佐藤いぬこのブログ

戦争まわりのアレコレを見やすく紹介

暗号とグラウンド

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高級住宅街と「イミテーションゲーム」

井の頭線・浜田山にある高級住宅街に行ってきました。ウソかと疑うレベルで綺麗なところです。

なぜ行ったかというと、立川市が出しているお年寄りの聞き書き集に、“戦争末期、浜田山駅の近くにあった三井のグラウンドソ連の暗号を解読をしていた”という話が出ていたから。

「はて、三井のグラウンドとは?」と検索してみたところ、現在は高級住宅街になっているというじゃありませんか。

 陸軍中央気象部で暗号解読

聞き書き集の話し手は「陸軍中央気象部」に勤めていた人。陸軍中央気象部は、もともと高円寺にありました。しかし戦争末期は空襲を避けるため、浜田山の「三井のグラウンド」を接収して移転したのだとか。

ヤルタ会議等の極秘暗号も傍受できていたので、日本の戦局が悪いことは早くからわかっていた。(『私の戦争体験記』より「陸軍中央気象部亜欧係」立川市教育委員会

ああ。せっかく情報を傍受しても、多くの犠牲が出てしまうんですね…。映画「イミテーションゲーム」にも、そんなもどかしいシーンがありましたっけ。

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映画「イミテーションゲーム」

昭和11年に出来たグラウンド

ということで、戦争末期に陸軍中央気象部があった(とされる)「グラウンド」跡地に行ってきました。本当に高級住宅街で緊張した…。でも生協パルシステムの車が配達している様子を見かけて、ひと安心。私もパルシステム使ってます(笑)

▽これは敷地入り口にあった案内板。レリーフっていうんでしょうか、デコボコしてる。(当たり前ですが、戦中についての記載はありません。暗号解読うんぬんは、敗戦間際の一時のことですしね)

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拡大。「1936年(昭和11年)11月、三井浜田山グラウンド開場」

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ヒマラヤスギ。表示板には「グラウンド整備当初からこの地にあった」と書かれていました。このヒマラヤスギは暗号解読にたずさわった人たちを見ていたのかもしれません。

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敷地内にある昭和11年築の建物。モダンというわけね。今も使われています。

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敷地の突き当たりにある「三井の森公園」。神田川「崖線」の説明です。

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映画化するなら、「かまいたち」の2人で

以上、もと「グラウンド」だった場所の様子でした。最後に、グラウンドに行くきっかけとなった文章を抜粋します。

「陸軍中央気象部亜欧係」(『私の戦争体験記(平成28)』より立川市教育委員会

 

突然、異動を命じられた。そこは「予報課亜欧係」。それまで部内にそのような係がある事は全く知らなかった。業務は、気象予報とは関係のない、ソ連主要地の天気予報の暗号文を解読する極秘任務であった。その日から営内居住になり、外部との接触及び外出も禁止となる特務機関であったが、営内の待遇は良かった。(略)

 

ソ連の暗号の組み立て方は1から9までの数を羅列したものであった。担当はおよそ15名。皆が甲種幹部候補生出身者「座金組」で、東京帝国大学数学の教授をはじめ、優秀な人材ばかりで士気も高かった。通信担当が傍受したソ連のモールス信号を、電話帳ほどの厚さの乱数表を駆使して解読していった。(略)

 

昭和20年7月下旬の夜中、当番だった私は「生文」を傍受した。その頃は空襲を避けて、馬橋から浜田山駅の近くにあった三井のグランドを接収して、亜欧係は移転していた。電波を傍受されていたからか、浜田山移転後も米軍の空襲が続き、裏にあった女学校は一夜で焼けてしまった。(略)

 我々は、ソ連が日ソ中立条約を破って満州に攻め入ることも傍受していたが、戦争は終わらず、多くの方が犠牲となった。(略)

 

馬橋の陸軍中央気象部には、気象神社があった。空襲で焼けてしまったが、戦後、高円寺南の氷川神社に映された。6月1日が例大祭である。例大祭は陸軍中央気象部の同窓会のようなもので、私は今でも毎年例大祭には参拝している。例大祭に集まる当時の仲間は、私ともう1人だけとなってしまった。

