょうか。

▽ちなみに『胡椒息子』第1回目の挿絵はこんな感じ。主人公の少年の姉が、お洒落椅子にダラっと座っています。この一家は美容に命をかけていて、邸宅の中には美容院並みの設備を持っている。こんなライフスタイル、もっと知りたいじゃありませんか!読者も興味津々だったと思いますよ。

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▽この金持ち令嬢、デートのために羽田から「エア・タクシー」にのろうとするんです。贅沢すぎる!でも、終盤に向かって彼女の出番は減るばかり。

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以上、『胡椒息子』と、時代の急変でした。

コロナ禍を経験した私たちにとって“短期間に世界が変わる”ことが、人ごとではなくなってきました!とはいうものの、『胡椒息子』にはまだ戦争の雰囲気がほとんど感じられません。ことに、現代の私たちがサッと読む分には…。ただ、神社の夏祭りが小さくなったり(支那事変の折柄、派手な本祭りは遠慮して」)、主人公の少年が愛国行進曲を口ずさんだり、子供部屋の散らかし方の比喩が「それは、わが荒鷲の襲撃を受けた、支那軍飛行基だ」になったり、しています。しかしそれらもほんの1、2行出てくる程度なんですよね。

▽というわけで、『胡椒息子』の副読本としておすすめしたいのが、『戦下のレシピ』です。戦中の婦人雑誌の右往左往ぶりがまとめられていて、地味な外観からは想像できないほど皮肉がきいている。読みやすいので、ぜひ!

別の機会に、『胡椒息子』が口ずさんでいる「愛国行進曲」についてふれたいと思います。続く。

獅子文六悦ちゃん』がきっかでデビューした少女スターと、時代の急変についてはこちらを

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*1:もっとも、その後の獅子文六作品では、軍需産業の成金令嬢など、あらたな金持ちキャラが登場して、これがまた面白いんです。

「夜の街」と、わかりやすい地図

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オシャレでわかりにくい地図に困ったことはありませんか?結局、グーグルマップで調べ直すから手間がかかるんですよね。

今日は、香港のわかりやすい地図をご紹介しましょう。顧客が乗っている「船」からのルートがハッキリ描いてあるのです。

船からの道順が描かれた地図(香港)

▽「STATION SHIP」からの道順

Great Shanghai

▽「STATION SHIP」を拡大しました

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▽オモテ側はこんな感じ。flickrにはこんな感じのお色気ショップカード(アジア)が大量にあがっています。

Plaza Great Shanghai Bar

Keyhole reverse

Lucky Star reverse

New Top Hat reverse

▽両替情報まで。

A Go Go reverse

 

▽ショップカードをたどっていけば、きっとこういう時間が過ごせるのでしょう。髪型がウォン・カーウァイ。Hong Kong, Sept 1967

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▽顔色、大丈夫?Hong Kong, Sept 1967

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日本にもわかりやすい地図がありました(立川基地の場合)

▽香港の地図は「船」が起点でしたが、飛行場の街は飛行機が起点(?)。これは立川基地「フィンカムゲート」すぐそばの“ホテル”の地図です。(フィンカム=FEAMCOM=Far East Air Materiel Command)

https://www.flickr.com/photos/20576399@N00/32115235974

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TABGate2,FujiHotel,unkdate

聖人の街と、夜の街

以上、わかりやすい地図のご紹介でした。余談ですが、立川を舞台とする『聖☆おにいさん』でブッダとイエスの行動範囲は、上の地図とけっこう重なります。11巻表紙のバスルート(←私もよく利用)も、そんなエリアを通過しているし。『聖☆おにいさん』に「基地の街」のゼロの焦点的な過去は描かれていないけれど、作者はいろいろなことをご存知なのだろうなあ。読んでいて時々そう思います!

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▽日本で休憩

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▽日本で治療

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獅子文六『断髪女中』と軍需景気

f:id:NARASIGE:20211011075055p:plain獅子文六の短編『断髪女中』(昭和13)は、日中戦争がはじまった時期の女中不足がテーマ。「 今度の事変が始まって、直接間接の軍需景気が、一度にドッと女中適齢期の女子を工場に吸引」したから、さあ大変、女中さんを見つけられなくなってしまったのです。(山崎まどかさんセレクトのちくま文庫『断髪女中』は、『団体旅行』『胡瓜夫人伝』などアフター事変の傑作ぞろいです)

ちょうどこの時代をイメージするのにぴったりな漫画がありましたので、今日はそれをご紹介しましょう。

『断髪女中』と、 職業戦線の好景気

『断髪女中』と同じく昭和13年の雑誌記事「 職業戦線に好景気が来た 職を求める人への注意」に出ていた漫画を貼りますね。書いているのは「東京府職業紹介所長」です。

昭和12年7月の支那事変勃発以降、工業界の方が収入が良いということで人々が工場に殺到してるけど、女中や商店が人手不足になっているじゃないか。みんな冷静になろうよ!”という内容。

軍需産業に殺到する人々の図。 漫画が可愛くてユーモラスなのは、まだ戦争が序盤だから…。(戦争末期は、とても味気ない誌面になりがち!)

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講談社「キング」昭和13年3月

▽軍需工業方面の求人が多いため、「失業救済事業が、逆に失業してしまっている」状態。

昭和9年の後半頃あたりから軍需工業方面の求人がそろそろ多くなり、10年、11年、12年とうなぎ登りに盛んになって、今や就職戦線は好景気に達したと言っても過言ではない。ことに昨年7月、支那事変が勃発して以来は、全国的に人間の需要が殖え、十数年以来に無い好景気を現出している。 

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講談社「キング」昭和13年3月

女中志望者の減少→女中の利点を強調する職業紹介所

上記の「 職業戦線に好景気が来た」を書いた東京府職業紹介所長は、“女性は工場勤務よりも、女中になるのがベスト”と考えていたようです。

多少賃金の割が良いと言うので、誰も彼も工場方面へ行く傾きがある。(略)最近では、女中志望者は極めて少ない。少しでも収入の多い、実利的な方面へ人の心が走るのはやむを得ないとしても、一見一番収入にならないように見える女中さんになろうとする人がなくなった事は、非常に悲しいことだと思う。

私どもの考えでは、下手な職業につくくらいならば、女中になる方が一番その人のためになると信じている。元来、婦人の職業は、大半一時的なもので、長くても4、5年も勤めれば止めて結婚生活に入らなければならぬのである。つまり結局結婚生活に入るのが目的であってみれば、一家の主婦となった場合最も参考になり、有益な職業をやっておくことがその人の幸福なのではあるまいか。 この意味から言って、女中と言う職業は、決して卑下すべき性質のものとは思われない。

「下手な職業につくくらいならば、女中になる方が1番その人のためになる」…このあたり、『断髪女中』そのものです。

【参考】断髪のイメージ

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現代の私たちはショートカットと着物の組み合わせに驚かないけれど、『断髪女中』では「まア、断髪?女中のくせに?」って、おおごとになっています。ここで昭和初期、断髪に向けられていた視線をちょっとのぞいてみましょう。

反り返って歩く断髪のモガ

▽作者は池部 鈞(俳優・池部良のお父さん)。この漫画のテーマは「反り返って歩く」断髪のモガです。行間に、“もう、今時のムスメはまったく…”みたいな気配が滲み出ている。この頃は池部鈞に限らず、断髪を茶化す漫画がすごく多い。 著名人の断髪ならともかく、一般人の断髪は珍しさも手伝ってつい茶化したくなるんでしょうね。

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昭和3年「現代世相漫画」池部 鈞

夜の街の断髪

▽こちらは、前川千帆が描く“夜の街”の断髪。体格が良いのに退廃的で、ライザ・ミネリの「キャバレー」感あり。『断髪女中』の雇い主のセリフにも「これはいい。キャフェ気分横溢だ」というのがありましたっけ。

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「浮世行進曲」昭和5年前川千帆

『断髪女中』と、軍需工場の令嬢

さて、『断髪女中』(昭和13)の時代背景に話を戻します。『断髪女中』では「軍需景気が、一度にドッと女中適齢期の女子を工場に吸引」していましたが、じゃあ「吸引」した側の工場はどうなっていたのか?といえば急成長しているわけで。そのへんを描いた作品が『団体旅行』(昭和14)です。支那事変勃発とともに突然リッチになった女子(実家の貧しい工場が巨大化)が登場します!国家の非常時と、賑やかさの同居っぷりがすごく笑える。オススメです。

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しかしその後戦争はドロ沼化し、笑えない時代がやってくる…。そのあたりのアレコレを冊子にまとめました。よければご覧ください。

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*1:2021年8月、オリンピックの閉会式で五輪の旗を振る小池都知事https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/293173

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