もし、このエピソードを映画化するなら、オープニングは「気象神社(高円寺)の例大祭」ですね。そして、例大祭に集まってきた普通の老人達が、「イミテーションゲーム」や「ブレッチリーサークル」みたいな回想をはじめるのです。

メインキャストは「かまいたち」の2人がいい。“夢中で暗号を解読する主人公 ”と、“憂鬱そうなエリート上司”と。どちらがどちらの役をやっても似合うと思います!

youtu.be


【参考】ネットにも「陸軍中央気象部」に勤めていた人の体験談が出ていました。しかしこの方は、「陸軍中央気象部」が浜田山のグラウンドに移転する前に異動しています。

www.suginamigaku.org

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洋風ねんねこの時代(1972-1973)

今日のテーマは「1972-1973年のねんねこ」です。ラッキーなことにちょうどその時期の日本をflickrにあげてる外国人がいたのです!(撮影者については文末で紹介)。では、この時代の「おんぶ」「ねんねこ」を見ていきましょう。

はじめに。1950年代の「ねんねこ」は、布団のようだった

1970年代の「ねんねこ」の前に、1950年代をちょっとだけご覧ください。1950年代の「ねんねこ」は、かなり「布団」寄り。布団をそのまま背負っているようなイメージです。“Japan 1950”

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1970年代の「ねんねこ」は洋風

1950年代は布団寄りだった「ねんねこ」。20年後の1972-3年のねんねこは「布団」を脱して、かなり洋服風になっています。大きなチェックに可愛い襟、丸いボタン。このまま下に長く伸ばせば、コートとして着ることもできそうですね。

08-375こちらも大きなチェクのねんねこ。赤ちゃんの赤いフードが見えます。

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▽三つ編みと。これは、ねんねこじゃないけれど、洋服っぽい模様です。

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▽大きなチェック

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▽若さ爆発。赤ちゃんはうつってないけれど、たぶん「ねんねこ」

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キルティングの花柄。この花柄はラルフローレンの寝具にある(かもしれない…)。きっと彼女は「花柄の魔法瓶」を使っている。

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▽(ねんねこじゃないけど)スーツっぽい服でおんぶ

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千鳥格子。 かなり思いきった柄です。2021年、この柄を身につけている人をなかなか想像できません。07-102  【参考】こちらも同じ人が撮影した1972年の女子。コートの格子がやはり大きめ。こりゃあ、ねんねこの柄も派手になりますね。

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▽迫力のおばあちゃん。やっぱりこの世代のねんねこは、布団寄り。

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「洋服感覚」の流行が、ねんねこに影響?

ちなみにこちらは1960年の着物の本。「和服を洋服感覚で着こなす若い方向け」のコート特集です。この“洋服感覚がステキ💕”という気分が、布団風だった「ねんねこ」を変えたのかもしれません!

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昭和35年(1960)11月主婦の友付録『きものと帯』

以上、1972年の「ねんねこ」の数々でした。一連の写真を撮影したのはアメリカ人Nick DeWolf氏(1928 –2006)。Wikiによると技術者・実業家で、「テラダイン社」の創業者だとか。“熱心で多作な写真家”でもあり、現在も親族が写真をネットにあげているそうです。インスタまである! 日本人がわざわざ撮影しない光景を残してくれました。ありがとうございます。07-254

▽Nick DeWolf氏が撮影した若者たち

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▽子供が子供をおんぶする時も、ねんねこが使われていました

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流行語の「認識不足」と獅子文六

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「あらまあ認識不足よ(リットン程ではないけれど)」という曲がきっかけで、獅子文六のジンを作りました

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獅子文六といえば『コーヒーと恋愛』(昭和37)。テレビの女優が主人公なので、“獅子文六は戦後の流行作家かな?”と思われるかもしれません。しかし『コーヒーと恋愛』は69歳(!)の時の作品なんです。

デビューはもっともっと前、つまり戦前。ところが獅子文六がユーモア小説家としてブレイクしたとたんに、日本は戦争モードになったのでした…。そのへんのいきさつをまとめたのが、このZINE(冊子)です。↓

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リットン調査団と「認識不足」

私がZINE『認識不足時代 ご時勢の急変と獅子文六』を作ったきっかけは、今をさかのぼること数年前にあります。

2014年、宇多丸さんのラジオ「あなたの知らない軍歌の世界”特集リターンズ」で、辻田真佐憲さんが 『あらまあ認識不足よ(リットン程ではないけれど)』*1という曲をかけていたんですよ。歌詞はずいぶんと、ふざけた感じ。

彼女のエロなウインクに 飛んで行つたらやぶにらみ
あらまああなた認識不足よ リットン程ではないけれど

この曲を辻田さんは、“リットン調査団ディスる歌”と紹介していました。宇多丸さんは、歌詞に(満州を調査した)リットンが出てくるけど、別に政治的なことを歌ってるわけじゃないんだ…、と驚いていましたっけ。

獅子文六全集から 「認識不足」をピックアップ

宇多丸さんのラジオで『あらまあ認識不足よ(リットン程ではないけれど)』を聴いてから数年経過した2020年。新型コロナの自粛期間中に、愛読書『獅子文六全集』をゆっくり読み返してみると、あら不思議!「認識不足」という言葉が、蛍光ペンを引いたように浮かび上がってくるじゃありませんか。そこで私は全集からせっせと「認識不足」を拾い出し、時系列にならべてみた。それがZINE「認識不足時代 ご時勢の急変と獅子文六」です。これを作ってみて感じたのは「“認識不足”という言葉が流行っていた時代」イコール「激動の時代」ということでした。

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▽『あらまあ認識不足よ』と、リットン調査団についてはこちらを

gendai.ismedia.jp

笑える「認識不足」の例

では、獅子文六作品から「認識不足」の使用例を一部ご紹介しましょう。ここが笑うところですよ!というポイントに「認識不足」がちょいちょい登場してくるのです。

  • 「そンな認識不足だから、華族のバカ様ッて云われるのよ」(『青春売場日記』昭和12)
  • 「 それは、春実の認識不足だ。ママはママ業、主婦業…その他、一家の重役をいくつも兼ねている。(『青春売場日記』昭和12)」
  • 「まア、欲の深い!そういうことは単に、欲が深いばかりでなく、女性に対する認識不足ですわ」(『悦ちゃん』昭和11)
  • 「 こういう社会情勢に於いて、就職なんて志すのは、そもそも認識不足だよ。」(『金色青春譜』昭和9)
  • 若い妻を持とうと言う料簡が、そもそも認識不足と言わなければならないが(『女軍』昭和13)

といった調子。獅子文六も「リットン調査団」とは全く関係ない文脈で、愉快に「認識不足」を使っています。そして、この楽しいノリは昭和13年頃まで続くのでした。

笑えなくなった「認識不足」の例

ところが日中戦争が長期化するにつれて、「認識不足」のニュアンスに変化があらわれます。短編『売家』の例をご覧ください。オメカケさんを囲っている旦那が、自粛警察的な存在からの投石を恐れるセリフがこちら。

「僕一人、時代遅れの認識不足だとはいわれたくないからな。(略)それに、認識不足だが、……少し怖いんだ。」(『売家』獅子文六全集11巻/朝日新聞社

おわかりいただけただろうか?

「認識不足」と、「怖い」が結びついているのです。あらまあ認識不足よ♡的なニュアンスは、もうありません。この作品に対する全集の注釈は、こう。

「非常時」「一億一心」「贅沢は敵だ」「ほしがりません勝つまでは」の新体制下にあっては、長袖の着物も、ソフト帽も、もんぺ姿や戦闘帽でなければ「認識不足」とたたかれたものだった。(『獅子文六全集11巻』注解)

この時点での「認識不足」は、そのまま「非国民」と言いかえることもできそうです。

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モダンな職業が「認識不足」になってしまう時代

父の時代・私の時代 わがエディトリアルデザイン史

余談ですが、先日意外なところで笑えないタイプの認識不足を発見しました。アンアン創刊にたずさわったことでお馴染み、堀内誠一の自伝です。(『父の時代 私の時代  わがエディトリアルデザイン史』)

堀内誠一の父親はモダンな「図案家」でしたが、戦争が本格化するにつれて図案家を続けることが困難に。父親のスタジオで働いていた若者も次々と出征していくのです。

時代は不景気に続いて非常時体制へと進み、あってもなくても良いようなフリーの図案家などは“認識不足”で、だんだんレインボー・スタジオをやっていく事は不可能になってきました。

「フリーの図案家などは“認識不足”で」……。

この言い方!父親の職業に、ふつう“認識不足”は使いませんよね。これを私なりに解釈すると、“フリーの図案家は、戦時下にそぐわない仕事だった”となります。

堀内誠一は戦中にまだ少年でしたが、「認識不足」の(非難をこめた)使い方を覚えていたのかもしれません。※引用文にある“認識不足”の引用符は、私が付けたのではなく、もとからありました。

戦前、モダンに輝いていた父親は、敗戦後「酒の他には何事にも興味がなくなり」、早死にしたそうです。こういうご家庭も多かったのだろうなあ。ツライ。


以上、「認識不足」の変遷でした。

“あらまあ あなた認識不足よ”のような笑える用法は、まだまだ余裕があった時代の産物だったといえるでしょう。獅子文六と時代の急変に興味のある方は、ぜひこちらもご覧ください。ninshikibusoku.booth.pm


【参考画像】「新体制心得」の漫画 (昭和15年12月)

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昭和15年12月 新潮社『日の出』

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*1:

辻田真佐憲『愛国とレコード』より「時局小唄 あらまあ認識不足よ(リットン程ではないけれど)」について引用します。「1932(昭和7)2月国際連盟は日中間の紛争を実地調査するため、リットン卿を団長とする調査団を東アジアに派遣した。同年10月その報告書が公開されたが、満州国の正当性を退けた内容だったため、日本側の猛烈な反発を招いた。「認識不足」は当時の流行語で、リットン調査団満州国の真実をよく認識できていないと批判する文脈で盛んに使われた。」

飲み会を夢見る時代 (『男の友情』獅子文六)

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新型コロナによる自粛期間中、「オレの考える最強の飲み会」をツイートする人が増えました。夜遅くまで騒いで、大通りで酔いをさまして、さらに公園でおしゃべりを続けて…みたいな。ことに表現のプロがツイートする“最強の飲み会”は、映画館なみの臨場感。読めば確実に、脳内に3Dで浮かぶのです。

『男の友情』(獅子文六)と、どんちゃん騒ぎ

自粛期間中に『獅子文六全集』を読み返していたら、まさに「理想の飲み会」をテーマにした作品を見つけたんですよ。タイトルは『男の友情』(「獅子文六全集11巻」朝日新聞社

  『男の友情』は、とってもシンプルな短編です。

仲良しオジサン3人組が、飲み屋でドンチャン騒ぎ→つい朝帰り→妻への言い訳を考える

たったこれだけ。

前に読んだ時は「ほほえましいなぁ」くらいの印象で、気に留めなかった。しかしコロナ禍の目で見て、ハッっとしました。 この『男の友情』は、戦争が本格化してドンチャン騒ぎができなくなった時期の作品だったのです。

昼間から、ジャカジャカ三味線を鳴らすなんて、今日ではおよそ想像もできない風景だが、そこは戦争前の認識不足時代で(略)

「戦争前の認識不足時代」=わりと近い過去を、“戦時中の読者”にうっとり回想させているんですね。

うっとりポイントは、作品中にこれでもかと散りばめられています。山奥の隠れ家系飲み屋、不要不急の小旅行、気のいいおばさん芸者(兼、女中)、どじょうすくいの腰つき…当時の読者の脳内には、桃源郷の飲み会が3Dで浮かんだはず。

そう。『男の友情』のキモは、「今日ではおよそ想像もできない風景だが」という一文なのでした!

▽「戦争前の認識不足時代」とありますが、この「認識不足」という言葉自体、日本がやばいフェーズに入った時期に誕生した流行語です。

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  ※『男の友情』は、発表年月日が書かれていません。しかし昭和11年公開の映画「半島の舞姫」がネタとして出てくるので、昭和11年以降の作品です。日中戦争昭和12年夏から。

▽参考:戦前の宴会のイメージ(昭和5年 前川千帆)。照れながらの隠し芸、茶碗でリズムをとる人…。2021年6月の私たちにとっても、まぶしい光景です。

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『川柳漫画全集 浮世行進曲』昭和5 前川千帆

お手もとに獅子文六(昭和13〜16年頃の作品)がある方は、もう一度読み返してみることをおすすめします。コロナ禍を経験した今、作品中の「自粛」や「時短営業」などの描写が、前とは違った解像度でせまってくるかもしれません!

『男の友情』に出てきた「認識不足時代」という流行語にヒントを得て、冊子を作りました。

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宮尾しげをと、日常の着物

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宮尾しげをが描いた日常の着物

先日ご紹介した前川千帆と同じく、漫画家の宮尾しげをも、日常のほほえましい瞬間を切りとってくれました。デジタルネイティブという言葉がありますが、いわば着物ネイティブたちの姿がここに。

右下の「ベッタラをぶら下げて夜道を歩くおじさん」なんて、写真にも映画にもまず残らない姿です。

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『現代漫画大観 第5編』昭和3年 

帯の絵が気持ちいい

私は、宮尾しげをが描く「帯」が大好きです。お太鼓がふっくら・キュッ!

お茶を出しても お寺さんは 拝むなり

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『現代漫画大観 第5編』昭和3年 

きゅうり柄の着物に、カッパの帯…。尻子玉を抜かれないコーディネート?

降参をして いるように シャツを脱ぎ

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『現代漫画大観 第5編』昭和3年 

着物と動作

現代は「お着物を着たからには、すきのない身のこなしでなくては…」みたいな空気がありますが、昔はそうもいっていられない。ドロッドロの道で、アクロバティックな動作を強いられることも。

悪い道 手が板塀を 歩くなり

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『現代漫画大観 第5編』昭和3年 

 換気が完全な居酒屋

今は、着物が非日常となったので「凛々しいサムライのように着たい」「遊び慣れた若旦那のように着たい」とイメージが膨らませることができます。でも実際のところ、大半のご先祖様はこういうスタイルだったのかもしれません。

居酒屋の 鍋は何やら 貝が煮え

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『川柳漫画全集 第11巻 浮世行進曲』昭和5年

△「こんなの、江戸時代のイナカの光景でしょ?」と思うかもしれませんが、 戦後しばらくは、都会の道路にも馬や牛がいました。証拠写真の数々は、こちら(笑)

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 華やかな舞台

宮尾しげをはモダン都市の華やぎも描いてくれました。なかほどの着物の女性2人連れに注目してください。半襟の厚みや、衣紋の抜き方など、彼女たちの体温まで伝わってくるようです。(あと、メニューに見入ってるオジサンの皮脂も、すごく感じる…)

食堂を 出れば 舞台はもう暗い

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『川柳漫画全集 第11巻 浮世行進曲』昭和5年

こちらは、「宝塚少女歌劇」と「松竹レヴュウ」がバチバチ

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昭和8年「笑ひの日本」(新潮社『日の出』付録)

 


以上、宮尾しげをの漫画でした。いかがだったでしょうか。描かれている対象は古いけれど、最近の雑誌に混じっていても不思議に馴染みそうですよね?

以前、レジ袋が廃止された時、「昔の買い物スタイル」を 宮尾しげをの漫画に探したことがありました。ぜひこちらの投稿もご覧ください!

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前川千帆と、日常の着物

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私は、着物と人間が「一体化」している姿が好きです。たとえば猫は、「猫」と「毛皮」が、(当たりまえだけど)一体化している。伸び縮み自由自在!あんな感じが理想なんです。

しかし日常の自然な着物姿って、なかなか写真に残りにくい。そこで、漫画の出番です。

 前川千帆が描いた日常の着物

キュートな版画でおなじみ前川千帆は、日常の「瞬間」を切りとってくれました。デジタルネイティブという言葉がありますが、いわば着物ネイティブたちの姿がここに。のびのびと描かれた線がたまりません。これぞ、人と着物の一体化!

朝夕に 下女 這い渡る 長廊下

霊長を 涼しがらせる チンチロリン

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『ウルトラじんた 川柳漫画全集』昭和5年

茶摘唄 どの手拭いが 恋ぢゃやら

煤払い 下女怪力を 出して見せ

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『ウルトラじんた 川柳漫画全集』昭和5年

エステ帰り?

「岡目美顔術」(!)から出てきたお嬢さん。フワフワした装い。

美顔術 気のさすように なって出る

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『ウルトラじんた 川柳漫画全集』昭和5年

野外トイレ

2人とも尻っぱしょり+コウモリ傘。

野雪隠(のせっちん) 連れは大根の出来を褒め

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『川柳漫画全集 第6巻』昭和5年

着物を着ても、背筋、のびない

着物でグンニャリ。「着物を着ると、背筋が伸びます」は、着物が非日常な現代だから。

氷店 雪駄の客は 足を上げ

新世帯 まだ緊縮とまで行かず

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『川柳漫画全集 第11巻』昭和5年

(余談です。日本では現在見ることのできない一般の人の普段着が見たくなって、私はついブータンまで行ってしまったこともありました。 ブータン旅行記はこちら)

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 つらい光景

前川千帆は、ほのぼのした絵ばかりではなく、ツラい光景も描いています。ハカマ姿の電話交換手が、泣きながら働いている姿。「涙と汗が出る、苦しい女の仕事の一つだ」。かわいそう。

いくら顔が見えないからと云っても、何かと言えばズベタ、ウレノコリの悪態は毎日散々聞き飽きて居ても、聞く度に事新しくギクっと応える、(略)夏は暑い、涙と汗が出る、苦しい女の仕事の一つだ。

 

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『現代漫画大観 職業づくし』昭和3年 前川千帆

 


以上、前川千帆の漫画でした。 同時期に活躍した漫画家の中には、あえてラフなタッチで描く人も多い。当時の人が見れば、どんなラフな絵であっても、着物のデフォルメ具合をすぐに理解できただろうけれど、現代の私たちには無理!

その点、前川千帆の漫画は、文字にたとえるなら「楷書」みたいな感じ。現代の私たちでも、なんとかディティールを感じることができるのです。

そういえば、十数年前に作ったホームページ「着物イメージトレーニング部屋」でも、冒頭の“ゾウキンがけする下女”の絵を引用したことがありましたっけ!

実は私、前川千帆が「版画家」だと知ったのは、つい2年前なんです。それまでは(ゾウキンがけの絵などが)めちゃくちゃ上手い漫画家だと思っていました。ごめんなさい!

 7月から開催の展覧会、楽しみです。

www.ccma-net.jp

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▽こちらにも、前川千帆の漫画があります。

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獅子文六『悦ちゃん』から生まれた少女スターと、戦争

東京五輪は、どうなるの?どうなっちゃうの?」みんながヤキモキしている2021年5月。 ご存知の方も多いと思いますが、かつて日本はオリンピックと万博を急停止したことがありました。今日は、そんな時代に活躍した少女スターをご紹介します。彼女は、獅子文六の小説『悦ちゃん』の映画化をきっかけにデビューしたのです。

 獅子文六の小説「悦ちゃん」の時代背景

キュートな昭和の小説として人気の「悦ちゃん」(獅子文六 ちくま文庫)。都会っ子の悦ちゃんが、臆することなくモダン都市を飛びまわる様子は、ほんとうに愛らしい。(私のお気に入りは、キザな作曲家の細野夢月です)

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小説『悦ちゃん』は、昭和11年7月から昭和12年1月まで新聞連載されました。しかし連載終了の半年後には、もう日中戦争が始まります。『悦ちゃん』は、ほかの獅子文六作品と比べると"ご時勢"成分が控えめで、おとぎ話のよう。なので前後のできごとを図にしてみました。意外なようですが、『悦ちゃん』は、決してノンビリした時代に生まれたわけじゃなかったのです。(関連話題:非常時と、獅子文六「金色青春譜」 - 佐藤いぬこのブログ

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幻の万博と、少女スター「悦ちゃん

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歴史資料  中央区京橋図書館・郷土天文館

さて。かつて幻の「万博」があったのをご存知でしょうか?昭和15年(1940)年開催予定で、会場は晴海と豊洲になるはずでした。

これ、日中戦争の影響で延期が決まるまでは、けっこうハデなキャンペーンをしたんですよ。 万博事務局が出していた会報を見ていくと、花電車や銀座のネオン、レコード、ショー、森永とのコラボ菓子などの記事がズラリ!

 画像はその一例で、昭和13年4月“芸能人がこぞって万博のチケットを買っているよ”という(ヤラセ)記事。女優の入江たか子や、「少女歌劇の王子」水の江瀧子(ターキー)の優美な姿が。そして右下の少女に注目してください。そう、悦ちゃんです!獅子文六の小説『悦ちゃん』の映画化キッカケでデビューした子なんです。(芸名も「悦ちゃん」)

「早く此の切符で万国博覧会見たいわ」と入場券に見入る「悦ちゃん」。日活多摩川撮影所にて

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「萬博」会報 昭和13年4月(日本万国博覧会事務局)

子役の「悦ちゃん」は、昭和12年にデビュー。で、翌13年春にはもう大スターと肩をならべたテイで万博を応援しているわけ。すごいぞ「悦ちゃん」!

悦ちゃんと、銃後の少女雑誌

さて、万博の延期が決まった頃、子役の「悦ちゃん」はこんな感じで少女雑誌の巻頭を飾っています。(他のページは、けっこう戦時色強め。)

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少女倶楽部(講談社昭和13年8月

ちなみに同じ号(少女倶楽部・昭和13年8月号)の「銃後の夏」特集では、日本とドイツの令嬢が楽しくおしゃべりしていますよ。

「 これはヒットラー総統の閲兵式です。」「まあ、勇ましいこと! 」

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少女倶楽部(講談社昭和13年8月

これも同じ号より。戦地の兄に、妹から慰問袋が届きました。風船に兄妹の似顔絵が描かれている。「兄」、老け過ぎ。

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少女倶楽部(講談社昭和13年8月

戦争と「スター悦ちゃん

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悦ちゃん」の挿絵 獅子文六全集第1巻より(朝日新聞社

やがて、空襲の時代がやってきます。子役の「悦ちゃん」は、どうなったかというと‥‥わからないのです。令和の今だから足跡が追えないのではなくて、 昭和40年代でも不明でした。

以下は、画家の田中比佐良が書いた「スター悦ちゃん追想録」からの引用です。田中比佐良は、小説「悦ちゃん」の新聞連載時に挿絵を担当し、映画化の際は子役選考の審査員もしていました。

多数応募少女の中から、獅子氏をはじめ、その道の権威連と協議選択の結果、これはまたまことにもって偶然にも、僕の知友で年若な江島くんという青年画家のムスメが衆議一致で入選したのである。

 見るからに愛くるしく鮮魚のようにハツラツとして人なつっこい挙措動作、ポチポチした色白の風貌と好もしい特異好感触のマドモアゼルタイプの、正にこれ、少女スターとして掘り出し物的、ヤンガータレントの出現であった(略)

 

それは太平洋戦争たけなわのみぎり、悦ちゃんは、すっかり成人していっぱしの花はずかしい映画女優として、人気は残っていたが、太平洋戦争という、時の大勢異変には抗しがたく、いわゆるドサ周りの 座頭女優にうらぶれかねない形成になってきた。

 そこでボクは、かねて女優悦ちゃんビイキ(その資質を高評価して応援している)菊池寛氏を、空襲ゴウゴウのあの雑司が谷の邸に訪ねて、悦ちゃんのモダンタイプの天賦的女優としての適性を賛嘆しあった(略)

 

だが、光陰矢のごく、かつての愛くるしく芸質慧敏で人なつっこく、菊池寛氏もボクも、将来への期待と幸福を語り合った彼女も、今やいずくに?感無量なものがある。(「スター悦ちゃん追想録」『獅子文六全集付録月報No.16』昭和44年8月)


万博は幻になり、「スター悦ちゃん」は行方不明…。切ないですね。悦ちゃんや、悦ちゃんと同世代の少女たち(敗戦時に20歳くらい)の無事を願うばかりです。narasige.hatenablog.com

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